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染付の季節
[2025/04/26]

4月下旬になって夏日が増えました。4月下旬なのにこの暑さ。春は一体、どこに行ったのでしょう。毎年、仙遊洞では今頃から染付作品、ガラスを多めに出品します。冬は色絵の器、漆器ですが、夏の食器は染付と器。涼感がある青い染付はこれからの季節、使用頻度が増えそうです。
写真は古染付の皿、伊万里焼の壺、高屋焼の鉢。これらの作品を見ると東洋には様々な窯の作品があることがわかります。
染付作品が作られるようになったのは中国の元時代。元が中東地域に進出したことによってコバルトが入手できるようになり、それが景徳鎮の白磁と融合、染付作品を出現させました。その技術が日本に伝播したのは江戸時代初期です。当時、徳川幕府は銅を東南アジアへ輸出、その資金を使って大量のコバルトを日本に輸入しました。それ以降、交易の拡大によって染付の製作数が増大します。
ちなみに1980年のバブル経済時、江戸時代の染付作品は高価でした。特に花唐草やたこ唐草は団塊の世代に人気があり、古美術ファンがこぞって収集していたことを覚えています。最近はそのような傾向も落ち着き、食器として使用できる価格になっています。
ところで、日本人は染付作品の多くは有田地方で作られた伊万里焼だと考えています。しかし、実際には1800年代前半、磁器の技術が全国に広がり、各地で染付磁器を作っていました。最近は地方窯の染付にも注目が集まり、伊万里と国焼の違いを楽しむ人も増えています。陶器同様、磁器にも産地の個性、多様性があることを知ると染付作品の収集も楽しくなるでしょう。国焼磁器を使って、その地方の郷土料理を食べるとちょっとした旅気分に浸れます。

(左)口径 約15.9cm/高さ 約3.5cm
(中)高さ 約20cm/胴径 約18cm
(右)口径 約30.8cm/高さ 約10.5cm

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直しのある李朝白磁茶碗
[2025/04/19]

写真は李朝白磁の茶碗2点。どちらも直しがある作品です。仙遊洞のブログでは度々、現代アートと古美術の共通点について解説してきました。今回、登場するのはイタリアの画家ルーチョ・フォンタナの作品。李朝の茶碗とフォンタナの作品を比較すると一目で両作品の共通点を感じることができるでしょう。違いは李朝作品は偶然が作品を作り出していますが、フォンタナは意図的にキャンバスにキズを入れているところ。無作為か作為的かの違いです。フォンタナの作品が発表された時代、米ソは宇宙に向けてロケットをたくさん打ち上げていました。人間が成層圏を突き破り、宇宙に飛び出したことは人間の空間概念を大きく変化させました。テリトリーからの逸脱が人間の意識に変化を与えたのです。
最近、欧米では金継ぎ直しが流行しています。それまで完璧な美を求めていた欧米人は傷のある作品を直すことによって新しい美を発見したのです。
ところで宇宙開発といえばアメリカのスペースX。イーロン・マスクの率いる企業です。マスク氏はすべての作業をロボット化し、人の手の加わらない機械が活躍する社会を作り上げようとしています。そのようなマスク氏に、直しのある李朝の茶碗を見せたらどのような反応をするでしょうか。結果は明白、ただ無視するだけだと思います。マスク氏が主張するような社会が果たして人間を解放するのか、これまで美術に携わって来た人間としてははなはだ疑問が残ります。アナログ人間の私としては傷のある古美術品を直すことによって世界が広がっていくと考えてしまいます。
デジタル・アートや生成AIアートが真っ盛りの現代社会において、私のようなアナログ人間の居場所はますます狭くなっているようです。

(左)口径 約15.5cm/高さ 約7.3cm
(右)口径 約14cm/高さ 約8.7cm

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ルーチョ・フォンタナ「空間概念・待機」(1960年)
https://ims-create.co.jp/art/817/


チューリップ畑と立山
[2025/04/12]

東京では花見も終わり、桜の枝には新緑が芽生えています。桜の開花から新緑の芽吹きまで2週間。あっという間に季節が変わった感じがします。
写真の版画は前田常作(1926年〜2007年)のチューリップ畑と立山を描いたシルクスクリーン。手前は春の風景ですが、遠く立山を見ると雪が残っています。
前田常作は昭和・平成時代にマンダラや仏教的な題材をモチーフにした画家です。1970年代、若者たちは精神世界やオカルトに夢中でした。ヒッピーなどがインドや第三世界に向かい、超常現象などに関心を示した時代です。
大学時代、私はオカルト少年で時間があれば神奈川県の大山にUFOを見に行きました。夜通し友人と一緒に夜空を見上げてUFOを呼ぶとUFOが山の上空に出現します。最初に見た時の感動は今でも忘れることはできません。その頃出会ったのが前田常作の絵画でした。当時、前田氏は武蔵野大学油絵科の教授で、多摩美術大学には精神世界系の油絵画家がいなかったので、私は武蔵美に行けばよかったと思ったことを覚えています。
あれから40年経って偶然、前田常作の作品を購入し、当時のことを思い出しました。若い時代の感性は豊かで、超常現象に敏感に適応できます。テクノロジーばかりの現代社会とは違う自然や超常現象に接することができたのは幸せだったと感じます。
昔、好きだったロックやポップスを聞くと青春期の思い出がよみがえってきますが、青春期に好きだった絵画作品に出会って過去を思い出すのは音楽を聴くのとは違う感覚に浸ることができます。美術作品を通して昔の自分に出会えるのは楽しいですね。

ピクチャーサイズ 縦横 約31cm×21cm
額サイズ 縦横 約53.5cm×41.5cm

御売約、ありがとうございました

桜に鶯
[2025/04/05]

先週に続き、桜の軸を出品します。今週の軸は今井景樹の「桜花小禽」図。桜に鶯というちょっと変わった作品です。鶯は梅と組み合わせるのが一般的。桜に鶯が描かれた作品はあまり見かけません。しかし、古今和歌集を見ると、「花の散ることやわびしき春霞竜田の山の鶯の声」などの句があります。桜の時期が去り侘しい気持ちになったという歌です。満開の桜ではなく、桜が散る時期を歌う日本人の感性は繊細ですね。
ちなみに、侘茶を大成した千利休の師・武野紹鴎は侘茶の本質を心敬法師の言葉を借りて「枯れかじけて寒けれ」と表現しています。茶人にとっては満開の花よりも寒い中で咲く梅や椿の花に侘びた美を見つけたのでしょう。これを現代アートに置き換えると1970年代に流行した「もの派」の美意識に近いものがあります。もの派は余白を利用して物の存在を際立たせた手法の美術運動でした。
一方、1990年代以降、日本の現代アートは村上隆が提唱する色彩豊かな作品が主流となります。パソコンやスマートフォンを使用する頻度が増え、アニメ、マンガ、フィギアなど虚構な作品が社会的にも影響力を及ぼすようになりました。備前焼よりもポケモンカードの人気がある世界です。
大学時代、「もの派」で育った私としては地味な表現、シンプルな作品が好きなのですが、社会的には見栄えのするモノやコトが好まれているようです。 写真の「梅花小禽」図を見ながら、自分は桜の散る季節のような地味な古美術品を扱っているのかなと感じています。

本紙サイズ 縦横 110cm×21cm
軸サイズ 縦横 184cm×28.5cm

掛軸 御売約、ありがとうございました

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