このページは2017年12月2日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。

第43回 古美術と社会学シリーズ③ 「古美術と日本の風景の変容」
(1) うさぎ追いし かの山 小鮒釣りし かの川

「ふるさと」は、日本人なら誰でも知っている1914年(大正3年)に発表された高野辰之作詞、岡野貞一(鳥取市出身)作曲による文部省唱歌です。作詞家の高野辰之は長野県中野市の出身なので、この歌の情景は信州ということになります。1890年代、信越本線は長野市を超え、新潟県に達しました。それから30年後、東京は1923年に起こった関東大震災の復興のため、長野県や新潟県から人材を受け入れ、日本で最初の都市型のサラリーマンを出現させます。それは主に次男以下の男性でした。
東京郊外と都内を結ぶ電鉄が敷設されるのもこの時期です。
・1897年(明治30年) 東武鉄道株式会社設立
・1907年(明治43年) 箕面有馬電気軌道(阪急電鉄)設立
・1912年(明治45年) 武蔵野鉄道設立
・1922年(大正11年) 目黒蒲田電鉄株式会社設立
鉄道会社を創設した人の中で、東武鉄道の根津嘉一郎は根津美術館、阪急電鉄の小林一三は逸翁美術館、後に東急電鉄総裁になった五島慶太は五島美術館を設立します。 当時、鉄道会社は日本の主力産業でした。阪急電鉄を発展させた小林一三はターミナルデパートと宝塚を結ぶ沿線開発をする日本の都市型鉄道モデルを発想しました。 ちなみに都市型デパートとして有名な三越・伊勢丹は小林が発想した鉄道網を採用していません。 2つのデパートは外商という形で商いを行っており、従来の営業形態を持続した結果、戦後になっても新しい文化の発信ができませんでした。両デパートとも慶大閥。 美術業界にも慶應大学出身者は多いのですが、美術界を席巻できなかったのは鉄道モデル開発に取り組まなかったことに一因があると考えられます。 三越がどこか東京郊外の沿線開発に乗り出していれば、現代でも通用する多角的文化を発信していたでしょう。
大正時代、日本列島に四大工業地帯が形成され、都市に人々が流入、近代的なサラリーマンが出現し、モガ・モボなどの新しい都市文化を作り出しました。 日本人が工場で作られる近代的な企画製品を使用するのもこの時期です。その工場を経営していたのが財閥です。
「大戦景気」が起こった大正時代から昭和時代初期にかけて財閥の経営者たちは古美術収集に乗り出しました。財界人を見ると、みんな茶道や古美術に深い造詣を持っています。 彼らが新興の成金とは違うところは文化があったことです。
当時の古美術品は茶道具や墨跡、中国古美術品で、伊万里焼や六古窯は雑器の部類に入っていません。 昭和時代初期、柳宗悦などが民芸運動を始めますが、現在、彼が収集した民芸品を見るとほとんどがブランド品で、庶民が使用した無為の美を持つ民芸品とは違います。 日本民芸館の設立に大原美術館を設立した大原孫三郎が関わっているのを見ても、「民芸運動」は茶道、鑑賞美術以外に目を向けた美術運動であることが理解できるでしょう。 当時の財界人が取集した古美術品や大原孫三郎が集めた海外の作品は、すでに近代的資本主義に組み込まれたブランドの視線からとらえられた美術品でした。
これらを考察すると近代日本の古美術の概念は資本主義が活発化した大正時代に成立したことがわかります。 以降、我々のような古美術取集家は、その構造の中で価値観を見出し、収集活動を行っています。
近年、芸術家の村上隆氏などは「現代美術は近代資本主義の中に組み込まれた活動の一つである」と表明しています。この起源は大正時代にある。 茶道具や古美術収集家の中に、自分は美意識や独自の鑑識眼を持っていうと自負する人がいますが、多かれ少なかれそのような人は近代資本主義の中で育まれた美意識の範疇に安住している人で、独自の鑑識眼持ち合わせてはいません。古美術品の収集は歴史や時代が作り出した美を理解してこそ、本物の価値が理解できる。一部の領域を熟知しているからといって、それを他の領域に当てはめて語れるほど、美術の世界は単純ではありません。

           

(2) 日本列島改造論

1970年、大阪で「日本万国博覧会」が開かれた頃から全国で道路や鉄道の整備が始まります。1965年に名神高速道路が1969年に東名高速道路が開通し、東京大阪間は自動車での移動が可能になりました。
大正2年、東京の人口は280万人、長野県の人口は145万人、昭和22年、東京都の人口は500万人、長野県は200万人、昭和45年(1970年)は1100万人、長野県は200万人です。大正2年から昭和22年にかけて長野県の人口は増えていますが、その後、長野県の人口は横ばいです。東京の人口が2倍強となっているのを見ると、大都市圏に人が移動したことがわかります。
「日本列島改造論(1972年6月)」を唱えた田中角栄首相が登場すると、それがさらに加速します。1972年7月に田中内閣が誕生すると、政府は地方都市間を道路で結ぶ計画を実行します。首相は自然よりも経済効率を優先させたので、列島各地で大規模な土木工事が行われ、農家では大量の農薬が散布されるようになります。それで日本の土壌汚染が広がり、日本から自然の景色が消滅した。この時期、多くの日本人は土着性を棄て、都市型・経済優先人間に生まれ変わったのです。
現在、東京圏には3300万人が住んでいます。東京都に住居を持てない人は周辺の4県に住むようになり、東京周辺に巨大な都市圏を形成しました。
関東と近畿圏が道路で結ばれた1969年頃から、新しい形態を持つ古美術商が登場します。地方に買い出しに出向く古美術商を、私は「流通型古美術商」、「ヒッピー型古美術商」と呼んでいます。ヒッピーはヒッチハイクをしながら当てもなく放浪する人のことを指しますが、この時期、行くあてもなく商品を求めて、地方の道具屋を探し回る若者たちがいました。それが青山骨董通りに店を構えた「からくさ」の中島さんや「古民芸もりた」の森田さんたちでした。その他にも、この型の古美術商が出現したことは10月の骨董講座で解説しましたね。
「日本列島改造」の時代、地方の農家は古い家や蔵を解体し、新しい住宅を建設します。蔵の中にあった江戸時代、明治時代の日常雑器や道具は田舎では何の価値もありません。それが一気に放出され大都市圏に流入、茶道具や鑑賞美術とは違う骨董市場を形成しました。この傾向はバブル経済絶頂期まで続きます。彼らの主力商品は茶道具ではなく、伊万里焼や瀬戸焼、丹波焼、氷コップなどの民芸品。それが雑誌ブームに乗り、瞬く間に骨董品として認知されるようになりす。伊万里焼、氷コップなどは、「団塊の世代」が発見した骨董品といえるでしょう。
1970年以降、田舎の蔵から放出された伊万里焼や民芸品などの日常雑器はバブル経済に組み込まれ、高級品として持て囃されました。あの頃、伊万里焼の値段は本当に高かった。この時期に骨董屋を始めた人たちはバブル経済の波に乗り一財産を築き上げます。Kさんは私に「バブルの時代に骨董屋を始めていれば、君も大きく儲かったのにね。ちょっと遅かったかな」と話しています。
バルル経済時には日本中、金余りだった、お金が骨董業界にも流れ込みました。現在、1万円前後で売られている伊万里焼や民芸品は当時4万。バブル経済絶頂時の株価が4万円で、現在は半分の2万円であることを考えると、骨董の価値は株の価値より利率が悪いことが分かります。あの頃、古美術品で儲けようとした人の末路は言わなくても想像できるはずです。バブル経済が崩壊した後、東京湾岸にある貸倉庫には大量の美術品が保管されており、それを海外の投資家が安値で買い叩いたことは有名な話です。
「古美術品取集は投資目的ではなく、自分の好きなものを集めるのが大切」という人がいますが、本当にその通り。古美術品に経済効果だけを求めると、株の投資と一緒で損をします。投資家のウォーレン・バフェット氏がいうように「自分が好きな物に投資する」のが一番。そうすれば価格が下がったとしても苦にはなりません。幸い、仙遊洞はバフェット氏にいう投資哲学に沿って、紆余曲折を経ながら現在まで古美術商を続けているので気楽なものです。
「骨董は儲かりますか?」と聞く人がいますが、私は「もうかりません」と答えます。企業などに努めてサラリーをもらう方が経済的には経済効率は良い。しかし、人間は経済優先で生きていけない部分を持っています。儲からなくても古美術商をする人、年金を継ぎ込み、損をしてでも道楽で古美術商を営む人がいるのだから不思議ですね。
財閥が形成され、財界人が茶道具や鑑賞美術を収取した大正時代から昭和時代初期に鉄道網が整備され、近代的な古美術の価値観が確立され、その後、道路網が整備された1970年から1980年代、旧来の価値観に新しい骨董品の価値観が加わります。これの流れが現在の古美術品の概念を形成しています。これを見ると、近代の古美術は運搬、流通と密接な関係があることがわかります。

             

(3) ネット・オークションの出現

道路網が整備されるようになった1976年代、宅配業が登場しました。宅配業は日本で物販が拡大するにつれ、取扱量も増加します。
2000年代、インターネットが整備されてネット通販が普及すると、大きな流通革命が起こり、古美術界もネットオークションを取り入れ、それまで店舗や骨董市で購入していた古美術品は、ネットで落札され、商品は自宅で受け取れることができるようになりました。現在、本のアマゾン、文房具のアクスルなどが登場し、宅配業の使用頻度が飛躍的に拡大、そのため宅配業者の疲弊、人手不足が社会問題になっています。
ネットオークションが登場して、古美術界がどのように変わったか考察してみましょう。

【1】 ネットオークションを通して、自宅にいても古美術品を買うことが可能になった。
それまでの古美術品の購入は店舗や骨董市に出向いて購入していた。
【2】 ネットオークションでの価格は出品者ではなく、購入者の競売で決まるようになった。素人が価格を決めるので、相場の振れ幅が大きくなり、人気商品に高値が付くようになった。
【3】 購入した古美術品は返品ができないので、偽物を購入しても処分ができなくなった。現在はそうでもないですが、ネットオークションが始まってすぐの時期は詐欺が横行し、社会問題にもなっていました。
【4】 一店舗では出品できない大量の古美術商品を1日で見ることができる。
 大量に商品が出品されるということは、偽物の商品が大量に出品されることにもつながります。ネットオークションに出品されている中国美術品などの95%以上は模倣品です。
【5】 正当な古美術品を出品する業者のほとんどは損をしないためにテコ(自分で入札)を入れます。購入者の希望価格を見ながら値段を吊り上げるので、定価販売よりも高く落札することになります。

ネットオークションの出現で大きく変わったのは購入者側だけではありません。業者側の変化を見てみましょう。

【1】 それまで業者の交換会に古美術品を出品していて換金していた業者は直接、顧客と取引できるようになった。しかし、業者市で業者が購入した古美術品に、余分な経費が含まれるよになったので仲介手数料が割高になった。
【2】 ネットオークションの落札価格で相場が決まるので、業者が高価な品物をネットに出品しなくなった。また、廉価な伊万里焼、民芸品が大量にあることが判明したので、希少品も廉価商品につられて価格が暴落した。
【3】 ネットオークションに出品しても購入価格まで到達しない場合が多いので、業者自身がテコをいれるようになった。そのために購入希望者がオークションに参加する意欲を失った。
【4】 ネットオークションでは、自己責任で偽物も購入する素人がいるので、恣意的な業者が素人向けに模倣品、偽物を出品するようになった。
【5】 ネットオークションは管理が大変なので仕事が増えたが、商品価格が下がったので利益率が薄くなった。

プロの私でもネットオークションで新しい模倣品、偽物を購入することがあるので、素人の取集家がそのような商品を大量に購入していることが簡単に想像がつきます。偽物と分かった時は、再びネットオークションにそれを出品すればよいので便 利と言えば便利ですが……。
ネットオークションには利便性もありますが、偽物を買って嫌な思いをすることもあることを忘れず入札に参加してください。

         

(4) 都市の変容

インターネットが普及して、社会の仕組みが大きく変わりました。Wifiがあれば世界のこととでもつながることができます。大都会と過疎地帯の田舎も直に情報交換できるので、家や蔵にある物をネットオークションに直接、出品することができます。最近はメルカリも登場して認知されている。田舎に住んでいてもインターネットがつながっていれば、そこで仕事をすることも可能です。ネットの普及によって、田舎の隅々まで情報がいきわたり、逆に発信することもできるようになりました。かつては蔵のある田舎の家に古美術業者が訪ねて、蔵の中にあった物を初出ししていましたが、現在では蔵の所有者が直接、ネットオークションに出品できます。買い出しに行く骨董業者の姿も少なくなりました。
一見、便利になったように感じられるインターネットですが、一方で問題も起きています。ネットでは全体的な情報を取得することは不可能なので、偏った情報しか発信されない現象が起きます。ネットにアップされた記事は、どれも似たり寄ったりで情報に多様性、根拠がありません。最近は金もうけのためにフェイクニュースを流す悪徳な人もいます。また、利用者はスマホの操作などは五感を使わないので、物質への認知度が落ちます。ネット中毒者や依存症の人は五感、他者とのコミニケーション能力が減退し、ネット情報の世界から抜け出すことができなくなるでしょう。骨董の場合、ネットオークションも楽しいでしょうが、店舗や骨董市、展覧会などに足を運び、五感を使って実物に触れる必要があります。
近年、東京では容積率が緩和がされ、多くの高層ビルが建てられるようになりました。それまで2階建てだった町が高層ビル街に変容している。田舎の家も新築になり、かつては蔵の中にあった品物も放出され、現在、古美術品は都会の古美術収集家の家に蓄積されている状態になっています。その結果、都市部と地方の文化レベルに大きな隔たりが生まれます。それが経済格差にも反映している。
インターネットが発達したので、社会的に秘部が少なくなり、町中、監視カメラだらけで、すべてが露出した感があります。
インターネットで商品の売買ができるようになると、新しい古美術商の形態が出現します。田舎の大型倉庫に大量の在庫を蓄積してネットオークションで販売する業者と、都会にできた少ない在庫品しか持たないセレクトショップです。かつての古美術商は在庫を持っていなければ購入者の希望に答えることができませんでしたが、現在はネットオークションを見れば、自分の購入したい商品を探すことも容易です。誰かが持っている商品は、自分の在庫であるという考え方が浸透している。最近の若者は、いつでも商品は購入できるので希少性のある物しか興味を示しません。ミニマリスト、断捨離など、物を持たない生活者が出現したのも、インターネットの影響です。しかし、ネットに頼り過ぎると、生活に奥行きが無くなることも確かです。人間は雑種性があり、多様性、多層性のある時間や空間文化の中で活きた方が感性的に豊かになるはず。世界を観念だけで成立させるのは今は難しい。逆に、インターネットは資本主義が作り出した流通システムなので、それに頼ると資本主義の権化のような人間になります。少なくとも歴史や地方色のある古美術品を持つことは、趣味のいかんに関わらず、知性や感性に刺激を与えてくれるはずです。
私はIТ企業や先端テクノロジーの企業が入っている六本木ヒルズを見ると資本主義タワーの象徴だと感じます。六本木ヒルズには歴史的時間制を含んだ古美術品は似合いません。村上隆の無機質な作品がぴったり。
個人的な価値観なので、六本木ヒルズのことを批評しても仕方がないのですが、私はどちらかというと、都会の田舎というべき西荻が好きです。最近、西荻も高層ビルが建設され、都会的になって来ており、セレクトショップ、お洒落なデザイナーショップ出現しています。吉祥寺ほどありませんが、西荻にも資本主義が確実に流入しています。中央線で特別快速の止まらない高円寺、阿佐ヶ谷、西荻は、いつまでも田舎観を失わないようにして欲しいと思います。
都会の風景の変容、骨董商の形態などに焦点を当てて社会を考察すると、時代を読み解くことができます。

         

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