このページは2018年6月2日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。

第49回 古美術と社会学シリーズ⑨ 「古美術商のワークショップ、西荻の変容」
(1) 「骨董講座」を始めた理由

今日は西荻で行われているワークショップの話です。私が「骨董講座」を始めたのは今から5年前、2013年。年月が流れるのは早く、最初は3年で辞めようと思っていたのですが、お客様からのご要望もあり5年間、続けています。ありがたいですね。
日本人の気持ちに大きな変化が起こったのは2011年に起こった東日本大震災の時。1995年の阪神淡路大震災でも日本人は衝撃を受けましたが、東日本大震災の悲劇を一層、大きくしたのが福島第一原発の事故です。それまでの経済最優先の日本人は経済成長を支えてきた東京電力への信頼が失った。日本人は、この事故で再び原子力の恐ろしさを再び思い出し、しばし忘れていた「無常観」を思い出したようです。
当時、政権は民主党が担当していました。これが悲劇をさらに拡大させる原因となった。無能な首相が先頭に立ったばかりに事故が拡大した。自民党なら、もう少しましな対応ができたはずです。現在の民主党の状況を見れば、彼らがどのような集団だったか理解できるでしょう。烏合の衆です。安倍一強政治を作ったのは、無能な民主党だったことがわかります。
東日本大震災以降、日本人はモノよりもコトを中心に考えるようになります。古美術品の収集を控え、人間関係の充実を模索するようになった。それまで威信材的な古美術品を収集していたのに、大震災以降、自分の好きな古美術品を素直に収集するようになり、他人の収集品への興味を急速に失った。また、パソコン、インターネットの拡大が他人の趣味、収集品への関心を薄れさせた要因になったようです。
他人の目を気にするよりも、マイ・ブームが到来した訳です。
また、ヤフー・オークションやインスタグラムなどのSNSを使って市場が形成され、店主と収集家の関係も薄まった感じがします。それまで骨董屋に行って店主と顧客が直接取引していた状況が、骨董屋にいかなくても商品が購入可能になった。その代り、宅配業者が大忙しです。
私が「骨董講座」を始めた4年前、多くの古美術収集家がヤフオクで収集品を手放していました。ですから当時はヤフオクの中で多くの掘り出し物を見つけることができた。現在はそれも一段落して、以前よりも市場に商品が出てこなった感があります。私は商売人ですから、3年前まで収集家から放出された古美術品を大量に買っていましたが、現在はヤフオクを見ることもなくなった。ヤフオクを見ていても時代が変わったことが分析できます。
今はメルカリが人気ですかね。
東北大震災で日本人のメンタルが変わると消費行動、価値観が一変します。震災の影響で高額商品を購入する人が減りました。震災だけではなく、「団塊の世代」が退職して現金収入が少なくなったことにも一因でがあります。「団塊の世代」の購買力は凄かったですから。良くも悪くも「団塊の世代」のパワーが日本経済を支えていたことは間違いありません。
2011年以降の状況をまとめると古美術業界は、①収集家の価値観、消費行動が変わった。②「団塊の世代」がリタイヤして高額商品が売れなくなった。③ネット・オークションが普及し、コレクターの購入方法に変化が起きた。④ネット・オークションに偽物が大量に出回り、本物の価格を押し下げてしまった。⑤従来の美術の好みに下の世代が反応しなくなった。
⑤に関してですが、以前は美術館は有名な作品を購入するために経費をかけていました。東京都現代美術館がリキテンシュタインの「泣く女」を4億円で購入した時、適正価格がどうかの批判が起こりました。最近は、4億円あれば若手の作家の資金を提供して作品を作らせる傾向があります。それで成功したのが金沢21世紀美術館。また、日本各地で行われている美術のビエンナーレ、トリエンナーレも新しい手法の展覧会です。

           

(2) 西荻の変容

私が「骨董講座」を始めた頃、西荻には新しいタイプの雑貨屋さん、カフェ・ギャラリーがたくさん登場しました。逆に昭和レトロの店がなくなり、現代物を扱う雑貨屋さんが増えた。セレクト・ショップという言葉が流行したのも、その頃です。
町を歩くと本屋さんなどに人が集まっている。何だろうとのぞくとそこでワークショップをやっていた。
ワークショップとは「英語では仕事場、作業場、の意味。講師の話を参加者が一方的に聞くのではなく、参加者自身が討論に加わったり、体を使って体験したりするなど、参加体験型、双方向性のグループ学習。受け身型学習からの転換・脱皮として、日本でも1980年代後半以降、演劇、ダンス、美術などの芸術分野で盛んに行われるようになった。例えば、劇団青年団を主宰する劇作家で演出家の平田オリザは90年代以降、日本各地で、彼自身の演技メソッドを体験型で教えるワークショップを数多く行ってきた。ワークショップは、芸術分野以外にも、学校教育、企業研修、住民参加の街づくりなど、多彩な領域で行われている。 (知恵蔵)」です。
この定義に従うと、一応、仙遊洞で行われている「骨董講座」も教育の意味があるのでワークショップと言うことになります。渋谷に「日本骨董学院」という「骨董講座」を開催している学校がありますが、日本骨董学院と仙遊洞の骨董講座の違いは、仙遊洞の骨董講座は、骨董の概念を解説する講座ではないということです。仙遊洞の講座は古美術、骨董と他の領域の関連性、関わり方を考察する講座となっています。だから、今回のように「古美術とワークショップ」という無謀なテーマを掲げることができます(笑)。
参加者の方から「こじつけが多いですね」と言われますが、個人の体験をもとに「骨董講座」を開いているので話題が偏ってしまうのは仕方がないでしょう。専門的、学術的な美術や古美術の講座を聞きたければ美術館や博物館で開かれている講座に参加されることをお勧めします。私が骨董講座を開いている理由は、美術館や博物館で聞くことのできない身の丈の講座を体験できるようにしたかったからです。学術と古美術収集家の感じる美術観には大きな隔たりがあります。博物館で「ネットオークションに出品されている骨董品の真贋の見分け方」の講座など絶対やりませんからね。
西荻に来て30年ですが、この町は大きく様変わりしました。80年代後半、西荻には銭湯、豆腐屋さん、定食屋さんなど生活に密着した店が残っていた。それが2011年以降、東日本大震災以降、急に変わり始めた。八百屋、魚屋、酒屋さんなどが消え、そこに新しいアパートが建設されています。かつて、仙遊洞の周りは生活感のある商店でしたが、現在はおしゃれな雑貨屋さんや飲食店が増えました。それと共に、町内会のつながりも希薄になりつつあるような感じがする。以前は仕事の後、酒屋に行くと「今日は仙遊洞さん、儲かったのですね」と声をかけて貰っていましたから。最近、西荻南口の商店街におしゃれな雑貨店が増えて、おひとり様女子御用達「乙女ロード」と呼ばれています。これは西荻に東京女子大学があるイメージで命名されたのかもしれません。
このような町の変容を観察していたところ、社会学を専攻している大学生の息子が「西荻のワークショップの実態調査をしたい」と言い出しました。最初は軽い気持ちでアドバイスしていたのですが、店舗を廻るうちに「アンケート調査だけではなく、実際にワークショップマップを作ってみたらどうか」という話を聞きました。マップを作ることは経験の浅い大学生だけではできないので、仙遊洞が巻き込まれた形で現在、マップ作りに励んでいます。マップがどのようなできるかどうかは不明ですが、なるべくお洒落なワークショップマップを作ろうと考えています。もし、ワークショップマップが西荻に登場したら、骨董講座に参加している皆様も、あの時、話していたマップだなと思い出してください。

       

(3) 西荻のワークショップの実体

西荻で開催されているワークショップは様々です。仙遊洞などで行われているトークショーは本屋、レストラン、雑貨屋さんで開催されています。また、クラフト系の雑貨屋さんでは小物つくり、花屋さんではフラワーアレンジメントなどが行われています。2013年頃から西荻にはカフェ・ギャラリーが増えたのですが、カフェに行くと作品を眺めながらゆっくりとティータイムを楽しむことができます。また、現在は西荻文化の象徴の一角を担っている「ほびっと村」などでは太極拳、ヨガなどの教室が開かれています。
ワークショップマップマップのアンケート調査票を配って歩いていた時、カフェ・ギャラリーにも調査票を配ったのですが、「ワークショップマップ」に「アート」を加えた方がカフェ・ギャラリーの人にマップを作る趣旨が理解しやすいのではないかという指摘があり、途中から「西荻ワークショップ・アートマップ」アンケート調査票に変更しました。現在、仙遊洞は大学生4人とマップ作りをしているのですが、すべが初めてのことなので皆、手探り状態で活動しています。店舗を廻ってアンケート調査票を配ると、各店舗で対応がまったく異なります。しかし、ほとんどの店の方がアンケート調査票に答えてくださり、マップ作りに賛同してくださる方も多いので、西荻の文化レベルの高さを実感できます。
最近、東京の各町に観光マップや居酒屋マップはあるのですが、もしワークショップ・アートマップが実現したら、東京でも珍しいマップになるのではないでしょうか。
骨董やアンティークに目を向けて町の変容を考察すると、最近は昭和レトロな店が消えたことがわかります。1980年代後半、私が西荻に来た頃にはアンティークマップを最初に考案した「アーバン・アンティーク」さんなど、昭和レトロやビンテージ物を扱う店がたくさんありました。ここ30年間を振り変えると、多くの店ができては消えて行ったことを思い出します。仙遊洞が開店した1998年頃、この通りはアンティーク通りと呼ばれていて、店の前の和菓子屋さんでは「アンティーク通り」という和菓子が売られていました。当店では開店当時、お客様が来ると「アンティーク通り」をお茶うけにしていた。今では懐かしく「アンティーク通り」の味を思い出します。
西荻に古美術商、アンティーク屋さんが一番、多かったのが2000年代です。1994年に始まった「何でも鑑定団」の影響もあって骨董品が身近になり、2000年頃、古美術品、アンティーク、昭和レトロな物に注目が集まりました。当時は、各地の神社、イベントホールで開かれる「骨董市」も盛んで、骨董業界全体に活気がありました。ネットが普及してヤフオクが一般化する前ですね。骨董業界の活気は2008年のリーマンショックまで続いていたような気がします。しかし、さっきお話したようにネットオークションの普及、リーマンショック、東日本大震災で骨董業界は様変わりした。
骨董業界だけではなく、日本の社会構造も大きく変化したのではないでしょうか。世界的に見ると、中国人の活躍が目立つようになり、日本社会にも外国人の労働者が増えました。コンビニやスーパーで働く外国人労働者に違和感は感じません。
最近、仲の良かった友人の店の閉店が続いています。骨董屋さんだけではなく馴染みの飲食店も消えてしまった。私としては寂しい限りですが、その後は若い人の経営する店が新しくできて町の表情を作っています。
ところで2017年秋、外国の雑誌にでも紹介されたのか、一時、西荻に外国人観光客が来るようになりました。政府は2020年のオリンピックで日本を観光立国にしたいのでしょう。オリンピック後、東京は今よりも大きく変わるような気がします。
西荻に雑貨屋さんやカフェ・ギャラリーが増えたと言っても1970年代から存続している老舗もたくさんあります。居酒屋の「戎」さん、自然食野菜を販売している「ほびっと村」さん、骨董屋の「伊勢屋」さん、器の「魯山」さんを始め、多くの店がいまだに健在です。私は老若男女の文化が混在する多様性のある町の方が面白いので、古い店や新しい店が併存した方が楽しいでしょう。それが西荻文化となれは良いですね。

         

(4) これからのワークショップ

フェイスブックやインスタグラムが普及すると、自分のコレクションをSNSにアップする人が増えました。ネットの普及で古美術品、アンティークに接する機会も拡大し、ヤフオクを見ればいつでも誰でも骨董品を購入することができます。だからといって、ヤフオクに出品されている商品が良質かどうかの話は別です。ネットには高額商品はアップされないし、商品は信用のおける店舗に行って実際に見てから購入する人も多いようです。
毎回、「骨董講座」に参加していただいているKさんは「店で骨董品を買う」、「露店市で民芸品を買う」、「新しい陶芸屋さんのイベントに参加する」、「作家を訪ねる」、「仙遊洞から教えてもらった西荻の飲食店で食事をする」、「美術館・博物館に足を運ぶ」など、様々に行動されています。Kさんは現役を退き、年金生活で古美術とつき合っていらっしゃいますが、Kさんの取集は独自のもので新しい古美術、骨董品とのつき合い方を示していると思われます。昔のコレクターは店にも露店にも骨董市にもよく出かけていました。唯一、コレクターがあまり行かなかったのは美術館・博物館だけでしたね。
最近、多くの店舗で「物が売れない」という声を聞きます。それは日本社会がモノからコトに接する文化に変容しているからではないでしょうか。
時代によってブームは去り、古い文化は消滅しますが、それがまた復活を遂げる場合もあります。アニメ人気によって復活した日本刀ブームの再来などはその一例です。戦前まで古美術品と言えば、武具、茶道具、鑑賞品でした。それが日本が敗戦すると武具の人気が衰えた。しかし、外国人が日本文化に注目するようになると、再び日本刀に注目が集まるようになりました。
一部の茶道は盛んですが、戦後、大量に出現した茶道教室などは壊滅的な状態に陥っています。茶道教室に若者が通わなくなったことに原因があります。茶道もアニメ化されて人気を博すようになるとブームが再来するかもしれません。そのためには「侘び」や「寂び」の概念を外国人にわかりやすく解説する必要があるでしょう。ちなみに西荻南口にある抹茶スタンド「サテン」などは新しい日本茶の概念でお茶を楽しめるような店となっています。機会があれば足を運んでみてください。
私が体験したのは1980年代の伊万里・民芸ブーム、1990年代の中国古美術・李朝ブーム、2000年前後の明治・大正・昭和レトロブーム(印判、氷コップ、切子コップ、ウランガラス、絣など)、2010年前後の古道具、着物ブーム、現在の雑貨、カフェ・ギャラリーブームなどです。
年代ごとに新しいブームが生まれ消えていきます。平家物語ではありませんが店舗にも「諸行無常」や「栄枯盛衰」があるようです。幸い、仙遊洞はお客様のお陰でいまだに健在。お客様とは楽しく交流させていただいています。
新しい雑貨屋さんでも面白い企画をしている店がたくさんあります。だから、西荻は飽きない。ちなみに仙遊洞周辺では約100メートルごとに美大卒の人が経営している店が点在しています。これではアンティーク通りではなく、美大卒通りだ。特に武蔵野美術大学卒が多いのは、西荻の特徴でしょう。
最後に西荻のワークショップについてユニークな話をして終わりにします。
仙遊洞の近くに「かがやき亭」という高齢者向けの集会場兼レストランがあります。ここでは毎日、「絵手紙教室」、「囲碁会」など年配者向けのワークショップが開かれています。ここを主催している方は近くの古美術商の方たちと団体を作って、井荻会館で季節ごとに「親子で楽しむ狂言」などのワークショップを開催されています。活動を見ると、地域とワークショップを考察するヒントになります。このような活動をしている方が地域にいらっしゃること自体が貴重ですね。
また、五日市街道沿いに「一欅庵」(昭和8年)という昭和初期の有形文化財があるのですが、そこでも「お茶会」や「手芸教室」などのワークショップが開催されています。建物自体も素晴らしいのですが、それを利用してワークショップをやっているのが西荻らしい。「一欅庵」は知る人ぞ知る西荻の文化財です。興味ある方は一度、ワークショップが開催されている時、訪れて見てください。これまで知らなった西荻に一面を感じることができると思います。
また、「遊工房アートスペース」は、独自の現代美術の展覧会を毎月、開催している西荻では穴場的なアートに触れることのできるギャラリーです。、「遊工房アートスペース」のようなギャラリーがあることが西荻の文化レベルの高さを物語っています。
最後になりましたが、仙遊洞と大学生4人が作る「西荻ワークショップ・アートマップ」が完成すると、もっと西荻文化について理解が深まると思います。ですからマップの完成を楽しみにお待ちください。このマップを製作することによって、西荻の良さを外部から来られるお客様たちに知ってもらえるようになると良いですね。

         

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