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野村守夫 「志賀高原」 F6号
[2023/07/30]

先週、日本列島は猛暑でした。ニュースは連日、熱中症警戒情報を流しています。熱中症対策にはこまめな水分補給と十分な睡眠、食事が有効だそうです。
写真は1935年に野村守夫が描いた油絵「志賀高原」。野村守夫は広島市南区的場町の出身で、亡くなったのが杉並区。実は私が生まれた場所は広島市的場町、現在の住まいが杉並区なので野村には昔から何となく親近感を持っていました。面白いのは野村が戦前を代表する伝説の油絵画家・靉光と仲が良かったこと。靉光も広島市出身ですが、原爆で多くの作品を消失、本人も戦後すぐに病死したので戦後の活躍も幻と消えました。もし、靉光が生きていたらと考えると…。
一方、野村は昭和54年まで二科会会員として活躍しました。「志賀高原」を見ると野村の洒落たセンスを感じることができます。涼やかな作品なので、野村は1935年の夏、避暑に行ったのでしょう。これは二・二六事件の起こる半年前。そのような時代に本作を描いているのですからモダンですね。ちなみに昔、私は毎年のように信州に行っていました。しかし、最近はとんとご無沙汰しています。戸隠、飯綱高原、八ヶ岳、霧ヶ峰、白樺湖…。野村の油絵を見ながら、信州の夏を思い出しています。

ピクチャーサイズ 縦横 約40cm×30cm
額サイズ 縦横 約58cm×48cm

御売約、ありがとうございました

瀬戸焼竜文染杖茶碗とガラスマーブル文平皿
[2023/07/23]

茶道の面白さは道具の組み合わせにあります。それによってお茶やお菓子の味や印象が変わるので上思議です。夏といえば冷たい抹茶と冷菓。暑い日の冷たい一朊は美味しいですよね。今週、通販欄に瀬戸焼竜文染杖茶碗とガラスマーブル文平皿を出品しました。2つの作品は産地も素材も異なっていますが、この作品と出会った時、縁のようなものを感じました。 簡単に言えば、マーブル文のガラス平皿が雲に、その中を瀬戸焼に描かれた竜が泳いでいるイメージを持ったからです。さらに、宗家源吉兆庵の宝珠という夏の和菓子をガラス器にのせると何とも言えない趣味の世界が出現します。最初からこの3点は出会いを求めていたような…。好きな古美術品を使って遊ぶのは楽しいですね。皆様も茶道具の組み合わせを試してみてください。洒落た世界に出会えると思います。

茶碗 口径 約11.4cm/高さ 約7.5cm
ガラス皿 口径 約18cm/高さ 約4.5cm
宗家 源 吉兆庵 宝珠
https://www.kitchoan.co.jp/nature/aurorablack/


御売約、ありがとうございました

王子山焼 染付 古染写し 扇型皿5枚 
[2023/07/16]

相変わらず日本列島は暑い地域と雨の災害が目立っています。三連休の関東地方は30度後半の酷暑、秋田は川が氾濫するほどの雨が降っています。どちらも危険な天候。気を付けて過ごさないといけません。一方、京都では4年ぶりに制限のない祇園祭が開催され、外国人を含め、大勢の観光客が集まっています。きっと、凄い人出でしょう。写真の作品は、丹波篠山で作られた王子山焼の染付扇面型皿。中国、明時代の古染付を模した作品です。丹波は、陶器の丹波焼が有吊ですが、江戸時代後期になると磁器作品も生産しました。茶道の盛んな京都文化圏に位置するだけあって、懐石料理に使用できる食器を意識的に作ったようです。本作のような作品は文化人たちが涼を取るために使用したのでしょう。 それは京都の料亭や川床で使われたかもしれません。京都の夏は祇園祭を始め、大文字など大きなイベントが続きますが、一方で禅宗寺院などでは静かな夏が過ごせます。動と静があるのが京都文化の魅力です。本品を使って昔の夏を想像しながら、家で冷やしたなすびなどを本品にもって食べるのも楽しいですね。

口径 約19.5cm×11.5cm
https://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/1422

御売約、ありがとうございました

美濃焼 緑釉 鮑型 平鉢 
[2023/07/09]

先週も30度を超える夏日と湿気の多い雨の日の繰り返しでした。とくに西日本の大雨は災害級。西日本にお住まいの方は大雨などに気を付けてください。写真の作品は鮑の殻を模した平鉢。最初、この作品を見た時には福岡県の上野焼か高取焼で作られた作品だと思いましたが、土を見るともぐさ土。日本の焼物は土を見るまで鑑定ができないので油断できません。美濃焼の鮑型平鉢は珍しいので歴史を調べると、武将が出陣の際、三献の儀を行い、「打ちアワビ、勝ち栗、昆布」の三品を食べ、酒を三回飲んでいたようです。美濃といえば織田信長。なるほど、昔から美濃地方にもあわびを食す習慣があったというわけです。面白いのは秦の始皇帝や唐時代の楊貴妃があわびを薬と考えて食べていたようです。始皇帝は上老上死の薬を求め、徐福を東海に送ったと言われていますが、その時、求めたのが日本列島産のキノコ、鮑などの魚介類でした。江戸時代にも清朝は日本産の乾物を求め、俵ものとして輸入していましたが、現在でも鮑は高級食材です。それにしてもこの平鉢に魚介類を盛って食べていた人たち、きっとお大尽だったのでしょうね。ちなみに、お祝いごとに使われる熨斗袋の「熨斗」は、もともとはあわびを薄くのして干した物。鮑は古くから日本人には欠かせない吉祥だったのでしょう。

口径 約22.5cm×18cm/高さ 約7cm

御売約、ありがとうございました

切込焼 蛸唐草 山水文 徳利
[2023/07/02]

先週はじめじめした雨の日と暑い晴れの日が交互に訪れ、体調管理が難しい週でした。天気に関係なく店を開けているのですが最近、外人のお客様が訪ねてきます。外国人のお客様のお目当ては日本の民芸。これはコロナ禍前と同じです。当時、友人が「国際フォーラムの露店に多くの外国人客が日本の民芸を買いに来る」と言っていたことを思い出します。そのような状況が戻ってきて、コロナ禍が終わったことが実感できます。なぜ、外国人コレクターが日本の民芸に興味を持つのか。理由は、①日本旅行は割安感があるので旅行が身近になった。②和食に興味が出た。③日本酒の存在を知ったでしょう。面白いのは彼らが「日本酒を入れた昔の徳利はありますか?」と聞いて来ることです。日本人にとって日本酒は、外国人にとってワインのような存在。日本人コレクターがワインボトルなどに興味があるように、日本酒器は外国人にとって魅力に映るようです。一方で日本人コレクターはというと、日本の民芸に対する興味を失いつつあります。若者たちが集めているのは各ジャンルのビンテージグッズ。生活感のあるアイテムよりも夢を見させてくれるモノに魅力を感じるのでしょう。人は自分にはないものを欲しがる傾向があります。江戸時代の徳利や民芸は世界的に見ても珍しい工芸品。明治維新後、日本文化の面白さに気づいた外国人が日本の工芸品を大量に母国に持ち帰りました。写真の切込焼の徳利はその時期に作られた作品です。当時は実用品だった物が今は収集の対象。これからもこの傾向は続くのでしょうか?

高さ 約26.3cm/胴径 約15cm

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