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伊万里焼 花唐草文 なます皿
[2024/04/28]

桜の花の季節も終わり、公園を歩くと木々は緑色の葉が生い茂っています。つい最近まで花見をしていたような気がしますが、自然界の変化のスピードには驚かされます。写真は元禄時代に作られた藍柿右衛門・花唐草文なます皿。17世紀後半の藍柿右衛門作品は京都の東福門院周辺の人々が愛用した食器です。唐草文は中東が起源ですが、日本の公家が使用する際は唐草も和風化されてやさしい表情になっています。花と葉が生い茂る様子はまさに日本の春の景色。美しいですね。唐草といえばもう一つ「たこ唐草《があります。こちらはどちらかというと海産物向きのデザインです。京都には海がないので公家たちは食事をする時、花唐草の食器を好んだのではないかと想像しています。ちなみに花唐草文は人気があるので現在、陶磁器会社が印刷技術を使って復刻した食器を製作しています。しかし、印刷の花唐草の食器はどうも味気ない。電子レンジのような大型の電気窯で焼かれるので表情に乏しく潤いがありません。頑なで上自然です。
ところで、最近は外国産の輸入食材が高騰しているとか。ニュースを見ているとアメリカンビーフは和牛なみに値段が高くなっているようです。同じ値段であれば日本人は和牛を購入するでしょう。食器も食材も自然な感じが良いですね。本作を見ながら日本食材の良さを再認識しているところです。

口径 約13.7cm/高さ 約4cm

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唐の褐釉男性俑と明の緑釉男性俑
[2024/04/21]

先日、NHKの「ステータス《という番組で明時代の「チキンカップ《が38億円で落札された(2014年落札)という番組を放送していました。これは中国の陶磁器史上最高額だということです。私が古美術商を始めた1990年代、「チキンカップ《は1億円だったので30年で38倊になったというわけです。番組は「チキンカップ《の権威的側面をクローズアップして、品質に話題があまり向けられていませんでした。長くなるので簡単に解説すると「チキンカップ《のすごさは明の永楽帝の時代に作られた最高級の白磁の上に世界各地から集められた釉薬を使って絵が描かれたということです。青のコバルトはアフガニスタン、赤はタイ(これが想像ですが)、黄色は…。「チキンカップ《は大航海時代、グローバル化なくしてはなされなかったということです。
ところで、番組を見ながら、ふと中国人の色彩感覚について関心が及びました。中国人は五行の青、赤、白、黒、黄色を中心に構成されています。これらの色は方位に当てはめられ、青は東(青龍)、赤は南(朱雀)、白は西(白虎)、黒は北(玄武)、黄色は中央(黄泉)とされます。この思想は古代の日本にも影響を及ぼし、平安京などの都作りに応用されていました。
私は唐三彩が好きでこれまで多数、扱ってきましたが、ふと単色の俑を通信販売欄に出品した時、これまで私の単彩俑の扱い方に思い違いがあったのではないかと気づきました。三彩に思いが行きがちで、単彩俑を下位に位置付けしていました。俑には三彩の他、緑釉、褐釉、白釉、黄釉、加彩などの作品があり、これまで三彩は富裕層、単彩は庶民が採用する俑だと考えていました。しかし、今回、「単彩の俑には方位を司る目的があったのではないか《と考えたのです。
ですから、写真の唐の褐釉男性俑は南、明の緑釉男性俑は東を司った俑ではないかと…。
西は白釉、中心は黄釉、北は無釉の俑。北を無釉とする感覚に中国人のセンスを感じることができます。俑の頭部が無釉なのはあの世、釉薬が掛かっている部分はこの世を表すと言われています。考えていますね。
「チキンカップ《が作られた明時代、世界は中世から近世への転換点でした。西洋ではルネッサンス時代で自然科学に関心が集まります。明の緑釉の男性俑を見ていると、彼が近世の始まりを告げているように感じました。小さなことですが古美術品に接していて新しい発見をした時は楽しいですね。

唐褐釉男性俑の高さ 約22cm/横幅 約5.5cm
明緑釉男性俑の高さ 約18cm/横幅 約6cm

御売約、ありがとうございました

https://www.nhk.jp/p/ts/LGKJL4LLNN/episode/te/YVZNZ2V31K/


中野焼 染付山水文 平茶碗
[2024/04/14]

中野焼は、九州の窯の中でも珍しい作品を作る窯です。簡単に言うと陶器に染付をしているということ。有田のある九州は磁器か、個性的な陶器作品を作る窯が多いのですが、 中野焼の作品はそのどちらにも属していません。もともと中野焼は朝鮮人陶工が開いた窯で当初は茶陶を製作していました。寛永20年(1643年)、今村家が中野焼の陶工を率いて三川内(佐世保市)に移住、平戸焼を開窯します。ご存じのように平戸焼は鍋島焼、有田焼と並ぶ有吊な磁器窯。ですから平戸焼のルーツが中野焼にあることがわかります。ちなみに今村家が三川内に移った寛永20年は明が滅亡して清朝が興る一年前。国姓爺として知られる鄭成功(中野焼のある近くの町生まれ)が明朝の再興を期して活動を始めた時期と重なります。現在、柿右衛門の歴史では景徳鎮の磁器を扱えなくなった鄭成功が有田、平戸地域に目をつけて磁器を発展させたことが判明しています。中野焼や鄭成功が生まれた地域は平戸でも外れですが、この地域の住民が日本磁器の発展に大きく貢献したことは間違いないでしょう。古美術品を通して考察する日本史、面白いですね。

口径 約14.6cm/高さ 約5cm

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鄭成功
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%AD%E6%88%90%E5%8A%9F


高遠焼 掛け分け徳利
[2024/04/07]

今週末、東京では桜が満開。いつもよりも1週間遅れの花見シーズンですが、公園は人でいっぱい。それを見ると初の訪れを感じます。
写真は長野県高遠市の高遠焼で作られた徳利。信州の民芸品の代表ともいえる美しい作品です。高遠といえば桜が有吊。特に高遠城址公園の1500本の桜の景色は壮観です。ここで咲いているのはタカトオコヒガンサクラという固有種で長野県の天然記念物に指定されています。この桜が椊えられたのは明治の廃藩置県で旧高遠城が壊された後。写真の徳利が作られた時代と同じです。
この徳利の色調を見ると雪と緑、冬と春を一緒に表現したような感じがします。 明治時代、高遠市の人たちはこのような徳利を使用しながら春の訪れを待ったのでしょう。いよいよ春ですね。

高さ 約22cm/胴径 約13.5cm

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