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益子焼 引っ掻き文 飴釉小壺
[2024/03/31]

先週の前半は雨が多かったのですが後半は一転、温かい晴れの日が続き、やっと春らしくなりました。金曜日には桜も開花して週末はみんな花見気分です。
写真は益子の引っ掻き文飴釉蓋物。この作品を見た時、現代美術に夢中だった青春時代を思い出しました。それは引っ掻き文がフォンタナ、釉薬の感じがフォートリエの作品に似ていたからです。2人は戦後、流行したアンフォルメルの作家で具象より抽象絵画好みの私のアイドルでした。このブログでは時々、現代美術と工芸の類似性を話題にしていますが、今回も同様、1960年前後の現代美術界の雰囲気を感じ取ることができます。ちなみに本作には銘が入っていないので作家銘は不明。益子の歴史に詳しい方に聞けば判明すると思いますが、本作を作った陶芸家は時代の美術の潮流をつかんでいた作家だったのでしょう。陶芸史を見ると引っ掻き文、線描きは古代から使用されており、古くは縄文時代の土器にさかのぼることができます。古墳時代なると線を使った波状文が多用され、それが中世の備前焼まで持続します。昔から線描きと陶芸の関係は密接ですが、モダンな作品で線描きを有効に使っている作品に出会うことはありません。本作を見た時、ドキッとしたのは引っ掻き文、線描きの線が活き活きしていたからです。時代は若くても面白い作品は存在します。それに出会えるのは楽しいですね。

高さ 約12.5cm/胴径 約11.5cm

左から
ルーチョ・フォンタナ「空間概念・期待」1965年 https://www.pinterest.jp/pin/293367363233012953/
ジャン・フォートリエ「旋回する線」1963年  https://www.artizon.museum/collection/art/19438
加曽利EV式区画文円文重層土器 https://hanamigawa2011.blogspot.com/2019/02/

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備前焼 面取り茶入れ
[2024/03/24]

面取りの作品といえば李朝の飴釉壺が有名です。李朝の陶工は気分によって箆で土を削ったようで、面の数も幅もまちまち、気分によって作品を作る陶工の大らかさを感じます。隣国では面取り作品が流行しましたが、日本で織部のような歪んだ作品はあっても面取り作品は一部を除いてあまり見かけません。個人的には江戸時代、武士が刀を重んじたため、土を切る面取りは好まれなかったのではないかと考えています。
私の出身地、広島に上田宗箇流という茶道の流派があります。家元は浅野家の重鎮で戦国時代を生き抜いた武将。宗箇は生前、茶碗や茶入れに面取りの造形を取り入れています。昔、作品を見た時、「箆使いの鋭さから、これは武家でなければ作れない作品だ」と感じたのを覚えています。
写真の備前茶入れを見た時、「面取りを使った作品は珍しい。備前は安芸に近いので宗箇流の影響を受けているのかな」と想像しました。この茶入れは曲線と面の部分が見る角度によって異なった表情を見せてくれます。それが立体作品の面白さです。
一方、李朝では全方向の面取り作品はあっても、半分しか面取りをしていない作品は存在しません。桃山時代、意匠として半分ずつ異なったデザインを用いた片身替わりが流行しますが、本作はその伝統を受け継いでいるといえるでしょう。陶磁器を見ているとその国の文化の違い、好みを感じることができます。掲載した3作品を見比べると同じ陶芸でも、それぞれに個性があって面白いですね。

高さ 約39cm/胴径 約34cm

参考写真
上田宗箇 御庭焼茶碗 銘さても
https://www.pinterest.jp/pin/265219865526013030/

御売約、ありがとうございました

木彫 地蔵菩薩
[2024/03/17]

ここのところ冬と春の区別のつかないぐずついた天候が続いています。平安時代の女流作家、清少納言は「春はあけぼの」と書いていますが、まだ朝は寒いので「春はあけぼの」を楽しむには早いようです。早く春にならないかな〜。
写真は木彫の地蔵菩薩。12.7cmの小さな作品ですが本作を見ていると、清少納言の「何も何も、小さきものは、みなうつくし」という一節を思い出します。平安時代の「うつくし」とは現在でいう「かわいい」で、西洋風の華やかな美を表わす言葉ではありません。「枕草子」を読むと当時のかわいいものが現在のものと変わっていないこと、日本人の小さなものに対する感性を再認識することができます。色も落ち、状態も完ぺきではないのですが、本作を見ているとロマネスク彫刻を見ているような感じがします。ここには時間の経過が作った美が宿っている。小さくても美を感じさせてくれる作品に出会うと楽しいですね。

高さ 約12.7cm/横幅 約3.3cm

御売約、ありがとうございました


李朝のぐい呑みと壺屋焼の徳利
[2024/03/10]
モンドリアン「灰色の木」1912年
ボテロ「洋梨」1976年

古美術品を扱っていると時々、現代美術に似た感覚を持つ作品に出合います。そのような時はいつも「現代美術の作品は高価だけど、同じ感覚を古美術品ではリーズナブルな価格で楽しむことができる」と感じます。社会的な作品価値は大きく離れていても、人の創作物に宿る美意識は似たり寄ったり。哲学者ハイデッカーの「芸術作品の始まり」などを読むと、美術品と道具の違いについて語られていますが、社会性よりも個人的な価値観が優先されるIT時代においては対象よりも個人の内面的な美が優先されるようです。
写真は李朝のぐい呑みと壺屋焼の徳利。私は李朝のぐい呑みと出会った時、モンドリアンを、壺屋焼の徳利を見た時、ボテロの作品を連想しました。生きた時代は異なっていますが、美術史の観点から見ると2人ともユニークな抽象画家と言えるでしょう。
私は若い時、モンドリアンの観念性に憧れを抱き、ボテロの太った人物やモチーフを描いた作品を嫌悪していました。しかし、歳を取って体が丸みを帯びてくると、彼の作品に親しみを感じるようになりました。これは若い時には持てなかった感覚です。去年、ボテロは91歳で亡くなりました。彼は「太った人々」を描くことを選んだ理由を評論家から聞かれ、「芸術家は理由など知らずにある形にひきつけられる。理屈を付けて正当化するのは後からすることだ。」と答えています。これは古美術愛好家にも当てはまります。一般の人からすれば、「骨董品を集めることなど正気の沙汰ではない」のですが、骨董病の人たちはボテロの言葉を借りれば、「古美術愛好家は理由など知らずにある骨董品にひきつけられる。理屈を付けて正当化するのは後からすることだ。」と答えるかもしれません。
ところで自分の生活を思い返しながら李朝のぐい呑みの模様を見ていると、それがキリストの付けていたいばらの冠にようにも見えてきました。体形はボテロ的でも、骨董病の人たちが歩いているのは「茨の道」かも。心と身体を融合させるのは難しいですね。

李朝ぐい呑みの口径 約7cm/高さ 約4.5cm
壺屋焼の徳利の高さ 約28.2cm/胴径 約18cm

御売約、ありがとうございました


ストーンウェア ドイツ古城 取っ手付き蓋物
[2024/03/03]

2週間前、経済ニュースで「ドル建ての名目GDPで日本はドイツに抜かれ、世界4位に転落した」というニュースが放送されました。ドル換算で日本は4兆2106億ドル、ドイツは4兆4561億ドルで、日本がドイツの経済規模を下回るのはおよそ半世紀ぶりです。一方で3月1日の東京株式市場は終値は3万9110円、バブル期後の最高値を更新しました。4半期のGDPが2期連続でマイナスなのに株価が上昇、日本は新NISAを含めて投資ブーム、投資家と庶民の感覚は大きく離れているようです。
写真はストーンウェアのドイツ古城が描かれた取っ手付き蓋物。1810年の作です。この作品が製作された時代、日本は化政文化の真っただ中でした。庶民は経済よりも文化を優先し、楽しい日常を送っていました。一方、ドイツはナポレオンと戦いで混乱、1815年、ウィーン会議後、ドイツ連邦を発足させます。これは現在、ウクライナの混乱がドイツに波及していることと似ています。本作を見ているとグランドツアーの影響があるとはいえ、19世紀初頭のドイツ人が自分たちのナショナルアイデンティティを再確認するために古城をデザインに採用したのでしょう。 化政時代の日本人は混乱から遠く離れて平穏な日々を送っていました。 化政文化ならぬインバウンド文化で日本各地は外国人観光客でいっぱい。ちなみに化政文化後、日本人がナショナルアイデンティティに目覚めるのは50年後のこと。ペリーが来航して日本中が大騒ぎになったように、50年後、アメリカが日米安保条約を破棄、日本が再軍備しなければならない時代が来るかもしません。しかし、それは遠い先のこと。当分、太平の世は続きそうです。

高さ 約33.5cm/横幅 約32.5cm

御売約、ありがとうございました

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