blog   2015年11月

常滑壺 (室町時代 16世紀)  
[2015/11/29]

先週末、仙遊洞では通信販売欄に古窯を5作品、新たにアップしました。どれも見どころのある好きな作品です。最近、六壺窯や瀬戸皿の値段がデフレ傾向にあります。1970年代から始まった古窯、古民芸ブームもコレクターの高齢化で下火になりました。バブルの時代、瀬戸の行燈皿の相場は3〜4万円前後、高値でも欲しくてお小遣いをためて買っていました。あの頃が懐かしい。それが現在は8千円くらい。古窯や古民芸品の値段は5分の一程度に落ち着いたようです。80年代は流通する商品が少なかったので高値でしたが、ネットで流通する商品を気軽に見られるようになったことが商品価格下落の原因だと考えられます。それに最近の若者は土着性のある古美術品よりも洒落た古美術品の方が好き。

骨董は時代を超えて残るものだと思っていましたが、流行があり、商品価格も乱高下する。古美術品の美しさは経済とは関係がないという人もいますが、価値観も経済動向の影響からは逃れられないようです。掲載した壺、美しいと思うのですが若者の好みには合わない?
  古美術の美しさの感じ方は世代や年齢によって違うのだと思うようになったこの頃、私自身が骨董品になりつつあるのもしれません。
(写真の室町時代の常滑壺、かっこ良いと思うのだけどな〜)
ちなみに流行や値段に関係なく、これからも好きな商品を扱っていこうと考えています。今後ともよろしくお願いします。

高さ 約27.5cm/胴径 約23.5cm

御売約、ありがとうございました

柿右衛門 白土型紙摺 唐花文八角向付
[2015/11/24]

勤労感謝の日の翌日、東京では木枯らしが吹きました。テレビでは富士山頂の積雪の映像が流れ、町を歩いていると昨日までとは違う冷たい風を感じます。これから年末にかけ忙しくなります。皆様、風邪をひかないよう体調管理してください。

写真は白土型紙刷技法を使用した元禄期の柿右衛門白磁向付。写真では判りにくいのですが、繊細な唐草文が見込みに刷られています。目を凝らしてみなければ意匠されていることが判別できないくらい微妙な表現。この技法は本来、青磁を意匠するために考案されたのですが、白磁の上に白土刷を刷るのは、凝り性の日本人ならではの発想。印刷好きの日本人の感性が後に錦絵や浮世絵を産み、江戸時代の出版関係を大いに発展させたのでしょう。
印判といえば明治時代の型紙印判を思い出します。このような作品を見ていると江戸時代中期から日本人が印刷技術に長けていたことを感じます。繊細な食器には、繊細な料理が似合う。 元禄時代の料理人は、この向付に何を盛ったのか?
白地に白模様ならば、あえて鯛やフグなどの白身の刺身を盛ってみる。どうでしょう。食器や食材に凝って食事をするのも古美術とのつき合いの楽しみの一つです。そうだ、これから、ひれ酒の季節。皆様、温まってくださいね。

口径 約17.2〜18.2cm/高さ 約5.7cm

御売約、ありがとうございました

新羅 須恵器 取っ手付きコップ
[2015/11/15]

11月中旬になりました。例年であれば紅葉の季節ですが、今年は全国的に温かいようで木々が色づくにはもう少し時間がかかりそうです。季節的には、これから鍋の季節。皆様、温かい物を召し上がって体力を養ってください。
仙遊洞では毎月、古代・中世史講座を行っています。12月は「古墳時代」ですが、この時代は、古代の文明開化の重要な時代であるにもかかわらず馴染みが薄い。理由は戦前、古墳時代が戦争に利用された時代アレルギーがあるのと、この時代が天皇家の成立に深く関わっているので話しづらい、からです。私自身は、古墳時代の面白さをもっと皆様に知ってほしいのですが……。
そこで今回、ブログに取り上げるのが「須恵器コップ」。形は現代のマグカップとほとんど変わりません。
5世紀、新羅の人々はこのような器で温かい馬乳、羊乳などを飲んでいました。飛鳥に行くと古代食の「蘇(チーズ)」を食べることができます。蘇も動物の乳から作られたもの。飛鳥に行く機会があれば、是非、食してください。
本品のような取っ手付きコップの起源は西域にあります。それがステップロードを通って日本列島までやって来た。伝来の時間や空間を思い、本品を見ていると、話せるはずのない物が多くのことを語りかけてくれるような気になります。古美術品とつき合い、世界に触れることのできる一時は楽しいですね。

高さ 約9.4cm/横幅 約12.6cm

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御売約、ありがとうございました

第22回・骨董講座「古代・中世と古美術シリーズA弥生時代の文化と美術」が終了しました  
[2015/11/06]

今月は先月に続き、古代史シリーズ第二弾、弥生時代の文化と古美術でした。今回は新しい受講生の方が2名、参加されました。いかがだったでしょう?
弥生時代は日本列島に稲作が伝来したことによって文化形態が大きく変わる時期。
弥生時代といえば米を連想しますが、青銅器、戦争なども時代を考察するうえで考慮しなければなりません。稲作が伝来すると農耕のために人々が集団化し、クニや階級が発生、クニは他国との戦争に勝利するために祭祀を確立させる。最終的には邪馬台国が成立したところで弥生時代は終了します。
2時間で弥生時代を語ることは難しいのですが・・・、お疲れ様でした。

次回は、「B古墳時代の文化と古美術 −謎の4世紀から仏教伝来まで−」
この時期が古代史で一番、不明な時代。わかりやすく講義をしますので、興味のある方はご参加ください。

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秋の柿  「柿小禽図」 北島聖牛
[2015/11/01]

子供の頃、母の実家に行くと庭に柿の木とイチジクの木があり、イチジクの木は夏休み、柿の木は秋に行くと実をつけ季節を感じさせてくれました。私がその頃見ていた柿は西条柿という広島産の柿で、一般的に柿が丸い形をしていると知ったのは東京に出てきてから、私はそれまで柿は楕円形だと思っていたのです。西条柿は現在の東広島市西条町で産する柿で、干し柿にすると甘みが増して和菓子のようになります。今時分、西条では農家の庭先で西条柿を庭に吊るす光景が出現しているでしょう。
私が子供だった60年代、田舎に行くと祖母が干し柿をおやつに出してくれました。チョコやガムを食べたかった私は和菓子風の干し柿が嫌で、心の中で「これがおやつか〜」と思っていました。今でもその感じは変わらないのですが、私の子供たちは既製品のお菓子よりも手作りの干し柿が好きで、毎年、祖母が作ってくれる干し柿を楽しみにしています。親子でも育った時代、環境によって食の嗜好が変わるのでしょうか。
写真の軸は北島聖牛の「柿小禽図」。秋風になびく枝に鳥がとまっている一瞬の風景が巧みに描かれています。北島聖牛は北海道出身なので京都に出てきた時、初めて甘い柿を食べたのでしょう。彼が食べたのは多分、関西産の柿だったはず。ちなみに柿の生産量がもっとも多い県は奈良県五条市。正岡子規が詠んだ「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」を思い出します。
ところで、フランス語で柿は「kaki」と発音します。昔、私はフランスで柿に赤い実がなっている光景に出合って驚いたことがあります。その時、私はなぜか日本を懐かしく感じました。どうやら、赤い柿の実は日本人の心に沁みついているようです。
皆様の機会があったら広島・西条の干し柿、食べてみてください。美味しいですよ。

西条柿
軸サイズ 縦横 約138cm×65.5cm

御売約、ありがとうございました

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