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岡田半江 水墨画 山水図 軸
[2023/11/26]

勤労感謝の日に根津美術館で開催されている「北宋書画精華」(11月3日~12月3日)に行きました。この展覧会は国宝、重要文化財を含む北宋の絵画、書画の逸品を集めた展覧会です。禅宗の影響を受け、水墨画を中国人が描き始めたのは宋時代、官僚制度を導入した時代です。黄庭堅、蔡襄、李公麟など北宋を代表する書画家の作品は圧巻で、私的には人生の中でも十指に入る素晴らしい展覧会でした。この歳になって、一度に北宋画の代表作を見ることができたのは幸運です。12月3日まで展覧会は開催されているので皆様、時間を取って是非行ってください。すごいですよ。
展覧会後、店に帰って自分が持っている文人画を取り出してみました。国宝級の書画とはいかなくても、今回、通販欄に出品した岡田半江の軸のようにカジュアルに文人画を楽しむこともできます。岡田半江は文化文政期の画家、当時の大阪文化サロンの一員でした。武家に仕えながら画業を行い、頼山陽や大塩平八郎を始め、多くの文化人と交流がありました。この時代、江戸、京都、大阪の異なった文化、蘭画などの導入が日本文化の多様性を出現させました。歴史ファンでなければ馴染みが薄いのですが、実際にその時代の古美術品をそばに置いて飾ると時代を体感することができます。
美術館だけではなく、家で古美術品を鑑賞するのも楽しいですね。

本紙サイズ 縦横 147cm×31cm
軸サイズ 縦横 218cm×43cm

御売約、ありがとうございました

平戸焼 鯛に乗った恵比寿像 水注
[2023/11/19]

毎年、11月17日前後、広島では「えびす講」と呼ばれるお祭りが行われます。これは東京や大阪で開催される「酉の市」のような祭事で人々は商売繁盛や安全祈願を行います。「えびす講」の面白いところは、各地の「酉の市」と違って海神の恵比須様が祀られるところです。恵比須様は西宮神社の祭神で、江戸時代を通じて金毘羅宮と共に海運業者などの信仰を集めました。広島の人たちが恵比寿信仰をするのは、広島県周辺が海洋文化の地域だったからでしょう。広島市は北前船の航路上にあるため、恵比寿信仰が盛んでした。
写真は平戸焼の鯛に乗った恵比寿像水注。明治時代に作られたキッチュな作品です。粋や渋めの文化を好む東日本の人から見れば、このような作品は奇妙に映るかもしれませんが、西日本の人であれば本品を見ると思わず微笑みをこぼすでしょう。これはキリスト教の享楽的なカトリックと禁欲的なプロテスタントの好みの違いに似ているかもしれません。ちなみに広島と言えばカープ。カープは鯉ですが、広島人にとって鯉は鯛同様、なじみの深い魚です。今年、広島市では11月18~20日、「えびす講」が中区胡町の胡子神社一帯で開かれます。これは4年ぶりの開催。広島市だけではなく、今年は全国的にお祭りが復活しています。写真の平戸焼の水注、特に商売人の方が使うと商売が繁盛しそうです。物価高が続いていますが、これから景気が上向くと良いですね。

高さ 約15.5cm/横幅 約21.5cm

御売約、ありがとうございました

https://www.hiroshimacci.or.jp/shoutengai/burari/shoutengai-ichiran/ebisu-dori.html


鱸利彦 油絵 パリの冬 F12号
[2023/11/12]

今週末、全国的に気温が下がり初冬の感じとなりました。週前半は夏日だったのに、後半は昼でも13度と12月並みの気温、寒暖の差が激しいので体調を崩しがちになります。皆様、風邪などひかぬように気を付けてください。
写真の油絵は昭和時代に活躍した洋画家、鱸利彦(すずきとしひこ、1884年~1993年)の油絵作品。鱸は何度かフランスに滞在していますが、基本的にフランスは日曜日、デパート、レストラン、カフェ、美術館などほとんどの商店が休業するので、鱸が滞在していた日曜日のフランスの街はこのような景色が広がっていました。これはキリスト教の「日曜日は休息の日」という教えに由来しており、私がフランスに滞在していた1986年頃も同様で日曜日の街が閑散としていたことを思い出します。ちなみに、その頃の日本人といえば働くことに価値観を置き、1989年、某栄養ドリンクの宣伝で「24時間働けますか」というキャッチコピーも流行しました。それが当時の日本人の気分を表わしていると思います。近年、パリでもデパートの日曜営業が許可され、パリのギャラリー・ラファイエットも2017年から日曜営業を開始しました。賛否両論ありますが、フランスの静かな日曜日を知っている人から見れば賑やかになった日曜日に眉をひそめるかもしれません。私は鱸のこの作品に出会った時、忘れていた日曜日のフランスの街の雰囲気を思い出しました。時々、暇を持て余し過ぎて、やることがなかったので散歩ばかりしていたことも思い出します。ここ最近、コロナ禍で一時、人の姿が消えた町に多くの人が戻ってきました。その中には外国人の姿を多数見かけます。コロナ禍の時期は大変でしたが、戦後、がむしゃらに働き続けていた日本人が少しだけ静かな時間を過ごせた時期だったかもしれません。それも今は懐かしい思い出です。

ピクチャーサイズ 縦横 約49cm×59cm
額サイズ 縦横 約66cm×76.5cm

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伊万里焼 色絵 花鳥文 薬瓶、七寸皿
[2023/11/05]

11月、山や森が紅葉に色づく季節です。冬が近づくにつれ、赤やオレンジ色などの暖色が欲しい季節になってきます。夏は涼しい染付が良いのですが、冬はやっぱり色絵。日本は四季が豊かなので楽しいですね。
写真の2点は「蔵春亭三保造」銘の入った作品。江戸時代後期、鍋島藩は藩の財政を立て直すために外国にこのような作品を輸出しました。蔵春亭三保を吊乗った有田の豪商久富与次兵衛が、鍋島藩から伊万里焼の海外独占販売権を入手したのは1841年(天保12年)で、十代藩主鍋島直正から下賜された「蔵春亭」銘を使用しました。鍋島藩は1828年(文政11年)の有田町の大火(内山崩れ)で壊滅していた磁器販売を与次兵衛に任せたのですが、その結果、鍋島藩の財政は持ち直し、幕末で活躍する藩にのし上がります。幕末期、与次兵衛の元には大隈重信や副島種臣、江藤新平などが出入りしていたと言われています。与次兵衛が作品製作を依頼したのは樋口窯や柿右衛門窯。柿右衛門窯は内山ではなく外山にあったので大火を免れました。柿右衛門窯が内山にあったら日本の磁器史も変わっていたでしょう。写真の2点の特徴は輸出用の磁器作品で、当時、薬瓶は複数セットで長崎螺鈿の箱に入れられていました。七寸皿は洋食器風に兜型になっています。幕末期の作品ですが、輸出品なので日本の古美術市場ではあまり見かけません。磁器作品を含めた貿易が日本と西洋を結び、それが明治維新の原動力になったのは確かなことです。時代を感じることのできる古美術は面白いですね。

薬瓶 高さ 約12.7cm/胴径 約10cm
7寸皿 口径 約21cm/高さ 約3.8cm

御売約、ありがとうございました

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