blog

伊万里焼 色絵金彩 寿文字・瓔珞文 鉢
[2022/12/25]

先週のブログにクリスマスの起源について「紀元前の時代、12月24日は、世界各地で太陽の復活日として崇拝されていました。ローマ時代になると12月24日は軍人と商人が崇拝していたミトラス教の復活祭(冬至)となり、それが中世、キリスト教の拡大と共にクリスマスとなりました」と書きました。かつて12月25日は、太陰暦を採用していた地域の旧暦では冬至で、1年で一番、昼の短い日でした。古代の人々はこの日を境に太陽の復活を求めて祭を行っていたのです。写真は伊万里焼色絵の鉢。この作品を上から見ると、太陽を描いたような感じがします。本作を見た時、見込みにまで神経を配った有田の絵付師の感覚は凄いなと感じました。太陽を中心に瓔珞文を幾何学的にデザインし、世界を表現しています。この鉢は胴部に「寿」の文字が描かれているので、そちらに目が行きがちですが、見込みを見ると太陽の復活を意識して描かれたことがわかります。西洋ではクリスマスが重要な行事ですが、昔の日本では正月、初日の出を見ることを重要視していました。今週、同時出品した「二見ヶ浦初日の出図」を見ると、それが理解できると思います。今年のクリスマスは世界的に寒波で寒さが身に応えます。そのような状況では、なおさら太陽が恋しい。温かいお正月を迎えられると良いですね。 このブログが2022年の最後のブログになります。今年も残すところ1週間。1年間、皆様にお世話になったことを感謝いたします。皆様、良いお年をお迎えください。ありがとうございました。

口径 約21.8cm/高さ 約10cm

御売約、ありがとうございました

伊万里焼 染付 十字架宝珠 猪口
[2022/12/18]

楽しかったサッカーのワールドカップも終わり、今年もあと10日あまりとなりました。年末の行事といえば、クリスマスと大晦日。来週のクリスマス用に十字架宝珠猪口を出品したので、クリスマスに関するお話を少しします。紀元前の時代、12月24日は、世界各地で太陽の復活日として崇拝されていました。 ローマ時代になると12月24日は軍人と商人が崇拝していたミトラス教の復活祭(冬至)となり、それが中世、キリスト教の拡大と共にクリスマスとなりました。ミトラスの起源はインドの神ミスラ。それがゾロアスター教を経て、西方に拡大、一方、東方にはガンダーラ、シルクロード、中国を経て日本に到達します。京都の広隆寺にある弥勒菩薩(指の印が牛の頭の形を表わしいます)は、このミトラス神が起源です。さて、写真の作品を見ると、宝珠の上に十字架が乗っています。この宝珠は何か。答えは北極星です。上部のデザインはエジプト人の進行するオリオン座や流れ星、下の球は太陽を象徴しています。北極星を象徴する十字架が真ん中にあるのは、北極星が天体の中で唯一、動かない星だからです。これは王座を表わします。人類の文化は北極星(中心点)、オリオン座(方形、大地)、太陽(円形、天空)を基本に構成されていますが、時代、地域によって様々にデザインされ、多くの作品を生み出しました。もともとは世界の中心を表わす十字架ですが、キリスト教が勢力を持つと同時に、十字架自身が世界の中心を意味するようになりました。また、本品には十字架宝珠の他、見込みに筆、裏側に仏教を象徴する蓮の花が描かれています。これをデザインした絵付師は天文学知識、近世の観念論を理解した上で、この作品を絵付けしたのでしょう。このような職人がいること自体、日本文化の深さを感じることができます。素晴らしいですね。来週はクリスマス、皆様、楽しいクリスマスをお迎えください。Joyeux Noel !

口径 約9cm/高さ 約5.2cm

御売約、ありがとうございました

九谷焼 雪花銘 能楽 酒器セット
[2022/12/11]

能楽は室町時代に成立した芸能で、やんごとなき人の静的な動作を写したと言われています。個人的な話で恐縮なのですが、最近、60歳を超えて身体能力も落ち、動きも鈊くなってきました。それと同時に昔はまったく興味のなかった高砂や羽衣などの古典芸能に目が向くようになりました。人生の大半を終え、身体が衰えてきたのですが逆に理解できるジャンルもあるので楽しいばかりです。女性ばかりに目を向けていた若い時代と違って、最近は1年ごとの自分のコンセプト、どうやって生きていくかを考えるようになりました。それで今年のコンセプトは何だったかといえば、古美術品に宿っている精霊の声を聴くことでした。特に今年は家に閉じこもっていたせいか古美術品と向き合う時間が多く、収集した古美術品(特にアフリカのマスク、彫刻)から話を聞けた気がします。若い時は高砂やアフリカ美術など関心がなかったのですが、今では自然と目が向くようになりました。写真の九谷焼を見ていると、中世、日本人が考えていた精霊とは何かを知ることができます。身体性の強い若者から見ると「何、それ?」と言われそうですが、年齢を重ねながら、古美術の理解が深まるのは楽しいことです。そういえば、昔の結婚式では誰かが「高砂や~」と歌っていた気がしますが…、遠い昔の話ですね。

徳利の高さ 約13cm
盃の口径 約5cm

御売約、ありがとうございました

壺谷焼 饕餮文 泡盛甕
[2022/12/04]

今年は、沖縄が日本に返還されて50年でした。思い返せば、春から夏にかけてNHKの朝ドラで放映された「ちむどんどん」の影響を受け、我が家では泡盛を飲みながら沖縄料理を食べていました。やっぱり沖縄料理は夏が似合います。写真の作品は壺屋焼の泡盛甕。最初に本作を見た時、鉄作品を模して陶器で作った花瓶だと思いました。しかし、肩部に紐を掛けるために作られた窪みがあるので、「もしかしたら、これは泡盛甕ではないか」という考えがわき、悩んでしまいました。最近、沖縄の泡盛はどこでも飲むことができますが、大正時代であれば泡盛は本土で飲むには珍しい酒だったはず。それを考慮に入れると、本作は3年以上、貯蔵した古酒の泡盛を入れる甕だという結論に達しました。江戸時代、広島県の鞆の浦の吊産に保命酒がありますが、本作はそれに似た存在だったのでしょう。保命酒徳利に上手があるように、泡盛甕にも上手の作品があった。それが本作のような甕だったのではないでしょうか。この作品、壺屋焼として吊作だと思うのですが、類品がないので当分、評価は定まらない気がします。想像の域を脱しませんが、古美術品の形態からいろいろ想像できるのが面白いですね。

高さ 約14cm/胴径 約10.5cm

御売約、ありがとうございました

上へ戻る