このページは2019年11月2日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。 |
はじめに |
1980年代、中国の総書記・鄧小平が改革開放政策を行うようになった頃から中国の近代化が始まります。その時期、中国の都市では道路工事などのインフラ整備が行われ、土中から古代や中世の古美術品が発掘されるようになります。発掘された古美術品は中国本土から香港に運ばれ、1996年、香港が中国に返還されるまで古美術品は世界中に拡散しました。。その後、古美術品の輸出は規制されますが、近代化が進んだ中国の市場が隆興、古美術品は高値で取引されるようになります。1998年にオープンした仙遊洞は当初、中国の古美術品を扱う店から出発しました。それから20年、日本と中国の経済状況は大きく変っています。今回は、中国の古美術品を鑑賞する基礎として「中国の古美術と文化」についてお話しします。 |
第62回 アンコール講座⑦『中国の古美術と文化』 (1) 中国とは何か |
中国とはアジア大陸東部に広がる地域です。 |
(2) 中国の陶器 |
英語で陶磁器のことを『チャイナ』と言います。これは中国が西洋人にとって陶磁器の国だからです。漆は『ジャパン』であることは皆さん、ご存じでしょう。 |
アンダーソン土器 大汶口土器 青銅器(殷) 甲骨文字 白玉(商) 灰釉壺(戦国) 兵馬俑(秦) 緑釉壺(漢) 金製品(唐) 陵墓 龍門石窟
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(3) 中国陶磁器の展開 |
ここで簡単ですが、中国陶磁器の発達について話をしましょう。先ほど話したように、中国は民族の攻防が激しい国なので、国や皇帝が変わると陶磁器の様相も大きく変わります。
歴史を見ると、漢民族と北方の騎馬民族が交互に政権を担っていたことがわかります。五胡十六国、元、清などは北方民族なので、漢人は他民族に支配されていたことになります。中国の庶民は政治さえ安定していれば皇帝がどの民族でも良かったようです。清朝時代、中国人は辮髪をしていましたが、これは女真族の風習です。中国人は清が国を安定すると、女真族の風習を取り入れて自分たちの文化に作り変えました。 |
(4) 中国文化考 |
中国が日本文化に及ぼした影響、日本が中国に及ぼした影響について考えてみましょう。
【1】 中国人と日本人の大きな違いは、歴史観にあります。中国は前政権が滅びると、後の政権が前政権の歴史書を編纂します。それをするのが新政権の義務です。その結果、中国人は文章で自分たちの歴史を確認することができます。一方、日本人は歴史に疎いので時代ごとに都合のよい歴史書を編纂します。江戸幕府が成立して武家政権が強化されると、公家の力は脆弱なものとなりました。それが明治時代になると逆転する。中国では民族の交代が政権の交代に繋がりますが、日本は同一民族志向が強いので、政権の交代が曖昧です。中国では前王朝の関係者を政権に残すことはありませんが、日本人は幕臣の多くが明治政府に鞍替えしています。
【2】 文章で歴史を残す中国人ですが、内戦で多くの文物を失う癖があります。最近では文化大革命で清朝などの文物がブルジョア的だと破壊されました。日本でも廃仏毀釈がありましたが、中国ほど徹底的に物を壊しません。正倉院にある唐の文物、空海が日本に持ち帰った密教法具、茶道家が大切に守ってきた天目茶碗など、本国に残っていない文物が日本に残っています。抹茶道具など、本場であった中国には存在しない。日本人は文よりも物を残す癖がるので、このような現象が起こるのです。古代、地中に埋葬した物は別にして伝世と呼ばれる文物が少ないのが特徴です。その結果、北京に故宮博物館よりも台湾の故宮博物館の方が充実している。 |