このページは2018年4月7日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。

第47回 古美術と社会学シリーズ⑦ 「古美術と現代美術」
(1) 古美術と現代美術の区分

先月、「古美術と有機農法」という奇妙な骨董講座を開きました。講座の趣旨は、手作りの物と工業製品の違いの話でした。最近の農作物の中には工場で生産される物もあります。今回の「古美術と現代美術」も、前回と同じような趣旨で進めます。 美術の領域で古美術と現代美術の区別は簡単にできますが、近代美術と現代美術の区分は意外と区分が難しい。特に現代美術が何かを定義するのが難しいのです。Wikipediaで、「近代美術と現代美術」について調べると、『一般に、時代区分の近代と現代には不変の境界が設けられることはなく、その時々の現代が時間の経過とともに近代に変化するという傾向が不可避であり、近代美術と現代美術の定義の曖昧さの大きな原因ともなっていると言える。芸術史的特徴を見ると「近代美術」の一部は教会や王侯貴族が美術の担い手だった時代の美術、「現代美術」は富裕層が美術の担い手になっている時代の美術という傾向も見出せる』とあります。ここに書かれているように、区分は「曖昧」。前述の話の後半は経済的な面から美術の区分をしているのですが、購入者側の理論で作品の定義にはならない。富裕層とは違う法人も美術品は購入します。このような状況では話が進まないので、私個人が考える近代美術と現代美術について、簡単な定義をしてみたいと思います。

① 近代美術はメディア(新聞、雑誌、テレビ)を利用せずに作品自体の質で価値が決まったが、現代美術はメディアの露出との関係で価値が決まる。これはウォーホール以前と以後として考察すると理解しやすいでしょう。SNSもメディアの一つですが、ジェフ・クーンズはメディアを利用して自分の作品の価値を高めました。現在ではユーチュバーの表現の中にも芸術的な物もあります。
近代美術は評論家、専門家、商売人などの論評によって作品の価値が決定されましたが、現代美術は商業取引が成立して初めて価値が決まる。言い換えれば素人が高値で買えば、その作品の価値が高まることになります。いくら評論家が「よい」と言っても、実際にお金を出す人の方が真剣です。これは価値観が多様化した証となります。現在、アメリカは好景気ですから無名の作家に大金を出す人も多い。金持ちほど他人の価値より自分の価値を優先します。Wikipediaに書いてある「現代美術は富裕層が美術の担い手になっている時代の美術」というのに当てはまります。

② 近代美術は作家自らが直接、作品を作っていましたが、現代美術は作家がアイデアやプランを出して工場や他人に作品をシステマテックに作らせる傾向が強いと言えるでしょう。作品が大掛かりになり、作家の手に負えなくなってきた。現在、美術館で見かける現代美術の作品は大作が多く、作家の技量だけで作品は成立しません。例えば、現代美術家の村上隆氏、ファッション・デザイナーの三宅一生氏などは、アイデアだけを出し、これを自分の工房で人を使って製作させ、最後に出来をチェックして自分の作品にしています。かつて、リューベンスや狩野派などは工房で作品を制作していましたが、それと同じです。このようなシステマチックな創作過程が、現在の現代美術の主流になっています。これは設計図を書いて職人に建設を任せる建築家に似ているかもしれません。

③ 再生産ができるかどうかが、近代美術と現代美術の違い。近代美術は模倣はできますが、オリジナルは再現できません。一方、現代美術は作家のアイデアに沿って技術者や機械が創作する傾向が強いので再生産が可能です。表面的には少し違ったとしても、作家がそれを自作と認めれば本物となります。変な話ですが、作家が認めれば本物という世界が出現します。古美術の世界では谷文晁の贋作の話が有名です。『文晁は鷹揚な性格であり、弟子などに求められると自分の作品でなくとも落款を認めた。また画塾 写山楼では講義中、本物の文晁印を誰もが利用できる状況にあり、自作を文晁作品だと偽って売り、糊口をしのぐ弟子が相当数いた。購入した者から苦情を受けても「自分の落款があるのだから本物でしょう」と、意に介さなかったという。これらのことから当時から夥しい数の偽物が市中に出回った(Wikipedia)』
現在は霊長類のクローンも製作できる時代ですから、3Dなどを使って、オリジナル作品の現代美術的コピーが可能になるかもしれません。実際に京都の寺院に置かれている重要な襖絵などはほとんどがコピーです。
以上、3つの視点から近代美術と現代美術の違いについて考察しました。これは古美術と現代美術の違いについても当てはまります。つまり、個人の手によって生産されたものが古美術、機械や工房で生産されるものが現代美術です。中には自分の手を使て作品を作る現代美術家もいますが、それは現在では稀な存在となっています。

           

(2) 陶磁器の世界の個性、無個性

この話を古美術、陶磁器の世界に当てはめて考えてみましょう。陶磁器の世界では、江戸時代初期になるまで、個人的な作家は登場しません。陶磁器関係で古い順番に名前が残っている陶工を上げると、沈壽官、李敬(萩焼・坂家の祖先)、李三平で、いずれも朝鮮の陶工です。日本の近世陶芸が朝鮮人陶工の渡来から始まったことがわかります。それを織部や遠州が和風デザイン化した後、有田に酒井田柿右衛門、京都の野々村仁清、尾形乾山など、日本人陶工が出現します。桃山時代、絵画の世界には狩野永徳や長谷川等伯などの有名画家がいましたが、なぜ、陶磁器の世界では作家が出てこなかったのか。それは、日本人が平面好きな民族であることと関係します。これは先月の骨董講座でお話しました。朝鮮と日本の陶工の違いは陶磁器に華麗な絵付けをするかどうかです。薩摩焼の沈壽官は時代を経るにつれ華麗な絵付けを行いますが、初期は無文の陶器を作っていましたた。茶道の千家は無文の茶器を頻繁に使用しますが、公家や町人などは野々村仁清など、絵付けや斬新なデザインが施された陶磁器と好みました。
古美術に目を向けると、渋い陶器や民芸が好きなタイプと絵付けをした伊万里焼、京焼、九谷焼が好きなタイプに分かれます。前者は身体性が強い縄文文化タイプ、後者は観念性が強い弥生文化タイプの人です。縄文人は狩猟・採集民なので単体で行動し、個性が強い。一方、弥生人は農作民なので集団行動を重んじます。現在でいうと弥生人タイプの人はサラリーマンということになるでしょう。
古民芸の陶工は伊万里焼の工房のように集団化していません。伊万里焼の工房では成形、絵付け、上絵付、窯場など、多くの技術者が携わって1つの作品を仕上げます。古美術品の中で個性的な作品が好きか、集団的な作品が好きかは個人の好みですが、その人の好みから逆にその人の人格を考察できるでしょう。古美術商は食べて行かなければならないので趣味の違いなど言うことなどできません。何でも扱う商売人です。
ジャンルは違いますが仏教美術の収集家には個性的な人が多い。1月の骨董講座、伊万里焼の吉祥文の回で、「伊万里焼の絵付けは神道、道教文が多く、仏教柄はほとんどない」という話をしましたが、これを考察すると江戸時代、伊万里焼の生産・流通が拡大して過程では、神道が日本社会を覆っていく過程と重なります。その結末が明治維新、国家神道です。江戸時代の人たちは伊万里焼を使用することで無意識に神道化した。逆に言うと、神道的な日本人が伊万里焼の柄を決定したのでしょう。明治時代になると国家神道が登場、国民的な思想を形成し、太平洋戦争の敗戦まで突き進みます。それは日本人の無個性化の歴史と重なります。
江戸時代の幕府が統括する集団農法から始まり、明治時代の国家的な集団行動を経て、日本人は無個性化していきます。もちろん、時代の潮流に逆らう個性的な人々も各時代に登場しました。それが近代的な作家と呼ばれる人々です。彼らは機械化していく近代に逆らい、個性、存在を追求することを活動の主題にしました。昔の芸術家は一般的に貧乏ですが、このような状況が生まれる背景には、特出した個性を認めない日本社会の状況とも関係があります。
江戸時代以来の農耕的集団主義の影響で「出る杭を打つ」文化が定着した。古美術の世界で特に顕著だったのが、団塊の世代の女性たちが伊万里焼のたこ唐草、花唐草、みじん唐草を信奉していた時期です。凄かったですよ、あの時代は、猫も杓子も唐草。それが団塊の世代の購買力低下と共に消滅した。現在は自分の好きな物を収集する時代になったので、画一的な古美術品を収集する傾向は減りましたが、若者たちは猫も杓子もスマホです。
スマホが古美術界に面白い現象を起こしています。画一的な情報取得に飽きた若者が、骨董市や美術市に行って自分の好きな作品を買っている。趣味が多様化したというか、個性化したというか、先ほど話した評論家や専門家の言葉よりも自分の感性を信じて行動する。彼らは自分の感性優先で、世間的な評価は無視する。「食べログ」で評価が高くても、それを信じない人がたくさんいるような状態です。若者も賢いので、評価の自作自演を簡単に見抜くようになったのですね。そのような情報に騙されているのは、スマホやSNSに不慣れな人たちです。
最近、骨董市あるいはフリーマーケットの人気が衰えています。ネットオークションの影響もありますが、分析すると「こだわるを持つ人が減った」と言えるでしょう。物にこだわるよりも、イベント的な露店市に行く人が増えた。露店市に古美術商が出店していてかまわないのですが、画一的な骨董市を敬遠する人が増えた。この辺りにも趣味が多様化していることを感じることができます。

           

(3) 日本各地で開催される地方の現代美術展

日本で「現代美術館」が創設されるようになったのは1980年前後です。1979年、品川に原美術館、1981年、軽井沢にセゾン現代美術館が誕生しました。私はこの時期、多摩美術大学の学生でした。当時は現代美術を鑑賞できる専門の美術館はなく、現代美術の作品は東京都美術館や池袋パルコ内にあったセゾン美術館の企画展でしか見れませんでした。この時期、現代美術を志向する学生は少数でした。
1989年、広島市立現代美術館、1990年、水戸芸術館、川村記念美術館がオープンしました。東京に現代美術館がオープンしたのが1995年ですから、広島市、水戸市の方が東京よりも進んでいた。当時の東京都民は「現代美術などに税金をつぎ込むな」という風潮がありました。
2000年、新潟県の「越後つまりトリエンナーレ」、2001年、横浜トリエンナーレが始まります。この時期、やっと日本人は現代美術の存在意義を認識し、2004年に開館した金沢21世紀美術館は観光名所になりました。2010年、愛知トリエンナーレと瀬戸内トリエンナーレが開催されるようになった時期から各地の現代美術展、トリエンナーレが盛んになり、現在では夏休み、日本のどこかで大規模な現代美術展が開催されています。この状況を見ていると私が学生だった時代とまったく違う。若い作家は作品を展示できる機会に恵まれていてうらやましい。ですね。
私は若い時期、現代美術ばかり追いかけていたので、その反動で古美術に転向しました。バブル経済の時代、広島市現代美術館や水戸芸術館に行くよりも、京都の伏見稲荷や安土城址に行く方が面白かった。現在は伏見稲荷などは外国人観光客でいっぱいですが、当時は観光客などいませんでした。静かだった頃の伏見稲荷や安土城址のことはよく覚えています。このような状況は東京国立博物館の企画展も同様。良い展覧会をやるのに人が入らない。並ぶということはなかったので、あの時代はゆっくりと美術作品が鑑賞できました。国立博物館も法人化して、随分と雰囲気が変わりましたね。
1980年代までは公立(市立、県立)美術館では団体展が盛んに開催されていました。それが下火になると同時に現代美術が勢いを増した感じがします。ネット、SNSの拡散と時期が重なる。しかし、美術展がたくさん開催されたとしても、質に目を向けると相変わらず近代的な作品が多い気がします。どこか集団的な感じが残っている。インパクトのある現代美術家、作品が少ないですね。現在の日本では現代美術作品を物まね、コピーする傾向もあります。
ジャンルは違いますが現代美術よりも、阿蘇山や和歌山県の瀞峡などの景勝地の方がよっぽど迫力があって面白い。現代美術は一部の作家を除いて、一人よがりな部分が強く景勝地の風景ほど、胸を打たない。自然が作ったものと人間の作った物を比べるなと言われるかもしれませんが、古代の人が作った関西の巨大古墳や京都の伏見稲荷などを観るのは楽しいですよ。これらの観光名所は近代的な人間のスケールを超えて存在しています。そのような物は美術ではないと言う意見もあるでしょうが、視覚的な満足感を得られるのであれば作品も観光地も同じです。
私が言いたいのは、本当に感動のできる現代美術的作品、作家が乏しいということです。これは現代美術が観念的な領域であるにもかかわらず、日本人の観念性が弱いことに原因があります。セザンヌやゴッホ、ピカソ、マティスなどは強固な自分の絵画理論を持っていた。彼らは歴史的な絵画を見続けて考察した結果、新しい世界を見出した。彼らには絵画史の連続性を見出すことができるが、日本の現代美術作家は個人的な感性に頼り過ぎている。また、現代美術作家は地方自治体による、ばらまき型行政に支えられたイベント参加のために制作しているように感じます。ひどい言い方をすれば、地方のトリエンナーレの一部は、税金を使ってできた工業製品的なゴミでできたディズニーランド、町おこしのイベントです。
イベントが終われば産業廃棄物として処理される。行政が資金を援助しなければ、成立しない状態、これでは団体展の時代と変わらない。かつての日本の農業政策と同じです。江戸時代から始まった無効性化が無意識のうちに続くだけですから、個性のない現代美術展のオンパレードはいつかは飽きられるでしょう。
日本人が現代美術に目覚めたければ、制作、収集よりも自分のアイデンティティ、行動理論を確立する方が先だと思います。現代の日本人に必要なものは、哲学ですね。なんだか、ニーチェの哲学講座っぽくなってきました。

         

(4) 現代美術と古美術の垣根を越えて

現状に文句ばかり言っても仕方ないので、分析と対処方法をお話したいと思います。
対処法は次の3つ。①ジャンルの垣根を越えて、美術品と接する。②美術品と生活用品や工芸の関係性を提示する。③歴史の連続性を根本に置き、そのうえで美術を考察するです。

① ジャンルの垣根を越えて、美術品と接する。

現在、美術館や博物館の中には、「古美術と現代美術の類似性」、「浮世絵と印象派の関係」など、様式の違うジャンルを比較考察する企画があります。例えば、先日、国立西洋美術館で開催された「北斎とジャポニズム」展は、浮世絵を印象派の関係を提示した展覧会でした。また、渋谷にある松濤美術館などは「古道具、その行き先、坂田和實の40年(21012年)」など、古美術と古道具のジャンルをこえたユニークな展覧会を開催しています。このような企画の展覧会は海外では盛んですが、日本ではまだ馴染みがない。日本人は歴史観、美術観が曖昧なので、関係性を無視して単体で思考する癖の強い傾向があります。縦割りというやつです。だから広告代理店が企画した展覧会に狂ったように人が行く。単純ですね。逆に広告代理店は、そのような日本人の心理をうまく利用して企画を行っています。複雑で考えなければならない展覧会に日本人は行かない。だから、良い展覧会を企画しても会場は閑散としています。

② 美術品と雑貨や工芸品の関係性を提示する。

先月までパリのグラン・パレで「ゴーギャン展」が行われていました。この展覧会がユニークだったのは、絵画・彫刻作品を示するだけではなく、ゴーギャンの出身地であるブルターニュ地方の木靴、彼が住んでいたタヒチの家の門、タヒチの民族衣装などが展示されていることでした。この展覧会は作品の鑑賞するだけではない、作家の生活を含めて人と作品の関係を探る展覧会となっていました。日本でも地方の美術館に行くと、個人的な作家にスポットをあてた展示がなされていますが、東京ではなかなかお目にかかれません。
2017年夏、ロンドンのテート・モダンで「ジャコメティ展」が開催されました。人体を細身に彫刻する作家の展覧会です。この時期、日本でも新国立美術館で「ジャコメティ展」が行われたのですが、日本の「ジャコメティ展」は作家の代表作ばかり並べた展覧会でしたが、テート・モダンの方は作家のメモ、私生活の写真、ジャコメティの収集品(アフリカ彫刻など)まで並べた展覧会。これを比較すると、日本で行う外国人作家の展覧会で何が欠落しているかわかります。最近、外国では作家の生活を見せることで、作品の制作過程を考察する展覧会が主流ですが、日本ではそれができない。ちなみに渋谷にある岡本太郎美術館、駒場の日本民芸館などは昔から、この手法で作家の生涯を紹介しています。これからは古美術収集においても、仕事と趣味の関係を感じさせるような収集が良いのかもしれません。

③ 歴史の連続性を根本に置き、そのうえで美術を考察する。

日本では、「天皇制・元号制」があるので、元号が変わると時代が分断されます。明治時代と昭和時代を見ると、そこに連続性はなく異なった印象を受けます。帝国主義と民主主義はどちらの時代も存在するのですが、日本人は帝国主義の時代、民主主義(自由民権運動、大正デモクラシーなどが存在した)は無かったような教育をする。だから、軍隊である自衛隊の解釈も曖昧になる。私が現代美術から古美術に興味が移った理由は、現代美術を解釈するためには古美術を解釈しなければならない、歴史は連続して考察しなければならないと思ったあらです。1980年頃、現代美術と古美術は明治と昭和のように分断されていました。
現在、日本を代表する現代美術家に村上隆がいます。彼は東京芸大日本画科で最初に博士号を取った人で、日本の伝統的な工房のシステムやパトロンのことを良く知っています。日本画家だから油絵画家のように美学的な分断がない。彼は古典から連続して美術を観ることができる。だから、2017年春、横浜美術館で自分の古美術コレクションの展覧会を企画しました。日本では珍しい様式の展覧会でした。彼の作品を評価しない人はたくさんいますが、そのような人は村上隆の本質を理解できない人です。相変わらず、ジャンルのこだわる狭い了見の姿勢を見せる。いずれ、彼は自分の作品だけではない、生活用品も展示する個人美術館を作ることを模索するはずです。
仙遊洞の骨董講座の目的の一つに、「単体の古美術品を解説するのではなく、ジャンルを超えて古美術を考察、収集する」があります。古美術の知識を獲得したければ、出版された本を読む方が有効です。読書家、ネット情報家になれば良いでしょう。上記の目的をもって、50回近い骨董講座を重ねてきました。続けられた理由は、この講座が「現代古美術講座」だったからかもしれません。古美術だけ語っていたのでは、とても50回も講座はできません。逆説的に言うとジャンルを超える広い美術の世界があって初めて古美術の存在意義も確立します。古美術の世界はまだ奥が深いので楽しいですね。

       

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