このページは2018年10月6日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。

第51回 古美術と社会学シリーズ⑪ 「古美術と現代メディア、GAFA」
(1) メルカリとフェイスブック

メルカリは山田進太郎(1977年~)が作ったフリマアプリの会社です。2017年6月20日、東証マザースに上場しました。 公募価格の3000円の初値が5000円となり、投資家の期待のほどがうかがえます。メルカリは1日で7000億円を入手したことになります。 山田は大学在学中、楽天のインターンとして、楽天オークションの立ち上げに参加、その経験を生かしてメルカリを立ち上げました。 彼が成功した大きな理由はパソコンよりもモバイルに目を付けたことです。不用品を少しでもお金に換えたいと思うのが人間の心理。 最近、ゲーム依存症が病気であることが認定されましたが、スマホのゲームが虚構性を含むものであれば、メルカリは心理学をうまく利用した社会的で現実的なアプリです。
スマホがなかった年前、ECコマースの主流はヤフオクや楽天オークションでした。ヤフオクとメルカリの違いは、価格交渉をした後、双方の合意のもとで売買が行われることです。 ネット・オークションの場合、相手が誰か不明で、入札はたくさんのIDを持つ一人の人がテコを入れることが当たり前になっています。 これではオークション自体が成り立たない。その辺の欠陥をメルカリがカバーしたと言えるでしょう。
7月25日、アメリカでフェイスブックの株価が20%下落しました。これはダウ史上最も大きな下落です。 フェイスブックは今期、最高の売り上げを発表したばかりだったのですが、フェイスブックを含め、株価が下落したのはSNSが拡大に陰りが見え始めた証拠です。 今春、フェイスブックの画面にやたら広告がアップされるようになりました。自分が見たいと思う画面に大量の広告が無断でアップされるのですから不愉快極まりありません。 それで私もフェスブックを利用するのを止めました。 フェイスブックは言論ではなく広告中心のメディアに変容し、アカウント数を水増ししたり、個人情報を大量に外部に流出させました。 拡大路線を辿ってきたSNSも過渡期を迎えているのかもしれません。
メリカリとフェイスブックについて話をするのは、商取引の方法がネット通販、ネットオークションによって大きく変わったからです。 宅配便の人材不足もこれらの社会現象の一環です。 このような商取引のシステムはアメリカアップル、グーグル、アマゾンなどの巨大な企業がIТ技術を使って構築、主導してきたものです。 最近、アメリカではアマゾンの進出などによって地域の小売店が閉鎖に追い込まれ、社会問題となっています。 IТ技術やSNSは便利ですが、一方で問題を起こしています。しかし、アメリカ文化やIТ技術、SNSを妄信する日本人はその弊害について考えません。お気楽ですね。
一般的に商品の価格は需要と供給の関係で決定します。企業の広告の露出度が多くなると、消費者はマス・メディアを信じて大企業寄りの発想に陥ります。 これでは企業が設定したか価格が主流となる。アメリカは建国当初からマス・メディアをつかって世論を形成してきました。 現在でも商品価格の決定には電通や博報堂などの広告会社が影響力を持っています。現在、アメリカでは通販サイトのアマゾン(1994年創業)が価格決定権を獲得しつつあります。 実際にその影響を受けてJCペニーやメイシーズ、トイザラズなどの小売店がモールから消滅、同時に地域コミニティを失う現象が発生しました。
マス・メディアが価格の決定権や小売業の生存権を握るようになると消費者の選択は狭められます。 このような状態が進んでいくと古美術商の世界でもネット通販が主流になり、骨董市や小売店が減少するでしょう。果たして仙遊洞はこの先、生き残れるのか。 それが今日の主題です(笑)。

       

(2) マス・メディアと情報、個人的価値観

私は現在の状況が民主主義を信奉した第二次世界大戦後の状況に似ていると考えています。 物質的には逆ですが、日本人の感性や感覚は迷走しつつあります。 「そうではない」と考える人もいるでしょうが、そのような人は裕福か、社会状況に疎い人です。バブル経済がはじけた時のように、SNSやIТの問題これからが表面化するでしょう。
戦後、日本はアメリカの民主主義を受け入れましたが、現在、日本人が受け入れているのは極端な個人主義です。 これまで社会的に生きてきた日本人がアメリカ型の個人主義を受け入れられるかどうか。 私は無理があると考えていますが、IТ業界とマス・メディアが派手に立ち回っているので、それを妄信する日本人もたくさんいます。
十数年前、世間で「人それぞれ」という言葉が流行しました。意見を口にすると、「人それぞれの価値観があるのだから」という言い方を返されました。 それがSNS、ネットの拡大と共に極まった。SNSによる個人主義の拡散です。 ツールは自己顕示に持ってこいなので、多くの人々がSNSを使って自己表現を行っている。一億総マス・メディア模倣の時代の始まりです。
IТが日本に上陸した2000年頃、六本木ヒルズ族が登場、彼らは先端技術を駆使して新しい産業を創出しました。 SNSが登場した頃から建築の世界ではタワーマンションブームが起こり、東京にタワーマンションが次々に建てられるようになります。 以前は日本人は庭付きの一戸建てに憧れていましたが、現在は通勤の便利な場所にマンションを買うことが流行している。 マスコミで「住みたい町ランキング」というのがありますが、これを見ると武蔵小杉、大宮など、タワーマンション開発が進んでいる地域が「住みたい町」にランクインしている。 そのような状況を作り出しているのが、不動産業に乗り出した広告会社です。 タワーマンションブームはアメリカ型の文化を拡散させようと目論むIТ、SNS、商社、不動産、マス・メディア、広告業が一体となって町の開発商品です。 最近、アンティークの町と言われている西荻も人気があるようで、住みたい町ランキングの89位。これもマスコミの影響ですね。
ところで皆さん、若者の間で使われている「つながり孤独」という言葉を知っていますか?
「つながり孤独」とはSNSは利用しても他人から無視される感覚を持つ人たちの孤独感です。このような感覚は特にSNSを利用する若者の間で広がっています。 SNSを利用してもリアルに人とつながっている感じがしない。SNSでたくさんの人と知り合いになった割に人との触れ合いが乏しくなるという現象が発生しています。
古美術の世界にもこの現象が起こっています。以前は店主とお客様の会話があって古美術品の商取引が成り立っていた。 しかし、最近は商品をネットで買い、それにまつわる話、映像をネット上に投稿します。だけど、誰も見てくれない。 インスタグラムが物珍しかった時代、みんな、それに夢中だったのですが、インスタ映えも現在は過去のもの。リアリティがないので飽きてしまう。
また、ヤフオクでは以前、買った古美術品を法外な値段で出品している人やオークションに出品した商品をテコ入れする人が増えました。 自作自演をしても誰も無関心。現在は田舎の骨董屋さんも商品不足で、客の要望を聞き入れてヤフオクに商品をアップしますが誰も見ない。 だから、同じ商品が何度も再出品される。
古美術品の収集家がSNS内で「つながり孤独」者になっています。

     

(3) ちぐはぐな価値観

明治時代以降、欧米文化を取り入れるようになった時代に日本人の迷走が始まりました。 表面的には欧米文化を取り入れるが、底の浅い鹿鳴館文化のようなものが出現します。 和風文化もあるのだから、それを洗練すればよいものを欧米文化を妄信する。 現在の日本のIТ、SNS文化を見ると、日本人は昔とまったく変わっていません。 鹿鳴館時代と同じようにアメリカ文化を妄信している。しかし、このようなことをいうと「人それぞれの価値観があるので良いじゃないか」とクレームを言われるのが落ち。 沈黙することが賢明ですね。
最近、古美術品を処分したいという人が多くなりました。「歳を取ったので収集品を処分したい」が理由です。 以前は古美術品を欲しい人が多かったので、商取引も活発でしたが、現在は処分する人の方が多く、需要と供給の関係が崩れたので相場も曖昧になってきました。 古美術に限らず、どの領域でも定価が消滅、オープン価格になっています。これでは相場、価格設定を独自に行うことしかできない。 かといって、勝手に高価な値段をつけると「つながり孤独」感を味わうことになる。 つまらない物にも高値が付くので、価格設定をするのが難しい時代になりました。反対に良い物も安く買えるのは良いのですが……。
このような経済状況になった理由は日銀の経済政策の失敗にあります。 企業の「内部留保」が横行し、市場に現金が出回らない。以前は景気と商取引が一致していま
したが、最近はいくら好景気だと言われても実感がない。物の価格と実態がかけ離れているのですね。 「内部留保」が盛んな現在の日本企業は消費者を見るというよりは企業内の人間関係が一番のビジネスになっています。 だから健全な市場が形成されない。「内部留保」と市場に出てこない金融緩和のお金が日本経済にいびつな市場を生み出したようです。
日銀のような専門家でも物価の操作は難しいのだから、一般人が価値を決めるのは難しいでしょう。 それで素人が「この物の価格や価値はどのように決めればよいのだろう」と考えてSNSやネットで価値を探索すると、マス・メディアの罠にはまる。 安物買いの銭失いが発生するという訳です。ちなみに私は飲食店を紹介してもらう時、口コミで店を紹介してもらうことにしています。ネットで調べて行った店で当たったためしがない。このような状況を分析すると、SNSやマスコミに露出している情報量は多い割に、価値観を決定するのが難しい世の中になっていることがわかります。無駄な情報は無視すればよいのですが、情報処理能力を超える情報があり有効な情報を見逃してしまう。それが現在の日本人の情報取得の実体です。
なぜ、今回のような骨董講座をやっているかというと私自身、長年やって来た古美術の価値観に揺らぎを感じるからです。 消費者が商品を選択する行動パターンがマスコミ情報によってゆがめられている。例えばマスコミが作った小鹿田焼と壺屋焼の人気を見ると理解できます。 「生活に美を取り入れましょう」という雑貨屋の宣伝に乗せられて、美ではなく情報の中で生活している。 私は小鹿田焼も壺屋焼も好きですが、マスコミが垂れ流す民芸品の宣伝にはへきへきします。
このような傾向は素人の古美術商、雑貨屋がSNSを利用するようになって拡大しました。「個人主義」、「自己実現」と言いながら、マスコミ情報に踊っているだけです。
アメリカには古代や中世、近世の古美術品はありません。あるのは近代と現代の模倣品。 本当に価値があるかどうかではなく、つまらない物でもマス・メディアをつかって価値あるものに仕立て上げるのがアメリカです。 ですから極端に言うと今日の小鹿田焼ブームは民芸というよりはアメリカ文化の模倣ですね。
冷戦時代、アメリカは自由主義、民主主義を売り物にして武器を売っていました。が、現在、アメリカが売っているのは個人主義、SNSです。 これが功を奏して世界中、アメリカ文化に侵食されています。それは物を消費するより情報を処理する文化、記号的文化です。 そこには人対人のコミュニケーションではなく、SNSの情報で価値を決める危機が潜んでいます。 かつてネット通販さえあれば古美術店など必要ないと考えているアメリカ文化の妄信者が大勢いました。 私は右翼ではありませんが、極端にアメリカ文化に追随するのには問題があると考えています。

           

(4) IТ、SNSの幻想

フランスは町の書店を守るため、アマゾンが配送料を無料にすることを禁止しました。それでアマゾンの小売価格が同じになり、町の書店も維持できるようになった。
しかし、日本はアメリア追随なので、そこまで規制をかけません。フランスのように本屋の文化を守ろうとすれば、「自由を束縛する規制だ」とクレームをつけられるでしょう。 「自由」をいう言葉を出せば、何でも理屈が通ると思っている日本人は浅はかさですね。アメリカは個人主義なので、町の景観や環境よりも自分の価値観を優先します。 日本人は昔から環境を大切にして生きてきた民族なので、アメリカ文化の追随だけでは満足できないはず。もう、しばらくすると日本人はSNSに飽きることは確実です。
ところで、7月末の新聞やニュースで「日本人の若者の6割が家族といてもスマホを操作している」という結果が発表されました。 調査はアメリカ、中国、韓国、日本で行われたのですが、日本と韓国が家族を無視してスマホを触る傾向が強いようです。 また、この調査では子供が親と話そうとしても、親の方が子供とのコミュニケーションを拒否する傾向がある事もわかっています。 他の調査では小学生の7割近くがスマホを持っていることが判明しました。問題はSNSやスマホの拡大ではなく、その利用方法です。 コミュニケーションを取るツールであるスマホを使うので、親子のコミュニケーションが不足していたのでは本末転倒。 長い目で見ればスマホの利用、ネットの検索よりも人間同士のコミュニケーションの方が実力が付くのは間違いありません。 家のローンに追われ、長時間労働をしているような状態では親子がコミュニケーションを取る時間はおぼつかないのですかね。
このような現象は一般家庭で起きていますが、金持ちは安泰という社会格差が固定される状況も発生しています。 私はこれまでサブカルチャー的に古美術商を営んできました。 中間層でも楽しめる古美術品を扱ってきたのですが、最近は経済力のある無しがはっきりして中間層的な古美術ジャンルが消滅しつつあるように感じます。 豊かな人向けの古美術品か、経済力の無い人向けのSNSや雑貨、はっきり分かれてきました。悲しいのは経済力の無い人ほどSNSの情報に依存する傾向が強いということです。 「リア充」という言葉がありますが、あれはSNSでは到底、感じることのできない体験でしょう。IТが登場したからといって世界全体の生産力が向上したという報告もありません。 幻想はただの幻想にしか過ぎないのです。
現在の若者は経済力不足なのでSNSやIТに接している時間が増えているようです。若者に経済力があれば、もっと恋愛をするかもしれません。 恋愛にはお金がかかりますからね。一見、SNSをしていると充実感を得られるという勘違いが起こります。 虚構や情報と物の世界は全く別物なので、あまり依存しすぎると貧困への道が待っています。
最近、私はSNSやテレビに接すると不愉快さが増すことを発見しました。マス・メディアの質の低下を以前よりも感じるからでしょう。 有益な情報は増えていないのに、無駄な情報ばかりが目立つようになった。 「売れないものを売るのが商売、創造性のない物を創造的に見せるのがメディアなのだから仕方がない」と言えばそれまでです。 「良貨は悪貨を駆逐する」ではありませんが、SNSの質の悪い情報に接していると頭がおかしくなってきます。それよりも静かに良質な古美術品に接している方が楽しいですね。
今年、私は58歳、美術に関わるようになって40年が経過しました。自分の人生を振り返ると私は自分は美術的体験や経験から成り立っていることに気づきます。
長い期間、古美術や美術に関わり、様々な体験をしました。 経済を優先すればサラリーマンになった方が稼げたでしょうが、経済力よりも自分の好きな道を優先しました。と、いうより美術以外に他の道がなかったことが大きい。 意外と不器用だったことが古美術商として幸いだったのかもしれません。
最近の若者は情報過多で自己実現が容易に叶うような感じを持っているのではないかと感じます。 それが虚構であることに気づけないのが若者だと言ってしまえばお終いですが、歳をとっても若者と同じような文化レベルしか持っていない人も多い。 幸い、古美術を収集しているお客様は文化レベルが高いので接していると安らぎます。だから、古美術商は止められません。皆様、これからも仙遊洞をよろしくお願いいたします。

     

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