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神玉焼 鉄釉・白釉徳利
[2021/02/28]
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先日、通信販売欄にアップしていた「福良焼 ベロ藍猪苗代湖図 鉢」を買っていただいたお客様から、会津地方の焼物に関する資料のメールをいただきました。それを読むと、少数でも日本全国に地元の焼物ファンの方がいるので嬉しい気分になります。世の中には大正時代頃まで存在したのに、廃止された窯がたくさんあります。そこで作られた焼物は時と共に忘れ去られ、ほとんどの人は関心を持ちません。しかし、長年、古美術商をやっていると、国焼ファンの方に出会えることがある。それが古美術商をしている、楽しい瞬間です。 高さ 約26cm/胴径 約10.5cm 御売約、ありがとうございました |
入沢焼 鉄釉 甕
[2021/02/21]
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入沢焼は明治7年(1874年)、長野県佐久郡臼田町入沢に開かれた窯です。明治7年と言えば、幕府が消滅し、武士の時代が終わった時期でした。それと同時に藩も解体され、国内の移動がある程度、自由になったようです。この窯を開いた加藤甚兵衛は岐阜県多治見市出身。なぜ、多治見の陶工がこのような土地に窯を開いたのか不明です。入沢焼といっても、現在は地元の人でさえ、その存在を知らないでしょう。何の変哲もないこの甕を見た人は、相当な国焼好きな収集家でさえ、ほとんど関心を示さないはずです。一般の人が見たら、このような甕を売り買いしているんだから、骨董屋は変わっているなと思うのが普通。それでも酔狂な私はこの甕が好きなので、1億人分の1の確立を求めて、この商品を通信販売欄に出品しています。果たして、この甕は売れるのか。購入してくださる方と出会う日が楽しみにしています。 高さ 約22cm/胴径 約19.5cm 御売約、ありがとうございました |
川原軍次 龍門司焼 三彩壺
[2021/02/14]
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先週は明治時代の小石原の壺とモーリス・ルイスの抽象画の美について書きましたが、今週はアメリカの抽象絵画が全盛だった同時代に作られた作品を紹介します。写真の作品は昭和39年に鹿児島県の無形文化財保持者に指定された次郎太窯の11代・川原軍次(1902年〜1999年)が作った三彩の壺。どちらかというと、小石原の壺よりもこちらの方がモーリス・ルイスの作品に類似しています。川原がルイスのことを知っていたかどうかはわかりませんが、作家は同時代の美術作品にも敏感なので、偶然、どこかでルイスの作品を目にしていたことは想像できます。しかし、他の作家のコピーをしても、良い作品は生まれません。 ルイスが陶芸をやっていれば、このような作品を作ったかもしれません。本作には力があるので、河原が脂の乗り切った次第に制作した作品だということがわかります。作家の実力を感じられる時代の作品は良いですね。
高さ 約22.5cm/胴径 約23.5cm |
小石原焼 流掛釉 三耳壺
[2021/02/07]
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最近、現代美術と古美術品、民芸品の持つ美に関して考えることが多くなりました。古美術品との出会いは残存数が少ないので、ほとんどが偶然の縁に左右されます。こちらがいくら要望しても、すぐに市場で商品を購入できるわけではありません。「探す」「縁」「幸運」などがあることが、古美術収集の面白さだと思います。写真は小石原焼の三耳壺。この壺を見た時、瞬時に1950年代のアメリカの抽象アートを想起しました。ジャクソン・ポロックやマーク・ロスコの作品です。その中でもモーリス・ルイスのたらしこみの作品を思い出しました。ルイスはキャンバスに絵具を流し、偶然が生む抽象作品を制作する作家です。2つの写真の雰囲気、似ていませんか。小石原焼の壺は明治時代に制作されましたが、これを作った陶芸家は素晴らしい抽象感覚を創作することができた。この作品を身近に置いておくと、美を感じます。民芸運動を展開した柳宗悦などは、このような作品に美を見出していたのでしょう。
高さ 約25cm/胴径 約19.5cm |