blog   2015年9月

越前 おはぐろ壺  
[2015/09/27]

先日、東京では美しい中秋の名月を見ることができました。宵闇が迫る頃、皆の会話は「月が出ている。見て、見て」。 あれくらい美しい月を見ることができると何だか得をした気分になります(一昨年も名月が美しかった)。 中秋の名月といえば「お団子」、「芋」。皆様、食されました?  お団子を食べるのは金運を良くするため風習と中国の本に書いてあったのですが、自然崇拝の強い日本人は月に見立てた団子を食べて体調維持をしているような気がします。
季節の最盛期も過ぎたので、お団子を食べて太陽再生を願う。日本人は太陽でも月でも完全な丸(円)が好きなようです。 中秋の名月頃から古美術品の衣変えの季節。涼しさを感じさせるガラスや染付が終わり、赤絵や漆器の季節がやってきます。 床の間飾りも常滑や信楽など土物が映える季節となります。写真は「越前 おはぐろ壺」。昔は生活用具でしたが、現在は花器として活躍中。 程よい大きさのおはぐろ壺に秋草を生けると、家の中にも季節感が出るでしょう(本品を見ていると、「早く秋草を生けてよ」と言われているような気がします)。 これから十三夜(10月25日)まで、時候の良い季節。散歩中、野原で摘んだ秋草をおはぐろ壺に生けるのも古美術品との楽しいお付きです。

高さ 約15.5cm/横幅 約15.5cm

御売約、ありがとうございました

谷文晁 富岳図 (江戸時代後期 19世紀前半)  
[2015/09/20]

東京オリンピックのエンブレム問題を機に、先々週からオリジナルとコピーについて書いてきました。それを今回で終わりにしたいと思います。
今週のお題は「谷文晃 富岳図」。ご存じのように谷文晃は江戸時代後期、の日本画の大家で、彼の偽作数が多いことでも知られています。
文晃には面白い逸話があります。食えない弟子が文晃の絵を模倣し、印を無断で使用しても意に関しなかったという逸話です。自分の偽物が出回ると目くじらを立てるのが普通ですが、彼はそれを許した。偽物をつかまされた人が、文晃に苦情を言っても相手にしなかった。本物と偽物の区別のつかない人の鑑識眼や苦情など、文晃にとってはどうでも良かったのでしょう。
写真は「谷文晃 富岳図」、真贋でいえば偽物です。全然、文晃らしくない。
私はこの絵に出合った時、「文晃の偽物、円山派の絵だけど、良い絵だな」と……。
真贋は別にして、好き嫌いで言うと、私はこの絵が好きです(通信販売欄に掲載して、すぐに2人の方から問い合わせがあったことでも、この絵の良さがわかります)。
もし、私が文晃に「これは偽作ですね」と聞くと、彼は「本物ですよ」とはぐらかすに違いありません。 結論から言うと、古美術の真贋は所有者の鑑識眼、信頼度次第ということになってしまうのでしょうか?
「これ、文晃のコピーですけれど」と言っても、「まじめな良いコピーですね」と答えて、購入してくださるお客様がいるのが骨董業の面白さです。

本紙 縦横 約70cm×28.5cm
軸装 縦横 約145cm×42cm

御売約、ありがとうございました

伊万里焼 桃文色絵向付  
[2015/09/13]

桃の季節といえば夏、我が家でも夏中、桃を食べていました。最近は品種改良、ハウス栽培も盛んなので桃を食べることのできる時期も長くなり、今週末も桃を食べた次第です。しかし、「あれ、今、9月中頃なのに、桃はまだ出回っているのか?」と、昔のこの時期、桃を食べていたかどうか自分の季節感に疑問を持ちました。昔は9月中頃でも桃を食べていましたかね?
桃の原産地は中国・黄河流域の高山地帯だといわれています。それが紀元前4世紀頃、西方に伝わり、ペルシャ経由で西洋に到着しました。ちなみに英語のピーチの語源はペルシャです。
日本人が桃を食していたのは古く縄文遺跡から種核が出土しています。古代の日本人は桃に関心が高かったようで、弥生時代以降は中国から渡来した桃核を栽培していたようです。
2009年、奈良県の纏向遺跡で祭祀に使われたと考えられる桃の種が2000個出土しました。1か所で出土した種数としては国内最多です。「卑弥呼が祭祀で桃を使用していた」と想像すると古代のロマンも広がります。
江戸時代になり、伊万里焼が製作されるようになると桃の図柄が吉祥として描かれるようになります。当時、食されていた桃は甘くなく、甘い白桃が栽培されるようになったのは明治時代から。写真の伊万里焼に描かれた桃は甘いか酸っぱいか? 正解は不明。江戸時代、桃は薬として用いられたので「良薬は口に酢っぱし(苦し)」だったのかもしれません。いずれにせよ、人類にとって桃は縁起の良いものであることは間違いありません。

口径 約14.6cm/高さ 約5.4cm

御売約、ありがとうございました

S.TSUCHIYA 川辺の風景 
[2015/09/06]

古美術商をやっていると、無名の画家の優作に出会うことがあります。
写真の「川辺の風景」も、その一つです。 この絵を見た瞬間、私は抽象画で有名なカンディンスキーの初期作品を思い出しました。カンディンスキーの画集を取り出して見ると、この絵とよく似た作品を簡単に見つけることができました。 それが「赤い教会の風景」です。2つの作品が似ているのは私の主観かもしれませんが、時代的に見ると両者とも後期印象派のカテゴリーに入れることができるでしょう。 土屋の作品は和風で、カンディンスキーの作品はロシア風、国は違っても両作品から時代の雰囲気を読み取れます。 後にカンディンスキーは抽象画の大家となりますが、一方の土屋さんはどうなったのか? 土屋さんの名前は「美術年鑑」を探してもありません。幻の画家?

ところで先週、東京オリンピックのロゴを辞退した佐野研二郎氏のコピー問題が大きく取り上げられました。昔からグラフィックデザイナーは模倣上手ですが、ネットは発達した今ではそれが問題となる。掲載した2枚の油絵は似ていても描かれた場所は遠く離れています。ベルギーのデザイナーが「佐野は私のまねをした」といきり立っていますが、似た作品が同時的に発生する現象があるということは認知した方が自然でしょう。今回の問題は作家を抜きにして、「東京オリンピック組織委員」対「ベルギー王室顧問弁護士」という構図になっています。商業ブランドを固持したい醜い大人の争いですね〜。 土屋さんは無名なので私の手元に来ることができました。
有名ブランド品でもなくても、良い作品と出合うことができるのが骨董の魅力の一つです。

御売約、ありがとうございました

「アフティルカ 赤い教会の風景」
ワシリー・カンディンスキー
1917年


東京オリンピックエンブレム 
[2015/09/01]

9月1日(火)、東京オリンピック組織委員会が、佐野研二郎氏の製作した「東京オリンピックエンブレム」を著作権盗用の問題で取り下げました。 佐野氏は多摩美術大学の出身ですが、私は同校の卒業生として心が痛みました。
佐野氏の著作権盗用の問題は論外ですが、「オリジナル」問題については、世間の人々が言っていることはトンチンカンに思えます。 人間が地球上に発生してから現在まで、我々の行動はオリジナルとコピーの歴史です。偉大な文化でさえ前時代の模倣(コピー)から発生しています。 岡本太郎氏の作品の中には完全に縄文土偶からコピーした作品がたくさんあります。極端に言うと「オリジナル作品」など、この世には存在しないというのが私の考えです。 私は骨董業界にいるので、毎日、ネットなどで大量の偽物(コピー)作品を検索に触れています。 多くの模倣品(コピー)作品が大量に買かいされるのを見て、「骨董ファンはオリジナル作品を所持したいのではなく、ブランドのコピー作品でもよいから夢が見たいのでは」と思う事があります。

(上)左の作品は高級感があるが、若々しい未来志向感がない。

(左)縄文土器     (右)岡本太郎墓「顔」

それで今回の「東京オリンピックエンブレム」。この作品には、夢を見させてくれる要素が少ないのが問題です。 夢は未来を通して感じるもの。過去にあったブランド作品を模倣すると「懐古趣味」になってしまいます。 このエンブレムを見た時、私は一瞬、「70年代に活躍した金持ち老人がデザインしたのか」と目を疑いました。 審査員が金持ちの年配者たちなので、この作品が選択されたのでしょう (上右の招致エンブレムは、若い女子大生が作ったので生き生きしていた)。 「若者に夢を与える」ことを前提に始まったオリンピック招致。それがいつの間にか、「金持ちおじいさんたちの饗宴」に変わった。 ワールドカップ同様、オリンピックもスポーツの祭典ではなく、商業ブランドの祭典の様相を示してきました。 ブランド志向自体、オリジナル性のない行為だと思うのですがいかがでしょう?


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