このページは2017年7月1日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。 |
第40回 近世・近代の日本文化と古美術の総括
(1) 安土・桃山時代の古美術 |
今回は織田信長や豊臣秀吉が活躍した安土桃山時代から大正時代までのお話です。前回同様、私の骨董屋としての体験話が中心となります。 |
(2) 江戸時代前期の古美術
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江戸時代前期、世の中が平和になると、日本人は各種の工芸品の創作に励むようになります。それで江戸時代前期の古美術品は多種にわたり、残存数も多い。陶磁器では17世紀に初期伊万里、九谷焼、柿右衛門、遠州七窯などが現われます。それらは古美術店で入手可能です。入手困難な古美術品は青手九谷、鍋島焼といったところでしょうか。お金を出せば、何でも買えるのですが。一般的に古美術収集家の間では、安土桃山時代の茶陶に関心が向いていますが、私は遠州七窯で作られた茶陶が好きです。先輩の店に行って、遠州七窯の作品があれば購入します。安くも無く高くもないのが、この時代の茶陶です。 |
(3) 江戸時代後期の古美術
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18世紀前半、8代将軍・徳川吉宗が「享保の改革」を行った頃から、美術工芸品の数は一気に増大します。それは幕府が地産地消、各藩の自立経済を容認したからです。その結果、陶磁器は伊万里焼の他、民芸品、雑器が各地で作られるようになりました。19世紀にはいると、有田の専売特許だった磁器生産は日本各地に広がり、砥部や瀬戸でも磁器生産が始まります。それと同時に民芸品も多様化、生産数も増大しました。 |
(4) 明治時代の古美術
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1968年、明治維新から100年が経ちました。先ほども話したように、この時期から日本列島は急速に開発が進みます。失われていく風景の反動なのか、日本人は明治時代の雑器、民芸品にも郷愁を感じたようです。それが商品となったのは、やはりバブル経済が日本を覆った1980年代後半。露店市などで、明治時代の印判の食器や図替わりと呼ばれる文明開化の図柄の食器が、古美術品として流通するようになりました。また、大正時代に流行した手吹きの氷コップなども古美術品として扱われるようになります。1970年代、田舎で実際に使用している氷コップが商品となるので、骨董屋さんはそれを買って東京の露店市などで売りました。このような現象は1990年代、「何でも鑑定団」が放映され、レトロな商品を日本人が認識するまで続きます。 |
(5) 近世・近代の古美術への関心
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イギリスのロンドンには大英博物館やヴィクトリア・アンド・アルバート博物館があり、世界の工芸品を分類、学術的に展示しています。一方、日本に目を向けると、大量の工芸品や博物品があるのに、それを一般に公開売る展示場がありません。そのせいか、日本の古美術品は分類もされず、評価も定まっていない。これは西洋の美学研究を中心に置く日本美術に関係する美学会の姿勢に問題があります。政府は日本各地に文化センターを建設していますが、画一で面白くない。私は旅行で日本各地を回り、博物館や美術館に行きますが、ほとんどガラガラ。一方、東京で行われるテレビや雑誌が広告した展覧会には美術に興味がない人でも足を運ぶ。地方で良い展覧会が開催されても、日本人は見向きもしない。美術行政のバランスが悪いですね。 |