このページは2014年4月6日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。 |
第7回 「日本の陶磁器・古民芸」 (1) 縄文土器と弥生土器 |
陶磁器の種類
日本で土器の製作が始まった紀元前12000年です。氷河期が終わり、ナウマン象のような大型哺乳類が絶滅し、主食が小獣、果実に移った頃で、日本の土器は世界的に最も古い。縄文人は穀物や木の実を縄文土器に入れて煮て食べ、木の実の貯蔵用にも使用しました。最初期の縄文土器は尖頭土器で、土に埋めて安定させるために下部がドングリのように尖っています。撚糸を土器表面に回転させた模様がついており、彩色されていません。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 縄文土器 弥生土器 須恵器 奈良三彩 宋時代青磁 宋時代白磁 |
(2) 中世・近世の陶磁器 |
12世紀後半、武士が政権を獲得すると、陶器の世界に変化が起こります。武士は自分の勢力圏に鍛冶場を作り、そこで陶器の製作をしました。中世の窯場に「六古窯」と呼ばれる焼物があります。六古窯は瀬戸焼、常滑焼、越前焼、信楽焼、丹波焼、備前焼で、近隣には名刀を製作した鍛冶場がありました。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 瀬戸焼 信楽焼 楽焼 織部 美濃焼 初期伊万里 |
(3) 江戸時代の陶器の展開 |
ここで江戸時代の陶器の展開を話します。
陶器は大きく分類すると茶陶、雑器に分けることができます。さらに茶陶は京都の公家・町人系、武家系に分けることができる。京都の茶陶作家の系譜を見ると長次郎、本阿弥光悦、野々村仁清、尾形乾山、永楽和全・保全、奥田穎川、青木木米、仁阿弥同八などがいます。京焼作家は作家ごとに強い個性を持つ特徴があります。一方、武家の茶陶は「遠州七窯」が代表的な窯です。志戸呂焼(遠江)、膳所焼(近江)、赤膚焼(大和)、朝日焼(山城)、上野焼(豊前)、高取焼(筑前)。「骨董講座 茶道」で話しましたが、七窯はお茶の生産の盛んな土地です。
成形・備前焼 刷毛目・現川焼 絵付け・九谷焼、薩摩焼 象嵌・八代焼
これに藁灰釉、鉄釉、緑釉など色とりどりの釉薬を掛けて、陶工たちは作品に表情を持たせました。 |
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(4) 日本陶器の特色 |
最後に日本陶器の特色を時代ごとにまとめておきましょう。縄文時代は渦巻き型の円形、弥生時代は安定型の方形が基本。縄文土器は立体彫刻的、感覚的で、弥生土器は平面的、観念的です。日本は自然が豊かで変化に富んでいるので、縄文人は体感で土器を製作しています。同時代の中東や西洋の土器を見ると、体感的な土器よりも彩文のある観念的な土器が多いことに気づきます。そこに騎馬民族が使用した須恵器が入ると、日本陶器の基本形が揃います。縄文土器は雑器ではなく祭器として製作されましたが、弥生土器以降、土器、須恵器は一部を除いて生活用具の側面が強くなります。 |
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