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花見の季節
[2025/03/29]

今週は西日本で桜が満開のようです。日本人にとって桜は春の訪れを感じさせてくれる花。近所の公園を散歩すると花見客でいっぱいです。やっぱり春は良いですね。
写真は「奈美」銘のある桜と御所人形の掛け軸。作者についての詳細は不明ですが、この軸を見た瞬間、「かわいい」と感じて購入しました。御所人形が描かれているので京都近辺の作家の絵だと想像しています。女性らしい細やかさが画面全体に行き届いた作品です。
ところで、日本人が桜の花を愛でるようになったのは平安時代。それまで梅や桃など中国伝来の花が貴族の憧れでした。そのトレンドが変わったのが平安京への遷都。嵯峨天皇(786年〜842年)は桜を愛でる「花宴の節」を812年に催しています。
ちなみに平安時代を代表する歌人・在原業平は「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(この世の中に桜がなければ、春はのどかな気持ちで過ごせるだろうに)と歌っています。それから1000年の間に桜の対する気持ちは日本人全体に広がり、最近では外国人観光客にも浸透しています。
世間では花見が真っ盛りですが、本軸を床の間などに掛けて眺めると喧騒とは違う花見ができるでしょう。日本酒で一杯、静かな花見も良いですね。

本紙サイズ 縦横 41.5cm×50.5cm
軸サイズ 縦横 125cm×68.5cm

御売約、ありがとうございました

チョコカップ
[2025/03/22]

最近、食品の物価が上がっています。米は7割、チョコレートの原料であるカカオの価格は2倍になっています。その他の食品も同様、日本にインフレの波が押し寄せています。
写真は元禄伊万里のチョコカップとしエインズレイのカップトリオ。元禄伊万里のチョコカップには取っ手が付いていません。製作年代には250年くらいの開きがありますが、両品とも紅茶やコーヒー、ココアを飲むためのカップです。西洋人がカカオを知ったのは16世紀中頃、それから100年後、ココアを飲むことが流行しました。元禄伊万里が輸出されたのもその時代で、西洋の王侯貴族たちは元禄伊万里のチョコカップでココアを飲みました。しかし、ボウル型のカップでは熱い飲料を飲めなかったので18世紀中頃、取っ手のついたカップが発明され、それ以降、取っ手付きカップが主流となりました。
ところで私が子供の頃、おやつといえばチョコレートとキャラメル。現在のようにお菓子に多様性はなくシンプルなものでしたが、チョコレートを食べると幸せを感じたことを覚えています。
最近、スーパーなどに行くとお菓子の容量が減り、値段が上がっていることに驚きます。材料費や包装などの経費が上がっているとはいえ、「この価格では」と購入意欲が薄れます。多様性があることは重要なのですが、品質と価格がマッチしなければ取引は成立しません。これは古美術品の取引にも当てはまります。
最近、古美術品に関して大きな作品よりも小さな作品に人気が集まっています。これは食品とは逆。時代によって商品サイズに流行があるようです。「大きいことはいいことだ(森永製菓エールチョコレートのコマーシャル。1967年)」で育った私としては、大きくても魅力があれば商品を購入してしまいます。その結果、家中が大きな古美術品の山。「何とかしてください」と家族に文句を言われるのですが……。的確なサイズの商品を見つけるのは難しいですね。

元禄伊万里チョコカップ 口径 約7.2cm/高さ 約8.1cm
トリオ カップ口径 約9.6cm/ソーサー口径 約14cm/プレート口径 約18.2cm

御売約、ありがとうございました

オールドノリタケ 水仙文 双耳花瓶
[2025/03/15]

3月に入っても寒い日が続きます。「三寒四温」ですが、春も間近な感じがします。
写真はオールドノリタケの双耳花瓶。この作品を見た時、チェコの画家アルフォンス・ミュシャ(1860年〜1939年)を思い起しました。アール・ヌーヴォーは19世紀後半、ヨーロッパで流行したジャポニズムから派生した美術運動ですが、ミュシャはそれを代表するデザイナー。太い輪郭と女性や花を題材にした有機的なデザインがミュシャの特徴です。その影響は日本にも及び、油絵画家・藤島武二などがミュシャ風のイラストを文芸誌「明星」の表紙に描いています。また、大正時代の雑誌などを見るといかにミュシャ様式が日本文化に影響を与えたか把握できます。それは陶磁器にも及び、写真の双耳花瓶の絵付けにもミュシャ風のデザインが採用されたようです。
面白いのは手前の水仙はミュシャ風ですが、背景の風景はノリタケそのもの。洋風と和風が混ざった絵付けがされています。本作を見ると日本美術が西洋に影響を与えてジャポニズム、アールヌーボーを生み、そのデザインがさらに日本に逆輸入され、それをまたノリタケが採用して海外に輸出したことが分かります。この流れを見ると美には国境がないのだなと感じます。
最近、各国が保護主義に傾いています。国家の政策に翻弄される美術作品ほど不自由なものはありません。政治が閉鎖的になっても美術だけは人々に開放をもたらしてくれる分野であり続けてほしいものです。








高さ 約27cm/胴径 約13.5cm

御売約、ありがとうございました

https://plaza.rakuten.co.jp/akiradoinaka/diary/202009180000/
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/gallery/353079


KPM ベルリン王立磁器製陶所 金彩色絵 花妖精皿
[2025/03/08]

2月末に気温が上がりましたが、3月に入って再び寒い日が続いています。まさに「三寒四温」の季節。春の到来も間近な感じがします。

写真は、KPMで製作された金彩色絵の花妖精の7寸皿。この作品のマークを見ると1849年から1870年の間に製作されたことがわかります。1849年のドイツといえば三月革命の時代。この運動に参加した音楽家ワーグナーは革命の失敗によって指名手配され、スイスに亡命しています。また、この時指名手配された自由主義者の多くの労働者はアメリカのウィスコンシン州、テキサス州に亡命のため移住しました。両州は昨年の大統領選で話題となった地域です。ちなみにトランプ大統領の祖父は1885年にアメリカに移住したドイツ系移民です。ドイツ史を見るとこの時期、プロイセンのヴィルヘルム1世(1797年〜1888年)がオットー・フォン・ビスマルクを首相に選任して軍制改革の成功、1871年の普仏戦争の勝利でドイツ皇帝に即位してドイツ統一を達成しました。KPМのマークは1871年に新しいデザインを採用するのですが、それはドイツの社会の変化に合わせたものだったのでしょう。
この作品を見ながらドイツ史を見ると、本作に描かれた裸足で寒さに耐えている花の妖精がドイツ国民のように見えます。日本でいうと島崎藤村の「夜明け前」の世界。
ちなみに明治時代、大日本国憲法はドイツの憲法をもとに創作されました。それは両国がイギリス、フランスに遅れて、同時代的に体制の変化に即応した結果でしょう。 その後、KPМはヴィルヘルム2世のもとで新古典主義を取り入れて発展を遂げます。
あれから150年が経ち、ドイツ系移民のトランプ大統領によって世界が変わろうとしています。古美術品を通して世界を考察すると、いろいろなものが見えてくるのが面白いですね。

口径 約21.8cm/高さ 約2.7cm

御売約、ありがとうございました

ヴィルヘルム1世
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=101930369


2つの百万塔
[2025/03/01]

先週、NHKで放送された「よみがえる長安 〜遣唐使が見た古代中国〜」を観ました。現在の長安(西安)の都市開発により土中から出現した遺跡を追うことによって唐時代の長安の状況が判明してきたという番組です。長安は玄宗皇帝(685年〜762年)の時代、国際都市として最盛期を迎え、日本人留学生の吉備真備などが活躍しました。しかし、絶頂期を迎えた長安も安史の乱(755年〜763年)によって壊滅、この時、杜甫の詠んだ「国破れて山河あり…(春望、757年)」の詩は有名です。

写真は昭和時代に作られた百万塔。百万塔は天平宝字8年(764年)に起こった恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱後の動乱を鎮めるために称徳天皇によって発願された陀羅尼経の入った小塔です。唐も日本も同時期に権力をめぐって戦いが起こり国を危うくしましたが、平城京は長安のように壊滅することはなく、東大寺大仏殿も無事でした。
ところで現在、世界を見渡すとウクライナとパレスチナで大きな紛争が起こっています。両国の紛争は連日、テレビニュースで放映され、見ていると心が痛んできます。
幸いトランプ大統領が就任して両国の紛争は終わる可能性がでてきましたが、欧米や国連の分断をみると問題は山積み。このような状況の中で百万塔を見ていると1400年経っても人類は同じようなことを繰り返しているのだなと感じます。現在でも百万塔が必要なのでしょうか。早く戦争を終えてほしいものです。

(右)高さ 約21.8cm/横幅 約10.4cm
(左)高さ 約22cm/横幅 約10cm

御売約、ありがとうございました

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