| このページは2015年2月7日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。 |
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第15回 「日本絵画の歴史と収集」 (1) 簡単な日本絵画史 |
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日本絵画の歴史は縄文時代にさかのぼります。縄文人は土器の表面に動植物、祭司、赤ん坊の絵を描いています。縄文土器は立体的なので平面絵画というよりはレリーフと言った方が良いかもしれません。弥生時代になると土器の表面に線画が描かれます。奈良県田原本町にある唐子鍵遺跡からは楼閣やシャーマンの絵のついた土器が出土している。同時期、銅鐸の表面には狩りの様子などの線画が描かれ、プリミティブですが、P・クレーのような感じで人を惹きつける魅力を持っています。 |
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(2) 江戸時代中期の絵画の展開 |
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黄檗宗が日本の絵師たちに一番、影響を与えたのは文人画の領域です。明末に董其昌(『画禅室随筆』)という優れた文人画家が現われ、南画の理論を確立しました。それが黄檗宗の僧侶たちによって招聘されたのです。世の中が平和になると、武士たちは趣味や芸事に時間を費やします。そこで武士の中にも文人画家が現れ、南宋画(南画)が流行しました。 |
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(3) 掛軸の様式と発展 |
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江戸時代は封建制度が行きわたっていたので、家の格式で書院や家屋の構成が定められていました。大名は公用に白書院を、私的には黒書院を使用しました。武士や寺院、町人にもこと細かく封建制に沿った生活が決められていたようです。武士や大寺院の応接間には襖絵や床の間を使用することが許されていたのですが、一般庶民には浮世絵に接するのが関の山でした。それが大きく変わったのが明治維新、庶民にも床の間の使用が許されたことによって掛け軸の需要が一気に拡大します。 |
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(4) 日本画や掛軸の収集と楽しみ方 |
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戦後、欧米文化が入ってくると洋間に油絵を掛ける習慣が定着し、軸の文化は廃れていきます。最近は家がモダンになったので和室も減り、掛軸を飾る床の間も減少しています。現在、東京で床の間を備え付けてある家は贅沢な家だと言えるでしょう。 |
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