このページは2017年11月4日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。

第42回 古美術と社会学シリーズ② 「心理学的に 骨董病とは何か」
(1) 骨董病という言葉

骨董病
骨董業界の言葉。骨董収集にはまった人が家族や友人の忠告も聞かずに、骨董品を買い続ける“中毒症状”。一般世間の経済観念と隔絶し、実態以上に個人的価値感を見出す症状。恋愛中のあばたも笑窪に近く、偽物を本物と見間違える傾向が強い。重度の骨董病に陥ると自己破産、離婚のきっかけとなる。

テレビ東京の番組「なんでも鑑定団」の「出張なんでも鑑定団」のコーナーに、時々、骨董病の人が登場します。「妻に内緒で古美術品を買ったのですが……」、結果は偽物で会場は大爆笑。その場で奥さんも笑っていますが、腹の中は煮えくり返っており、家に帰ると絶対、喧嘩になります。骨董病は、古美術収集家なら誰でも一度は経験したことがある病気でしょう。 骨董病は素人よりも骨董屋さんの方が経験豊富です。古美術商はお客様の前で、「自分は目利き」という態度を取っていますが、収集家よりも多くの偽物を買って痛い目に遭っています。失敗が真剣さや鑑識眼を育てるのですね。 目利きになるために偽物目利きになる必要もあります。偽物を買っても、それをお客様に売らない骨董屋は良心的ですが、中には目が利かない骨董屋さんもいて、偽物を平気で売っています。同業者の立場でそれを指摘することは業界ではタブー。また、目が利かない骨董屋も悪気がなく、購入者も目の利かない骨董屋を信用しているのですから困ったものです。偽物を売っても訴訟が起こらないのですから、日本は豊かですね。 世の中には「私は今まで騙されたことがない」という取集家もいますが、そのような人はよっぽど鈍いか、目が利かないかのどちらかです。自分は目利きなので古美術商の上を行くことができると考えている人ほど、古美術商に手玉に取られます。商取引には心理学的要素が多分に含まれており、長年、古美術商をやっている人は一筋縄ではいかない強者が多いので、古美術商の笑顔をあなどらない方が好いと思います。気を付けてください(笑)。

昔、私自身も骨董病にかかったことがあります。その時の体験をお話しします。1回目は中国の古美術収集に熱中していた1990年頃、骨董病にかかりました。当時、私は親からもらった開業資金を持っていたので大盤振る舞いをしていました。その頃、菊地さんは中国古美術の店で修行しており、私も彼女も中国の古美術品が欲しいので、毎日のように何を買うかの話をしていました。インテリアデザイナーをしていた妻が家に帰って来ると、私と菊地さんが中国古美術の話ばかり。会話の90%は「明日は何を買うか」だったので、ある日、妻が激怒して「家の中で骨董の話は禁止」と宣言しました。仕方ないので、私たちは家を出て散歩をしながら「何を買うか」の話をしました。狂っていますね(笑)。 当時、私たちが欲しかった古美術品は現在、10倍の価格になっています。人間、真剣に物事に取り組めば、経済は後からついてくる。仙遊洞を開業した時、私たちは資金繰りのために中国の古美術品を手放しました。経験だけが残ったのですが、楽しかったですね。 2度目の骨董病が発症したのは、中国古美術品から仏教美術に転換した2000年頃。1996年、香港が中国に返還されて以降、中国古美術の良品が入手できなくなったので、私と菊地さんは仏教美術に活路を見出そうとしました。その時代は仏女も歴女も存在しておらず、仏教美術は一部の愛好家のものでした。仙遊洞を開店して1年目の話です。当時、仏教美術の愛好家は室町時代以前の商品しか仏教美術だとは考えていなかったので、江戸時代の仏像は安価で入手することができました。現在では不可能です。 仏教美術に関わっていると、だんだん安価な物よりも高価なもの、時代の有るものが欲しくなってきます。先輩が「仏教美術に熱中すると、高価なものが欲しくなって中毒症状がでる、麻薬と同じなので注意しなさい」と忠告してくれました。しかし、私と菊地さんは毎月のように100万円単位で商品を購入し、その資金繰りに追われました。 その頃、私は母と一緒に住んでいたのですが、資金繰りに苦しむ、目のつり上がった私の顔を見て「仏教美術は止めなさい」と苦言を呈してくれました。子供が生まれたばかりだったので、母の忠告を聞き入れ、高価な古美術品を買うことを止め、露店や骨董市を廻ってリーズナブルな商品を販売することに転向しました。そちらの方がもうかったので、商売も続けられました。それにしても、骨董病はかかった人でなければ理解できない、楽しくても恐ろしい病気です。振り返ると、あの時期をよく乗り切れたと思います(笑)。

         

(2) 骨董病の種類

一口に骨董病といっても、いろいろなタイプの骨董病があります。どのような骨董病があるか見てみましょう。

① お金があって、目が利かないタイプ
古美術商をやっていると「家に古美術品があるので買ってくれないか」という話があります。出かけて行くと、家の中が最近、作られた土産物の工芸品であふれています。「これ、どこで買われたのですか?」と聞くと、「中国や東南アジアに行って買ってきた」と答える。「いくらで?」、「2000万円」、「……(これ全部で50万になるかな~)」 これは骨董病というよりも、世間知らずか、無知ですね。

② お金があって、古美術商になりたい専業主婦
最近はあまり見かけませんが2000年前後、骨董学院などに通った後、古美術商を始める人がいました。このタイプの人は退職金や年金に頼って古美術商を始めます。少しくらい損をしても経済的には困らないので、「好きなことをしているのだから店にある商品は売れなくても良い」とか、「これ偽物ですよ」、「値段の付け方が間違っていますよ」とアドバイスしても、「いいの。私が好きだから」と答えます。結果、財産を経費で失ってお終い。それでも強気で「楽しい経験ができたから良い」と言い張る。中には偽物を売って骨董屋を続ける人もいます。最初から商売などやらなければ良いのに。にわか骨董屋のタイプは熟練の骨董屋の餌食です。

③ ある程度、お金を持っていて、自分は目利きだと考えている収集家
ほとんどが男性で、権威志向があり、有名な品物を収集することだけに情熱を注いでいます。このタイプの人は箱書きを重じ、中身が偽物でも平気なタイプです。茶道具や本に掲載されている所載品に蘊蓄を持ち、自分が理解できない美術品には価値がないと考えています。半ブローカー的な人が多く、古美術商から商品を抜き、他の業者にそれを売ることが可能だと勘違いしています。真贋や価格について相談する人がいないので、いつまで固定された自分の価値観から抜け出すことができません。

④ ある程度、お金を持っていて、目が利く人
骨董界の中には本当に目が利く人がいます。しかし、そのような人は自分の経済的な実力よりも一段高い商品を入手することを希望しています。古美術品の良品はいつ出てくるかわからないので、手持ちの資金がない時、資金集めに苦労することになります。多くの場合、自分の所持品を古美術商に下取りしてもらって新しい商品を購入するのですが、このようなことを繰り返していると気の休まる暇がなくなります。古美術集家の上級者の病気で、戦前、財界人もこの病気にかかっていました。

⑤ 有名な作品を欲しがる、掘り出し根性を持つ、蘊蓄タイプ
古美術品の価値は自分がお金を払い、購入して初めて自分の中で価値が生まれます。いくら名品についての知識があっても現物を知らなければ本物の価値は理解できません。このようなタイプの人は型どおりの偽物を収集する掘り出し根性の持ち主です。中途半端なお金で買った模倣品を本物だと思っています。特に唐津焼、桃山陶、李朝の収集家にこのタイプが多い。好みが偏執的で、他のジャンルの古美術の価値を理解できず、視野が狭いのに自分は誰よりも骨董のことを理解していると勘違いしています。このような人は偏執者で人のアドバイスなど利かないので、コミュニケーションが取れません。

⑥ ネットオークションで自分の商品にテコ(自分で入札する)を入れる人
ネットオークションが始まって出現した新しい骨董病です。自分の商品をネットオークションに出品するのですが、損をしたくないので10以上のIDを登録して、テコ入れに励みます。外部からみれば自作自演は醜いのですが、本人は客観性が無いので自分がやっていることを醜さとは思っていません。中途半端な業者ほど、ネットオークション・テコ入れ地獄にはまります。

⑦ 骨董伝染病
「類は友を呼ぶ」という諺があるように、骨董病も例外ではありません。欲張りな業者には欲張りな客が付き、蘊蓄ばかりの業者には蘊蓄ばかりいう客がつきます。外部から見れば、彼らの行動は不自然に見えるのですが、本人たちは親和力を持ち、お互いが認め合っているので不思議に関係を築くことができます。「君といつまで」ではありませんが、偽物でも惚れたらお終い。これは奥さんや恋人のことを言っているのではありませんよ(笑)。

骨董病にかからない人は分別があります。古美術品収集は個人的な趣味だと考えていますが、人からのアドバイスは聞くので、コミュニケーションが取れます。何事も同じですが、分相応の経済力の中で商品を購入できる人は病気ではありません。 しかし、1度くらい、病気にかかるのも、恐ろしいけれど古美術品収集の楽しみの一つです。たまには仙遊洞で高価な買い物をして苦しんでください(笑)。


(3) 破産した目利きの話

骨董業界には借金をし、倒産した業者もたくさんいます。目利きなのに倒産した2人の先輩古美術商のお話をしましょう。
1人目はIさん。私が骨董に興味を持ち始めた頃にお世話になった古美術商です。Iさんは地方の美術倶楽部の会長を務められた方で相当な目利きでした。最初の出会いはバブル絶頂期の1990年、私は骨董に興味があったので、Iさんの店に行きました。店内に並んでいるのは高級な古美術品ばかりだったので、30歳の私は気おくれしたことを覚えています。若造が古美術店に入っているのを不審に思ったのか、Iさんは最初から相手にしてくれませんでした。私は緊張した中で数点の品物の値段を聞きました。それは100万単位の価格でした。
「私は思わず、このような高価なものを買う方が世の中にいらっしゃるのですか」と聞くと、「誰が買おうと、あなたには関係ないことだ。骨董品が欲しかったら、お金を貯めてから骨董屋に入りなさい」と不機嫌そうに言われました。その時、私は失礼な古美術商だなと思って不愉快になりました。
数年後、バブル経済が崩壊した1993年、私が親から骨董屋の開業資金を持ってIさんの店に行きました。その時、Iさんは数年前に私が店に来たことを覚えていません。店に入ると以前とは対応の仕方が全く違います。その時、私は手頃な古美術品を購入しました。数回、Iさんから古美術品を購入すると、私たちは懇意になり、古美術界の話をしてくれるようになりました。
ある日、「私はバブル全盛の時、5000万欲張ったばかりに土地を売り損ねて、逆に借金を背負う羽目になりました」と身の上話を始めます。「土地の価格はどれくらいだったのですか?」と私が聞くと、「16億円で買い手があったのですが、16億5千万にしてほしいと言ったところ、相談するので数か月待ってくれと言われました。しかし、その数か月でバブル経済がはじけた。あの5000万円を欲張っていなければ……」
それ以降、店に行けば、愚痴ばかり聞かされるので、自然とIさんの店から遠ざかりました。数年後、友人からIさんが自己破産し、妻と離婚、小さなアパートで一人暮らしを始めたことを聞きました。
後で考えてみると、私がIさんから「「誰が買おうと、あなたには関係ないことだ。骨董品が欲しかったら、お金を貯めてから骨董屋に入りなさい」と不機嫌そうに言われた時期が、土地が16億で売れる可能性がある時期と重なっていました。私は、この時、人間は欲張ると碌なことはないことを学習しました。
2人目の話は目利きのOさんの話です。私はこの人に桃山陶器、茶道具、鑑賞美術などの名品を見せてもらいました。50万円くらいの商品を数点、現在、Oさんの思い出として所持しています。
私がOさんの古美術店に通っていたのは1995年頃、平成不況の始まる直前でした。3月のある日、オウム真理教が「地下鉄サリン事件」が起こした日、私はOさんの店にいました。古美術店の前をひっきりなしに救急車が行きかっていたのを今でも覚えています。Oさんは前述のIさん以上に目利きで、店には名品がたくさん並んでいました。ある日、良い茶碗があったので、「これいくらですか?」と聞くと、「3000万円位かな」と返事が返ってきました。金額を聞いて私は自分が買っている50万円位の商品はOさんにとっては少額商品であると感じたことを覚えています。それから数年後、Oさんの店は1億円以上の負債を背負って倒産します。倒産が決まった後、私はOさんに会いに行ったのですが、美術倶楽部の延べ払いの資金繰りが滞ったことで倒産したことを話してくれました。美術倶楽部の会員は「相保障」という会員同士の保証制度を採用しています。Oさんは相保障の会員に千万単位の負債を肩代わりしてもらったそうです。バブル経済が崩壊した時代、私たちは多くの不動産屋が倒産したのを目の当たりにしましたが、古美術業界も例外ではなかったようです。
2人の目利きから名品を見せてもらった経験は私の糧になっています。高級な古美術品を扱う恐ろしさを2人から習いました。不思議なことですが、私が知っている低価格商品を扱う業者の多くは、いまだに元気に活動しています。私の店がぐちゃぐちゃでも私が平気なのは、過去に知り合いの骨董屋がたくさん潰れていくのを見ているからです。商売を長く続けるには、虚栄心を排除する免疫力が必要です。

           

(4) 骨董病とスマホ、タブレット端末の関係

9月6日の「読売新聞夕刊」に「スマホ育児の問題点は?」という記事がありました。記事は「0歳で2割、1歳で4割、2歳以上で半数の幼児がスマホやタブレット端末を使用している。しかし、それを放置しておくと幼児の五感、認知能力は発達しない」というものでした。また、「幼児が物や感覚を覚える時、母親が幼児に対応して言葉をかけてあげると、コミュニケーション能力が発達する」と書いてあります。スマホやタブレット端末が人間に与える影響の大きさが書かれていました。骨董講座に来られている方で年配なので心配はないでしょうが、30歳代以下だとスマホやタブレットとのつき合い方を考えなければなりません。物心ついたころからスマホがある10歳代ならなおさらです。ここで注目したいのは五感、認知能力、コミュニケーションというキーワードです。これらの能力が乏しいと社会生活に支障をきたします。
スマホ、タブレット端末が社会に普及するのと反比例するように、骨董病の人は減ったような気がします。個人性が強まり、それまであった古美術品の共同幻想が崩壊したのです。それは旧来の社会的な価値観が崩壊したことにもつながっています。骨董病の人は若者がスマホ中毒になるように、骨董依存症だった。しかし、両者の違いは現実の空間や時間に接しているかどうかです。古美術品には真贋、歴史性が含まれており、感覚を使わなければ購入できません。考古学的な古美術品の真贋を見極めるのに商品に水を沁みさせて匂いを嗅ぐという手法や伊万里焼の傷を調べるのに弾いて音を聞くという手法があります。鑑定に臭覚や聴覚を使う。私も古美術品を購入する時は、この手法を使うのですが、ネットオークションではこの手法は使えない。視覚が頼りです。
骨董業界でスマホやネットオークションの使用が当たり前となった現在、「あなたは骨董屋をやっていて楽しいですか?」と聞かれれば、「そうでもないですよ」と答えてしまいます。IТ機器が普及した後、情報取得は容易になりましたが、コミュニケーションが濃厚になったかと考えるとそうでもない。個別性が強まり、人間関係は希薄になった感じがします。現在は心から「古美術商は楽しい」と答えられないのですが、骨董病を患っていた自分の過去を振り返ってみると、「楽しかったですよ」と言える自信はあります。その時は全身の感性と知性を使って、真摯に古美術品に対応していました。
今回の話はスマホやタブレット端末に慣れている若者たちへの警告が含まれています。私には20歳前後の子が2人いるのですが、身体能力、五感、コミュニケーション能力が発達するような教育をしています。お兄ちゃんの部屋には、アフリカ彫刻が多数、飾ってある。ミニマルや断捨離はやり過ぎると観念的になり、感覚機能が未熟になるので注意する必要があります。
優秀なスポーツ選手が自分の道具にこだわりを持っているのは、彼らが感覚的だからです。それと同じように文化的な感覚を磨こうと考えるのであれば、美術品などに接する機会が必要でしょう。これからの若者には内発的な熱情が必要です。ボランティアをするのは、就職活動のためでは意味がありません。
テクノロジーと感覚を両立させることは大切なことですが、古美術品とのつき合いが、それを可能にしてくれます。歴史性、空間性を持つ古美術品がデジタルとは違った感性、感覚を呼び起こしてくれます。歳を取っても、古美術品とつき合っていると五感の維持ができます。年配の方でも古美術品収集をしている方が元気なのは、感性や知性を維持しているからでしょう。
経済や社会的地位などを中心にした一元的な価値観で古美術品と接していると、古美術品に対する感覚が鈍ります。価格の高低に関わらず、五感を揺さぶり、好奇心を満たしてくれる古美術品とのつき合いは楽しいですよね。茶道などは五感を使う芸術なので、たまには床の間に軸と花を生けて古美術品の立体感を楽しんでください。
骨董の世界を理解したようなふりをして「骨董はもう卒業した」などと言う人がいますが、それは消費行動が終わり、その人の五感や知性の衰え、老化を表しています。古美術の世界は、簡単に卒業できるような浅い世界ではないのです。

         

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