blog

ガラス絵
[2025/05/31]

5月下旬になると気温も上がり、夏を感じさせる陽気になりました。このままだと、今年の夏も暑くなりそうです。
1月にNHK大河ドラマ「べらぼう」が始まって以来、毎週欠かさずに見ています。視聴率はいまいちのようですが、私のような歴史好きにはたまらない番組。昔の大河ドラマといえば安土桃山時代か幕末のドラマばかりでしたが、2021年の「青天を衝け」、昨年の「光る君へ」など、他の時代を主題にする番組も増えています。

写真はガラス絵「文を読む女性」とガラスの氷コップ。ガラス絵は浮世絵をガラス板に描いた作品です。日本でガラス絵が製作されるようになったのは18世紀後半。ちょうど、「べらぼう」の時代に当たります。ガラス絵の製作は主に長崎で行われたのですが、江戸では司馬江漢が独自の技法でガラス絵を描いています。残念なことに江戸時代のガラス絵はほとんど残っていません。一方で明治時代に製作されたガラス絵は多数、残っています。その題材のほとんどが役者絵や風景画。西洋の技法を使って描く浮世絵というのは面白いですね。
不思議なのは明治30年頃、ガラス絵の製作が終わったこと。この時期、日本では氷で食材を冷やす冷蔵箱が発売されます。その普及と共に明治時代後期、かき氷を盛る氷コップが出現します。ガラス絵が消滅するのは、日本の近代化が進んだからでしょう。
大河ドラマでいうと「べらぼう」の近世が終わり、「青天を衝け」の近代へと移り変わります。写真の氷コップが昭和レトロなら、ガラス絵は江戸レトロ。時代性のある古美術品を側に置いて鑑賞しながら大河ドラマを見ると一層、その時代を感じることができます。楽しいですね。

(左)額サイズ 縦横 約35cm×52.3cm
(右)口径 約12.8cm/高さ 約7.3cm

御売約、ありがとうございました

切込焼、2枚の長皿
[2025/05/24]

5月下旬、日差しが強くなりました。季節的には春ですが、夏を感じさせる日が続きます。公園を散歩する時、木陰が恋しくなります。
写真の2作品はいずれも切込焼の長皿。とはいえ、2枚のデザインを見比べると同じ窯で焼いた作品だろうかと疑いがわきます。近年まで切込焼は幻の窯と言われ実態がわかっていませんでした。最近は発掘調査や図録の出版など、切込焼に対する関心が集まっているので徐々に認知度も上がっています。簡単に解説すると19世紀前半、切込焼は仙台藩が経営した窯で現在、9つの窯の存在が確認されています。しかし、仙台藩が窯の経営に関する資料を残していないので、これまで幻の窯と言われてきました。御用窯作品は立派なので判別しやすいのですが雑器は伊万里焼のような統一性がありません。簡単に言うと各地から集まってきた陶工たちが切込の窯を使って勝手気ままに磁器作品を作っていたことが想像できます。
写真の(右)牡丹唐草の長皿を見ると力の抜けた感じの絵が描かれています。一方、(左)幾何学文の作品は頑なな感じの絵付け。この2作品を比べると、切込焼の作品は作家の個性によって表現が異なっていることがわかります。
20世紀末のバブル時代、伊万里焼のたこ唐草の長皿に人気が集まりました。パターン化された絵付けがもてはやされたのです。しかし、21世紀にはいるとパターン化した作品よりも個性的な表現作品が注目されるようになります。これは19世紀末、古典主義的な作風からフォービズムや構成主義に移行したヨーロッパの美術の流れに似ています。フォービズムやコンポジションが、個人的表現を重んじる現代美術の基礎となったことは言うまでもありません。
江戸時代後期、九州には多数の磁器窯(伊万里焼、波佐見焼、亀山焼、平戸焼など)が広範囲にわたって存在しています。それらの作品は区別がつきやすい傾向があります。一方、切込焼は狭い地域にある一つの窯で多様性のある作品を製作しているので不思議な感じがするのでしょう。パターン作品が少なく、一品物が多いのも切込焼の特徴です。九州磁器の模倣(初期伊万里から三彩まで)といえばそれまでですが、そこに作家の個性が加わるので切込焼は面白いのでしょう。ちなみに写真の長皿は、どちらも今まで類似品を見たことがありません。雑器であっても希少品ですね。

(左)口径 約21.5cm×11.3cm/高さ 約4cm
(右)口径 約20cm×11cm/高さ 約3.4cm

御売約、ありがとうございました

白と青の世界
[2025/05/17]

清朝の陶工たちは王侯貴族のために青、赤、黄色、白、黒など多くの単色陶磁を作っています。これは中国人が玉(石)を好む文化を持っていたからです。ロンドンにあった旧デヴィッド・パーシヴァル美術館に行くと、展示室の一角に単色陶磁を並べた部屋があり、それを見ると清朝の人たちが単色陶磁を重んじていたことがわかりました。旧デヴィッド・パーシヴァル美術館の作品は現在、大英博物館で見ることができます。
一方、日本では白磁以外の単色陶磁はあまり製作しませんでした。どちらかというと日本人は単色陶磁よりも絵付けをした染付磁器を好んでいました。残っているものを見ると日本人は絵画的センスに優れていたことが判ります。
写真は伊万里焼の瑠璃釉楕円皿、切込焼瑠璃釉の御神酒徳利、棚倉焼の白磁尊式、砥部焼の白磁徳利。日本各地の窯で製作された単色陶磁です。面白いのは清朝の単色陶磁と違って日本の陶磁器には釉薬のムラや変化があること。日本人陶工は清朝の陶工のように玉器を意識して陶磁器を製作しなかったのでしょう。自然と共に生活している日本人は、人工的で完璧な単色陶磁が好みに合わなかったようです。とはいえ、陶磁器製作に熱心な日本人は作品に多様性を持たせ様々な作品を作りました。写真の作品を見ると色は同じでもそれぞれに表情があります。清朝の単色陶磁は貴人たちの物ですが、日本の単色陶磁は庶民好みの作品だったようです。

(左)口径 約20cm×11.5cm/高さ 約4.5cm
(中左)高さ 約30.8cm/胴径 約13cm
(中右)高さ 約16.8cm/口径 約10.5cm
(右)高さ 約29.8cm/胴径 約19.5cm

伊万里瑠璃楕円皿の購入をご希望の方はこちらから
瑠璃釉、白磁民芸品の購入をご希望の方はこちらから


備前焼の花瓶から
[2025/05/10]

仙遊洞では現代美術と古美術の類似性について毎月、ブログをアップしています。
今回は備前焼の花瓶と現代美術の類似性についての記事です。写真を見れば3作品の類似性は一目でわかるはず。作品は3人の作家が作った作品です。備前焼の作家は不明ですが、黒いオブジェはドイツ人アーティスト、カール・ニコライの「アンチ(2004年)」、緑色の絵画は李禹煥の「第四の構造B(1969年の再現)」です。単純にいうと3作品は20世紀前半に流行した構造主義的作品といえるでしょう。この3作品を古い順に並べると「第四の構造B」、備前焼の花瓶、「アンチ」となります。時代も国も違うのに作品が美術的に類似するのは人類の美に対するDNAの基本構造が同じだからかもしれません。昔、現代美術の勉強をしていた私は現在、古美術商をしていますが、古美術品に出会ったときに時空を超えた美術に関して考察することが好きです。ちなみに、「アンチ」は旧石器時代の石器にも似ています。このように感じるのは私だけでしょうか。
ところで、2月22日のブログ「古美術品が話しかけてくる時」に李禹煥と坂本龍一のことを書いたのですが、李先生が坂本さんに興味を持ったのは映画『レヴェナント:蘇えりし者』を飛行機内で見て、その音楽に衝撃を受けた時だそうです。
「7年ほど前、飛行機の中で映画『レヴェナント』を見ました。坂本龍一さんが中咽頭(いんとう)がんの治療直後に音楽を担当した作品です。極限状態に置かれた人間が描かれていて、音の使われ方がちょっと普通じゃなかった。
 特に厳しい寒さの中の風の音が気になりました。帰国後にDVDを買って自宅でじっくり見直すと、やはり手が入っていた。どこに手を入れたか分からないくらい、ほんのわずかに。自然を呼び寄せたり、介入したりしていた。面白い。見事だなと思いました。(李禹煥)」
実はこの映画の映画音楽は上記のカール・ニコライが坂本龍一と一緒に作った曲です。カールは、アルヴァ・ノトという名前でミュージシャンとしても活動しているマルチ・アーチスト。芸術家というのは多彩ですが、共通性を持っています。さて、備前焼の作家は誰か不明なのですが、この作家も音楽的素養を持っていることは間違いないでしょう。実在する作品だけからではなく、縁を通して考察ができるのは面白いですね。

高さ 約26cm/横幅 約13cm角

https://www.shift.jp.org/ja/archives/2012/04/carsten_nicolai.html
https://note.com/takechihiromi/n/n3a16997f9ef0

御売約、ありがとうございました


大阪万国博覧会
[2025/05/03]

4月下旬からゴールデン・ウイークが始まりました。天気の良い日が続くので日本中は行楽日和です。
先週末、大阪万博に行ってきました。1970年の大阪万博の時、小学校3年生だった当時のことを思い出し、行く前からそわそわした気分になりました。歳を取ると人込みに行くのは嫌なのですが、生涯最後の万博だと思い行くことを決意、1970年の時のような小学生気分で万博会場に向かいました。
行った感想は久しぶりに「足が棒になった」ということです。会場が広いので歩く体力、パビリオンを見るのに並ぶ体力、チケット予約をする労力など様々な体力が必要です。今回の万博はデジタル技術の活用で「並ばない万博」を歌っています。しかし、実際にはアナログの行列で「並ぶ万博」。現代社会にデジタル技術が浸透しているように見えても実のところ、歩く、並ぶというアナログ行為が主体のイベントだと感じました。
私が行ったのはニンテンドー・ガンダム館、パソナ館、フランス館など10展示。特に印象に残ったのは夕方に開催されるサントリー、ダイキン提供の「青とアオと夜の虹のパレード」、大屋根リング、パソナ館のIPS細胞。この3つを観ただけでも大阪万博に行ってよかったと感じました。メディアは大阪万博の悪口ばかり言っていますが、メディア情報と体験では大きく違います。何でも実際に体験してみないと、素晴らしさは理解できませんね。
その他、印象に残ったのは親に連れられてきている子供や修学旅行生など若者たちの笑顔。彼らの笑顔を見ていると日本も捨てたものじゃないなと感じました。今回の万博は会期が終わるとすべて取り壊されます。そのことを考えながら会場を見ると、楽しい夢を見ているような気分になります。

ちなみに東京に帰って感じたことは、「仙遊洞自体、世界の古美術品があふれていて万博会場みたいだな」でした。写真はジョセフ・アーネのボヘミアガラスの花瓶。アーネは1873年のウィーン万博、1878年のフランス万博でガラス作品が優勝賞を受けた作家です。また、鉢の写真はペルシャの鉄絵スペード文鉢。元が成立し、東西交流が盛んになった頃の作品です。
万博に行かなくても、古美術品を身近に飾っていると、ちょっとした旅行気分に浸ることができます。日常の中に非日常的な古美術品を取り混む楽しさを今回の万博旅行で再認識できたような気がしました。




(左)高さ 約26.5cm/胴径 約10.8cm
(右)口径 約21cm/高さ 約7.6cm

御売約、ありがとうございました

上へ戻る