このページは2014年2月1日(土)・8日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。 |
第5回 『朝鮮半島の古美術・文化』 (1) 有史以前の朝鮮半島 |
『朝鮮』の名称が初めて現われるのは漢代に記された『管子』で、紀元前7~6世紀頃の朝鮮(平壌周辺)の様子が記されています。当時、半島に住んでいた人々は、沮(ショ、ソ)と呼ばれていました。沮には『阻む』という意味があり、中原に住む人々は、行く手をはばむ太白山脈で移動を止めました。後に朝鮮人は沮を、海から日が昇る意味の朝(チョ)貊貊に変えます。朝鮮の鮮は濊(ワイ)を表わす魚と、貊(ハク)を表わす羊から成っているので海洋民族と騎馬民族が混血して朝鮮族を形成したことがわかります。 |
![]() ![]() ![]() 松菊里古墳 支石墓 武威市遺跡 |
(2) 古代の朝鮮 |
3世紀になると朝鮮半島は高句麗、百済、新羅、伽耶の四つの勢力に統合されます。檀君は朝鮮の始祖と考えられていますが、高句麗の始祖は朱蒙(解、高氏)、百済の始祖は温祚(朱蒙の子)、新羅の始祖は赫居世(キャクキョセ、新羅語バルクヌィ)と金閼智、伽耶の始祖は金首露です。金閼智は前述の金日智に似ているので、新羅の始祖は金日智でしょう。 |
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(3) 李氏朝鮮(1393年~1910年) | |
高麗王位を簒奪した李成桂は明の洪武帝の命令で、国号を『朝鮮』とします。この時、『朝鮮』と『和寧』の候補があったのですが、洪武帝は『朝鮮』を選びました。日本では一般に李朝と呼びますが、韓国内では単に朝鮮と呼びます。
李氏は唐の末裔の鮮卑族(女真族ともいわれている?)なので、高麗朝の人々は政権を簒奪した李朝を蔑みました。日本で言うと、豊臣秀吉が天下を統一したようなものです。
【1】建国から威臣・勲臣が高官を占める時代(1393年~1567年)
対外的にみると、
【1】に起こった歴史的事件で特筆すべきは、ハングルを制定した第4代世宗(1397年~1450年)による仏教弾圧、田制改革による中央集権化への取り組みです。
【2】の時代にあたる桃山時代、日本に来た朝鮮通信使は秀吉が職人に『天下一』を授与しているのを見て『野蛮』と記しています。文人国家では職人に対する差別が激しい。ですから、江戸時代初期、帰国が許された朝鮮人のうち学者たちは帰国したが、陶工はほとんど帰国しなかった。日本に渡って来た陶工たちは、その後の日本の陶磁器を発展させました。この時期、李朝白磁は渓龍山から広州に移ります。
【3】の時代(19世紀)に入ると蕩平政治は崩壊し、それを支持していた勢力は一掃され、外戚による僻派の勢道時代が始まります。同時に18世紀末、朝鮮半島に伝わったキリスト教の弾圧が激化、辛亥邪獄(1801年)では3万人の犠牲者が出たといわれています。 |
(4) その他の朝鮮文化 |
高麗茶碗
民画
建築
この後、『韓国人は自然を重んじるので、歪んだ松材をそのまま使って家を建てていた』、『韓国人はリラックスするため、笑いをとるために変わった陶磁器を作る』、『大韓民国の酒量は世界一になった』、『ビビンパは祭祀の食事なので、赤いトウガラシを入れない』、『チジミにはマッコリが合う』、『日本のラーメンは塩辛すぎる』など、文化、食について話を聞きました。我々の韓国観は呉さんの話を聞いて驚き、知的好奇心を満たされたと思います。最後になりましたが、呉さん、骨董講座の先生を引き受けていただき、ありがとうございました。いつか、スペシャル対談にお招きしますので、その時はよろしくお願いいたします。 |
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