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藍九谷 染付 芭蕉文 七寸皿
[2026/06/27]

40年前、広島から東京に出てきた私は江戸文化に夢中で、毎週末観光ガイドを片手に史跡巡りをしていました。あれから時が経ち、その頃の記憶をすっかり忘れていましたが、写真の藍九谷に描かれている芭蕉を見て、昔、芭蕉庵に行ったことを思い出しました。
芭蕉庵は、俳人松尾芭蕉の江戸における住居跡で江東区深川にあります。高校時代、芭蕉の俳句が好きだったので、憧れの芭蕉庵を訪れて感動を覚えたものです。芭蕉庵の近くには富岡八幡宮や清住庭園があり、その地域を廻って江戸の情緒を楽しみました。1980年代半ばの東京はバブル経済、大規模開発の直前で、現在のようなモダンな都会ではなく、街に江戸の情緒が残っていました。
写真の藍九谷は、松尾芭蕉が生きていた時代に製作された作品です。バショウは平安時代に日本に輸入された南国産の植物でバナナの仲間。日本人はバショウを鑑賞しながら南国に思いを馳せたのでしょう。
ちなみに芭蕉庵にバショウが植えられたのは延宝9年(1681年)、これ以降、桃青を名乗っていた彼は名前を「芭蕉」に、「泊船堂」と呼んでいた深川の居を「芭蕉庵」に変更しました。この時代に芭蕉が詠んだ句、「芭蕉野分して 盥に雨を聞く夜哉」があります。芭蕉は秋の季語。情緒がありますね。
藍九谷の皿や松尾芭蕉の句を見るとこの時代、どのように日本人がバショウに接していたかわかります。

口径 約22.1cm/高さ 約3.5cm

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古美術の時代と価格の変化
[2026/06/20]

最近、ブログが回顧録のようになっています。このブログを始めた十数年前は、まだ古美術品に関する情報も少なかったので概念的な古美術についてブログを書いていたのですが、最近は生成AIなどの拡大もあり情報量も多く、基本的な情報はネットで取得できるため、ブログが個人的なものになる傾向があります。古美術の世界もテクノロジーの進化と共に変化しているようです。
写真はオールドノリタケのデミタスセット。大正時代に製作された欧米への輸出品です。当時、ヨーロッパは第一次世界大戦下で不況に陥っていました。一方、日本とアメリカはヨーロッパの生産不足を期に世界的な市場を拡大し、成金景気に沸きました。日本が近代化し、日本人の生活ががらりと変わった時代です。
仙遊洞を開店する2年前(1996年)、4か月ほどイギリスに遊学しました。アンティークの勉強をしようと考え、毎週、ロンドンで開かれる骨董市やモールで開かれるアンティークフェアに足繁く通いました。その時、イギリスには何と多くの清朝磁器が存在しているのだろうと感じました。磁器専門店に入ると清朝磁器の山。一方、同時期に生産された伊万里焼は見当たりません。ロンドンの体験から18世紀当時の日本と清朝、ヨーロッパの磁器生産の状況が把握できました。それから12年が経ち、2008年にロンドンに行くと骨董屋から清朝磁器が消えています。「清朝磁器はどこに行ったのですか?」と聴くと、店主は「清朝磁器はすべて中国人が買って帰った」と教えてくれました。この年の秋、リーマンショックが起きたのですが、当時の世界不況は中国マネーによって救済されました。この頃の中国の経済成長は凄かったですね。
ところで、オールドノリタケの作品は1990年前後の日本のバブル景気時代、外国から里帰りし高値で取引されていました。当時、オールドノリタケは高根の花、欲しくても買えませんでした。しかし、最近はノリタケ作品の価格も低下し、入手しやすくなりました。また、中国の不動産不況を受けて、中国古美術品も以前よりも廉価で入手できるようになりました。オールドノリタケ作品に限りませんが、デミタスセットを見ていると経済に左右される古美術品の価格変動を考察できます。果たして、この先、古美術品の経済価値はどのように変化するのか、興味深く追いかけていこうと考えています。

デミタスポット 高さ 約16.5cm/幅 約16.5cm
カップ 口径 約4.5cm/高さ 約5cm
ソーサー 口径 約10.6cm/高さ 約1.4cm
トレイ 口径 約30.5cm/高さ 約1.5cm

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夏柄の伊万里焼
[2026/06/13]

6月に入って日本列島は梅雨の季節になりました。雨が降ると日本各地の水瓶も一息。梅雨が季節を感じさせてくれます。
写真は平戸焼の網手文と志田窯の波乗り千鳥文の九寸皿。どちらも海を感じさせてくれる作品です。これから夏にかけて、このような涼感のある食器の使用頻度が上がるでしょう。
1992年まで、私の実家は広島市で釣り道具屋をやっていました。店には釣り道具の他、鳥を捕獲する網やえさがあり、子供心に「うちは釣り道具屋なのになぜ、鳥を取る網を売っているのだろう?」と疑問に思っていました。今、思えば戦後は食糧難。魚以外にも捕獲した鳥は家計の役に立ったのでしょう。
広島市は瀬戸内海に面しています。釣りは大人にとっては食糧確保の手段ですが、子供たちにとっては遊び。それでも海で釣れたアイナメやキス、カレエや海鼠などを家に持ち帰ると母親が喜んでいたことを思い出します。当時、それらの魚は広島では雑魚と呼ばれていましたが、現在は高級魚。先日、東京湾の海藻が減少し、サンゴが増えているというニュースが流れていました。地球温暖化によって環境が変わり、過去の雑魚は今では高級魚になったようです。
これは古美術の世界にも似た部分があります。昔は見向きもされなかったものが高値で取引されています。時代や環境が変わると物の価値も大きく変わります。江戸時代の手作りの器よりも電気窯で焼かれた白磁の器の方が人気があります。個人的には電気窯で焼いた均質の食器よりも薪窯で焼いた釉薬にムラのある伊万里焼の方が好きなのですが…。
2つの作品を見ながら、江戸時代の人たちは、この皿にどのような料理を盛っていたのだろうと想像してみました。きっとおいしい刺身料理を盛っていたのだと思います。

網手文皿 口径 約28cm/高さ 約3.6cm
波千鳥文皿 口径 約28.4cm/高さ 約4cm

御売約、ありがとうございました

伊万里焼 あじさい 菊 花鳥文 大皿
[2026/06/06]

5月下旬、近所を散歩していると、あじさいの花が咲いています。
あれ、あじさいの花が咲くのは6月じゃなかったのかなと疑問に感じました。家に帰ってあじさいの季節を検索すると「一般的な開花期は6月から7月で、特に梅雨の時期と重なり、暖かい地域では5月下旬から色づき始めることもあります」と出ています。それを読みながら自分の季節感と実際の季節のズレに気づきました。5月はアヤメ、6月はあじさいが一般的ですが、地球温暖化の影響は季節の花の開花にも影響を及ぼしているようです。
写真は伊万里焼染付色絵金彩のあじさい・菊・花鳥文大皿。幕末から明治時代初期に作られた作品です。余白や絵の描き方を見ると11代柿右衛門(1839年〜1916年)が関係して製作された大皿であることが想像できます。11代は1860年に柿右衛門を襲名、明治維新の激動期に窯を指導、積極的に作品の海外進出にも携わりました。後に11代は美術志向の12代と対立、柿右衛門は2つの系統に分裂しました。本品を見ると、いわゆる濁手色絵の典型的な作品ではありません。本品を柿右衛門作だというと疑問を持つ方もいるでしょう。しかし、細部を見ると柿右衛門の面影を所々に見ることができます。
ちなみに人間は刷り込みによる概念に縛られる傾向があります。あじさいの季節は6月だと思っていても、今年、東京のあじさいは5月下旬に満開でした。また、本品を見ると型通りの柿右衛門作品とは異なっています。固定概念を打ち破ることは大変ですが、逆に固定概念を打ち破ってくれる古美術品と出会った時の感動は良いものです。「目から鱗」を体験させてくれる古美術品収集も楽しいですね。

口径 約43.3cm/高さ 約6.3cm

御売約、ありがとうございました

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