このページは2014年11月1日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。 |
第12回 「仏教美術」 (1) 仏教の誕生 |
仏教はインドの釈迦(紀元前7世紀〜紀元前5世紀?)が開いた宗教です。釈迦はシャカ族の王子で29歳で出家、35歳で菩提樹の下で悟りを開いたといわれています。釈迦は80歳で入滅するまでインド各地を伝道して歩きました。 |
(2) 日本仏教の展開 |
日本で最初に創建された本格的な寺院は飛鳥寺です。この寺の様式は百済の王興寺に似ていることから、王興寺を作った職人が渡来して造営したと考えられています。いずれにせよ、蘇我氏自体が渡来系氏族なので朝鮮半島から来た人々が作ったことには間違いないでしょう。現在、飛鳥寺には止利仏師が作ったとされる金銅仏が残っていますが、北魏様式なので仏教が北経由で入ってきたことがわかります。ちなみに隋は仏教、唐は道教を重んじています。 |
(3) 神仏の種類 |
室町時代になると本地垂迹も拡大し、不思議な仏像がたくさん生まれます。ここで簡単に表にしてみます。
・天照大神=大日如来=十一面観音=日吉神(=猿)
これらの本地垂迹は一部で、各神社によって様々な説があります。事細かに見ていくと頭が混乱してくるので止めておきましょう。逆に言えば、日本人は神も仏も合体させて神様、仏様として信仰していたということになります。一言でいうならば日本人は多面性を持った神仏教です。 漆は製作に手間のかかる技法ですが、日本人は昔から根気強く漆器製作に励んでいます。日本人の漆に対する情熱は、日本に漆作品が多数残っていることから窺うことができるでしょう。 |
(4) 近世の仏教美術 |
東京の若い古物商が仏教美術を扱い始めたのは二十数年前です。それまで仏教美術は信仰の対象と考えられたので敬遠されがちでしたが、信仰の自由が拡大して日本人は美術面から仏教をとらえることができるようになりました。以前の寺院や宗教者の態度を見ると信長が仏教を弾圧した理由や明治維新後、廃仏毀釈が起こした庶民の気持ちが理解できます。それをいまだに理解していない宗教者がいるのは残念なことです。 |