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うお座の季節
[2026/02/28]

2月19日から3月20日は星占いでいうと「うお座」に当たります。星占いなど若者のアイテムと言われるかもしれませんが、古美術品の図柄とうお座のシンボルは意外と関係深いことがわかります。紀元前後に活躍したイエス・キリストのシンボルは二匹の魚、それを古代の人たちは「X」と表現しました。なぜイエスが魚を自分のシンボルにしたかといえばイエスの時代からうお座の時代が始まったからです。簡単に言うと春分点の背後に2000年間、うお座があったからです。それが現在、みずがめ座へと移行しました。
美術品に目を移すと弥勒菩薩の後脚した足、元時代に製作された竜泉窯の双魚文などがうお座の影響を受けて製作された作品の一部です。それを解読すれば、うお座の時代は交易が盛んになった航海の時代だということが言えるでしょう。
写真は、金城次郎の双魚文の抱瓶と伊万里焼染付の双魚文の八角皿、瑠璃釉猪口。抱瓶と八角皿には双魚文が描かれています。沖縄といえば江戸時代、中国や東南アジアと日本の海洋貿易の中継地点、また、日本の外国貿易の窓口は有田地方に近かった長崎、共に外国文化の流入する地域でした。陶工たちは西洋と東洋、陰と陽の2つの世界が出会う場を双魚文として表したのでしょう。
一方、瑠璃色はうお座のシンボルカラーです。青や瑠璃色は古代メソポタミアにあったチグリス川とユーフラテス川や海を表わす色とされています。古代のペルシャ地方の人々が青を使った作品を多数制作しており、ペルシャの青と中国の白磁の出会いが元の染付磁器を創造させた話は有名です。これらのことを考察すると古美術品が世界交流の中から生まれてきたことがわかります。
ちなみに、うお座の時代は全体的に宗教が重要なアイテムでしたが、みずがめ座の時代は宗教よりもテクノロジーや個人のコミュニケーションに重きを置く時代となります。とはいえ、みずがめ座のシンボルカラーもうお座同様、ブルー。人類はこれからも海を活用して交易を行っていくはずです。星占いを参考に2つの作品を見ると古美術品への理解も深まりますね。

金城次郎 抱瓶 横幅 約22.9cm/高さ 約16.3cm
染付八角皿 口径 約20.5cm/高さ 約3.6cm
瑠璃釉猪口 口径 約7.4cm/高さ 約5.3cm

御売約、ありがとうございました


竹の花入れ
[2026/02/21]

大河ドラマ「豊臣兄弟」は始まって2か月が経ちました。面白い作品なので毎週、楽しく見ています。古美術商をしていると毎年、NHKで放送される大河ドラマの時代に影響されます。去年、放送された「べらぼう」を見ている時は、18世紀後半の古美術品に目が行っていたような気がします。今年は桃山時代なので、その時代の作品を集めようかとも思っています。
個人的な話ですが、私が豊臣秀長に関心を持ったのは、千利休の没後400年(1591年4月21日没)を記念して作られた映画「利休」を見た時です。映画の中のシーンをいくつか覚えているのですが、その中でも山上宗二が秀吉の命を受けて殺されるシーンや田村亮の演じる秀長が病気でせき込むシーンなどが印象的でした。
写真は、是心軒法眼の在判のある一重切竹花入。利休が没して約180年後に作られた作品です。このような竹の花入れは千利休が1582年に発想し、小田原攻めの際に韮山の竹を使った竹花入れが名作となりました。竹の花入れは野仏などを供養するために使われていたのですが、それを茶道に使用したのは利休が初めてです。利休の弟子だった山上宗二は利休が侘びに傾きすぎていると批判しています。
竹の花入れの使用なども宗二にとっては「山を谷、西を東と茶湯の法度を破り、物を自由にす」の部類だったのでしょう。また、秀吉も竹の花入れを縁起が悪いといって嫌ったそうです。
ちなみに、大友宗麟の書状に秀吉の言葉、「内々の儀は宗易(千利休)に、公儀の事は宰相(豊臣秀長)存じ候」があります。これは秀長と利休が豊臣政権の中で重要な地位になったことを示しています。この2人が亡くなった後、豊臣政権は崩壊の道をたどります。それを考慮すると、利休が作った竹花入れは奢った人の戒めとなる作品だったような気がします。竹の花入れを山上宗二(1590年5月19日没)や豊臣秀長(1591年2月15日没)と結びつけると歴史や茶道への造詣も深まるでしょう。

高さ 約29.3cm/口径 約10cm

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陶器とガラスの造形
[2026/02/14]

日本でガラス作品の製作が始まったのは17世紀後半、延宝時代です。18世紀になると長崎でガラスの製作が始まり、それまで基調だったガラス製品は一般化しました。歌麿の浮世絵「ビードロを吹く女」を見ると、ガラスを庶民でも購入できる様子がうかがえます。
写真は丹波焼の栗皮釉の徳利2点と江戸ガラスの徳利。この写真を見ると、丹波焼がガラスの造形を模倣して徳利を作ったことがわかります。
昔、丹波焼の図録で細めの徳利を見た時、なぜ、このような徳利を丹波で作ったのかわかりませんでした。古美術商を続けているうちに情報も増え、あれこれ作品の比較をしてうちに細めの徳利が江戸ガラスの徳利の影響を受けて作られたことに気づきました。 そのようなことは本を見ていても気づかないものですが、実際に作品を手に取ると思いもしなかったことが思い浮かんできます。数か月前に出品した徳利も同様、ガラス器を写した作品です。
日本の陶磁器を見ていると、なぜこのような造形をしているのだろうと思わせる作品があります。福山藩の名産・保命酒を入れる鞆徳利を考察すると西洋ガラスの影響を受けて製作されたことがわかります。雑器の形にも西洋の影響があるところを見ると、江戸時代の文化交流の幅広さを伺うことができます。古美術品から歴史を探ると本で得た知識とは違う世界が広がりますね。

長徳利 高さ 約27.4cm/胴径 約8.3cm
角徳利 高さ 約17.3cm/胴径 約10.3cm

長徳利 御売約、ありがとうございました
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旧暦の正月
[2026/02/07]

日本の正月は一か月前に終わりましたが、これから中国では旧正月のシーズンに入ります。2026年の旧正月は2月17日、それまで中国や海外の中華街ではいろいろな行事が行われます。長崎では2月6日から2月22日まで旧正月を祝うランタン祭りが行われます。
写真は安南(チャンパ)の胴部に龍と宝珠の模様が貼り付けられた飴釉の六耳壺。17世紀に作られた茶や香辛料を入れる容器です。この時期、清朝の政権も安定し、東アジアでは活発な貿易が行われていました。それを担ったのがヨーロッパの東インド会社です。イギリス、オランダは東アジアにお茶や香辛料を求めて進出します。一方、日本からは元禄伊万里焼の作品がオランダの東インド会社を通じてヨーロッパに輸出されました。
当時、一部の国家の貿易戦争(例えば、イギリスとオランダ)があったとはいえ、現在のような世界的な貿易戦争とは状況が異なっていたようです。最近、アメリカのトランプ関税やベネゼエラ侵攻、高市総理の台湾に関する発言などで国際関係が悪化しています。私はアメリカ型の民主主義は今年、崩壊すると予想していますが、それは歴史の必然。古美術商をしているとタイムスケールがワイドになり、長い目で見るとこのような時期もあると呑気に構えています。
ちなみに今回、出品したチャンパの壺は明三彩の模倣で、日本の唐津焼など日本の陶器に影響を及ぼしています。参考写真と本品を比較すれば、そのことは理解できると思います。唐津も苗代川も対外貿易の盛んだった九州にあるので、日本の他の地域よりも東アジアの陶磁器の影響を強く受けたのでしょう。
現在の世界情勢を見ながらチャンパの壺を見ていると、昔の東アジアの自由貿易がどのようなものだったか想像できます。当時の旧正月も現在と同じように華やかだったのでしょう。最近は高市総理の台湾有事に関する発言で日本と中国の関係がぎくしゃくしていますが、政治に振り回されるより自由な貿易の方が良いですね。

高さ 約30cm/胴径 約30cm

(左)交趾耳付壺
中国 明時代 16世紀

(中央)二彩唐津牡丹文五ツ耳付壺
日本 江戸時代 17世紀後半

(右)褐釉刻花文四耳壺
安南 ベトナム 14〜15世紀


御売約、ありがとうございました

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