blog   2016年1月

パウレ族 木彫 幾何学模様 物入れ(20世紀 コートジボアール) 
[2016/01/31]

古美術品は時代によって流行が変わります。民芸品に注目が集まった70年代、何でも高く売れたバブル時代、レトロな物や伊万里焼染付に人気が集まった90年代……。
そして、2000年代に入るとインターネットの発達により、古美術の世界が誰にでも開かれた感じがする時代がやってきました。 そのような状況の中、古美術商をやっていると、今のやり方で良いのかなと疑問を感じることがあります。 ネットがなかった時代、古美術商は流通業的な職業的要素が強かったように思います。
しかし、現在のように流通業自体が発展すると、古美術商として何が大切なのか考えてしまう。 もちろん、美を見抜く感性が必要なことはわかっているのですが、「感性は人それぞれ」と言われると……。 そこで出た結論が、「自分と感性の会うお客様との出会い」でした。やはり最後は商売よりも人との出会いでしょうか。

写真はアフリカの不明な箱。このような物が売れるのだろうかと半信半疑で仕入れたのですが、意外と早く売れました。 一般の人には無用でも、古美術界にはこのような作品が好きな人が、(私の店には)いらっしゃるので安心しました。 マチスの切り絵のような、ブランクーシの彫刻のような、ピカソの顔のような模様が入った箱。
アフリカと西洋、土着的な民俗と近代の融合。ネット情報だけではなく、古美術品からも世界の人とつながりたい気がします。

ブランクーシのアトリエ

御売約、ありがとうございました


大田蜀山人 狂歌  伊川院栄信 画 月に梅図 
[2016/01/24]

先週の月曜日、日本列島は寒波に見舞われ、各地で積雪となりました。東京では昨日、みぞれが降り、肌寒い一日となりました。 これから本格的な冬、皆様、風邪をひかないように気をつけてください。
写真の軸は「大田蜀山人 狂歌 伊川院栄信 画 月に梅図」。文化文政期、町方文化の雰囲気が伝わってくる作品です。 伊川院栄信は木挽町に住んでいました。その周辺が文化文政期、町方文化の中心でした。江戸っ子といえば粋。 地方出身の侍は落語や川柳で「野暮」の代表とされ、江戸に住む粋な文化人にとっては異人だったようです。 その反対の野暮について、蜀山人の逸話が残っています。
延喜年(903年)、武蔵国に関東最古の谷保天満宮が創建されました。 一説に、この谷保天満宮は「野暮」の語源となったという説があります。大田蜀山人に「調布日記」という散策記があり、「野暮天」についての狂歌も作っています。 「神ならば出雲の国に行くべきに目白で開帳やぼのてんじん」。文化文政時代、江戸から見れば現在は洗練された国立市も野暮に見えたのでしょう。 野暮な中世文化と粋な江戸文化が混在する関東は面白い土地。江戸に粋な湯島天神がありますが、野暮な谷保天満宮も魅力的です。 機会があれば「野暮天」の語源となった谷保天満宮(国立市)周辺の散策、いかがですか?

御売約、ありがとうございました


李朝 木彫 梅に鶯図 筆筒 (李朝時代後期 19世紀) 
[2016/01/16]

先週末、土曜日、日曜日と大学入試センター試験が行われました。毎年、センター試験の時期に雪が降りますが今年は晴れ、受験生もスムーズに試験が受けられたようです。 思い返せば昨年、うちの子供もセンター試験を受けました。結果はさんざん。
試験結果を見て、親子で志望校の変更をしなければならず、ピリピリしていたことを思い出します。 幸い、愚息は第2志望の大学に無事、入学してくれたので今年は呑気な冬を迎えています。

写真は李朝の表面に梅と鶯が彫られた文士用の筆筒。李朝は文人国家なので皆、科挙に合格することに必死、それは韓国になった現在でも変わっていません。 この筆筒を使用していた家主も子供たちに学問にさせていたはずです。日本で学問の神様と言えば菅原道真。 梅で有名な湯島天神に今年も多くの受験生が合格祈願に訪れていました。 李朝の人も日本人も梅に合格祈願を託すのでしょうか。寒さが厳しい時期に咲く梅が人々に希望を与えるのかな〜。
ちなみに江戸時代、花見といえばサクラではなく梅見。陽気な春が来る前の厳しくて繊細な季節感を日本人は楽しんでいたのですね。 私自身、毎年、この時期になると辛くて楽しい思い出がよみがえってきます。 受験生の皆様に早く春が来ると良いですね。

御売約、ありがとうございました


野田焼(龍野焼) 仏花器  
[2016/01/10]

昨日、今年初めての骨董講座を開催しました。講座は「飛鳥時代」。 その中で蘇我氏は突厥王族で最初の根拠地は奈良県斑鳩町の竜田付近、竜田のタツは韃靼人の「韃」が起源という話をしました。 聖徳太子も突厥(韃靼)人の血が混ざっていたというと驚かれるかもしれませんが、歴史を丁寧にひも解いていけば、そのような結論に辿りつきます。

骨董講座の中で聖徳太子にゆかりの地、斑鳩(奈良県)、南河内郡太子町(大阪府)、揖保郡太子町(兵庫県)を紹介しました。 斑鳩は有名ですが、聖徳太子と揖保郡太子町を知っている人は少ないでしょう。その太子町の隣に龍野市があります。 斑鳩の近くに竜田があり、揖保郡太子町の近くにも龍野がある。両方にタツがつくのは偶然ではありません。 両地域が韃靼人たちの根拠地だったのです。ちなみに長野県にも辰野という地名がありますが、彼らの祖先も韃靼人だったはず。 長野県にある大室古墳群は辰野が作ったものでしょう。

写真の仏花器は、龍野市で焼かれたもの。これを見ていると、聖徳太子が仏教を熱心に信仰していたことを思い出します。 ところで、ソーメンの産地といえば奈良と揖保郡。案外、ソーメンは韃靼人の料理がルーツだったのかもしれません。古代から現代まで、古今が入り混じる日本文化は面白いですね。

斑鳩寺(兵庫県太子町)

御売約、ありがとうございました


第24回・骨董講座「古代・中世と古美術シリーズC飛鳥時代の文化と美術」が終了しました   
[2016/01/09]

2016年、最初の骨董講座でした。今月も新しい受講生の方が参加してくださいました。 聖徳太子や蘇我馬子の名前を知っていても、彼らの実像は不明な点が多い。大胆な仮説を立てながらお話ししました。いかがだったでしょう。

次回は「D白鳳時代の文化と古美術 −日本の成立−」。白鳳時代、日本は各機構を整え、国家としての活動を始めます。朝鮮半島情勢と日本の国際関係を考察しながらお話します。 お楽しみに。

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あけましておめでとうございます。  
[2016/元旦]

本年も仙遊洞のブログ、よろしくお願いいたします。 個人ごとになりますが、今年の正月はいつもの正月と気分が違います。理由はヤフオクを始めたこと。これまで「古美術商は店舗で商う」という理念を貫いてきましたが、商業形態の変化には逆らえず、「やっぱりネットは必要」とあっけなく理念を覆してしました。
昨年11月、民営化された郵政が自社株を発行しました。些細なことですが、「そうか、昭和時代の年賀状は国営企業が配達していたのだ。今は……」と年賀状に対する感じ方も変わりました。毎年、年賀状の配達件数は減っているようですが、これもSNSの拡散が原因でしょう。

このような時代の移り変りの中で、古美術を扱う店舗はどのような存在なのか、いくつか考察しました。 商業的には「家賃の安い郊外型倉庫を持つ大量に商品を扱う古美術商の商いが拡大する」、「古美術商もネットを中心としたアマゾンのような宅配型に変わる」、「世代間で欲しい古美術品の格差が広がり雑貨屋が増える」などが考えられます。 そのような状況の中で昭和時代に主流だった小売り型の古美術商はいつまで続くのか。 私は十数年後、現在のような古美術商の営業形態は激変していると思っています。
多分、テレビ電話のような家電が主流となり、バーチャルな映像付きの仮想店舗で古美術品を買う時代がやってくるような気がする。 その時、私たちが昭和時代を懐かしむように、20年後の人たちは「平成時代は簡素なパソコンで商取引をしていたのだな〜」とつぶやいているかもしれません。
逆に未来の視点で現在を見ると、小売りの古美術商が軒をつらねている西荻のような街で買い物をした体験が楽しい思い出として残るような気もします。
散策がてら仙遊洞のある西荻においでください。今年も仙遊洞は昭和39年築(今年で51年)の店舗にて皆さまのご来店をお待ちしております。


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