明けまして、おめでとうございます。今年も骨董講座、よろしくお願いいたします。
年始、最初の骨董講座は「神道・道教美術」です。神道は日本人になじみの深い宗教ですが、戦前の皇道思想・教育の弊害で戦後はあまり語られることがありませんでした。しかし、最近はアレルギーも薄れ、パワースポットブームで神社が再認識され、京都の伏見稲荷大社は外国人が訪れたい名所のbPとなっています。私が最初に伏見稲荷を訪ねたのは1989年、バブル時代でした。日本人は好景気に浮かれ、「趣味は寺社巡りです」というと、「地味な趣味ですね」と言われたものです。バブル時代は祈願する人以外いませんでしたが、今は原宿の竹下通りのように大勢の観光客で賑わっている。閑散としていた時の方が良かった。「神社は面白い」と言っても誰も耳を貸してくれなかったのに、時代は変わったと思います。
私が神道に興味を持ったのはフランスに留学していた時です。友人のフランス人に、「仏教や神道について説明してくれ」と言われました。仏教については説明できたのですが、神道については説明できなかった。それで、「日本古来の宗教を説明できない自分は本当に日本人だろうか?」と自問自答しました。
「神道とは何か?」を追求していくことは「日本人の宗教文化とは何か?」を問うことです。それを追求するうちに、私はいつの間にか骨董屋になっていた(笑)。ですから、神道研究が、私を骨董屋にさせたみたいなものです。日本で勉強をして1年後に、フランスに戻ろうと思ったのですが、神道を理解するまでに25年間かかり、結局、フランスに戻ることができませんでした。でも、「神道とは何か」を研究するのは楽しかったですね。
神道を簡単に説明すると、
【1】自然崇拝をしていた縄文人が崇めていた場所
【2】天候などの自然
【3】文化や技術を持った人々が渡来して神として祀られた
【4】あるいは日本で生まれて人々を指導して神となった人々、氏神などを祀る場所に、社や目印(鳥居、しめ縄)などを設置し、崇拝する宗教です。
【1】の代表は富士山、那智の滝、春日の森など。【2】の代表は風神・雷神など 【3】の代表は日本に機織りを伝えた呉織・漢織姫を祭る神社(池田市) 【4】の代表は北野天満宮(菅原道真)、明治神宮(明治天皇)、東郷神社(東郷平八郎)などです。古代から日本は移民国家だったので、【3】と【4】を区別するのは難しい。宇佐八幡宮に祀られている応神天皇などは日本生まれで百済王と倭王を兼ねていたので、近代国家の概念では説明し難い。そもそも、その頃、日本人や朝鮮人は地域国家の概念しか持っていません。大和朝廷といっても、奈良周辺を支配する地域国家にすぎない。「何を言っている、応神天皇は日本人だ」、「応神天皇は百済王ではない」と言う人は歴史の勉強をしていない人です。考古学の見地から見ても、このことは証明できます。しかし、ここで政治的なことを話すと問題が起こるので、私の意見は個人的見解、仮説として聞いていただきたいと思います。
ところで、日本人は神道を自然崇拝(アニミズム)と勘違いしている人が多いのが現状です。これは【1】の聖地崇拝から来ています。各地の神社には実際に実在の人物を祀っている場合が多いのですが、それが地域と合体し、聖なる場所となっているので自然崇拝と勘違いしてしまう。例えば、春日大社は武甕雷(日本武尊か雄略天皇?)が祀られています。神社があるので春日の森は神聖な場所となった。しかし、春日大社にお参りをする人はそこに誰が祀られているのか、ほとんどの人は知りません。春日の森にいる神様にお参りしている感覚なのです。神社の歴史について簡単に説明しましょう。
[1]縄文人が崇拝する山や川があった。
[2]その周辺で祭祀が行われ、ストーンサークルなどの目印を立てた。
[3]渡来人が来て、領地意識が芽生えてしめ縄などの結界を作った。それを氏神とする。
[4]仏教が入ってきて、聖地の前に拝殿が設けられた。
[5]祖先の神社から勧進して都に神社を創建した(春日大社)
[6]中世になると寺院に対抗して各地の豪族たちが神社を崇拝した(八幡宮、稲荷社の拡大)
日本には約80000の神社があるといわれています。そのうち、八幡社が約8000、伊勢社が約4500、天神社が約4000、稲荷社が約3000、熊野社が約2500で、上位5社で神社の3割弱を占めていることになります。関東には八幡社が多いのですが、これは源氏が八幡信仰をしていたからです。武士たちは自らの権力を京都の朝廷から守るために八幡神を勧進しました。
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