blog 2013年6月 |
泥絵 大磯・富士山図 (幕末)
[2013/06/30]
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先週、富士山が世界遺産になった。 富士山の魅力は、季節や見る場所によって変わる美しい風景にある。私もいくつか感動的な景色を思い出すことができる。 町を歩いていて、富士山が見えると何だか徳をした気分になる。それで富士山は信仰の対象となった。 昔から日本人は富士山を描いた。「富士見 西行之図」、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」が有名だ。 以前は交通機関が発達していなかったので、日本人が富士山を見る機会は稀だった。 参勤交代で江戸に来た武士たちは、東海道から見える富士山の雄大な姿を見て感動したに違いない。彼らは故郷に戻る時、江戸や富士山の絵を土産にするようになった。その代表が幕末に流行した芝土産の「泥絵」である。 泥絵は水彩絵の具で描いた描写画で、18世紀後半、司馬江漢が描いた西洋画が起源とされる。芝明神宮の商人は蘭学者のアドバイスを受けて、関東の名所図を土産に仕立て上げた。大和絵や浮世絵を見慣れた人々にとって、西洋風な泥絵は新鮮に見えただろう。 ところで、富士山の泥絵をディスプレイするために、橋本のそば割烹「玄武庵」に持って行ったことがある。玄武庵の雰囲気にこの絵が合うと思ったのだ。 しかし、思いとは裏腹に泥絵はそば割烹の店にマッチしなかった。 「やっぱり、西洋画と日本蕎麦は合わないのですかね?」 「泥絵は西洋風だからな。スパゲティの方が合うかもしれない」 「テルマエロマエですね」 (今でも富士山と三保の松原を壁画にしている銭湯はあるのかな?) イタリアンレストランの増加と反比例するように、町中から銭湯が消えた。 案外、泥絵はイタリアンレストランと合うかもしれない。 (追記) 先週、東京ドームにヴァン・ヘイレンを見に行った。コンサートの途中、デビット・リー・ロスの短編映画「外人任侠伝」が流された。その映画に銭湯が出てきます。興味のある方はユー・チューブでどうぞ。 絵画サイズ 縦 約32.5cm/横 約47.5cm 御売約、ありがとうございました |
砥部 白磁徳利 (19世紀)
[2013/06/23]
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ある日、友人の店で、この白磁徳利が目に留まった。口の部分が大きく欠損している。持ち主によって割れた部分を漆で直した形跡があるが、何かの事情で取れてしまったのだろう。もはや機能を果たすことのないオブジェのような徳利に私は惹かれた。 「花瓶としてなら使用できる」 私はこの徳利を入手することを決めた。 この徳利を入れた後、私は二つのことを思い浮かべた。 一つはヨーロッパの博物館で見た大理石のギリシャ彫刻である。手も足も顔もないベルベデーレのトルソーは美しい。不足の物にも美は宿る。 もう一つは、私の師だった李禹煥先生が鉄板と割れたガラスを合わせた上に石が乗っている作品を造っていたことだ。その作品を造る現場に立ち会ったことがある。 「先生、きれいにガラスが割れますね」 「今回は上手にガラスが割れた。何度やってもうまくいかない時がある。一度、作品を創るために十数枚のガラスを割ったことがある。ガラスは自分の思い通りに割れてくれない」 話を聞いて、先生が作品を造る時、ガラスの割り方にもこだわっていることを知った。 先生は満足するまでガラスを割っていたが、偶然にしてもこの白磁徳利の割れ方は見事だ。 それから数日後、白磁徳利を店に飾っていると、 「菖蒲を生けると良いですね。徳利の丸みと菖蒲の直線の対比がきれいでしょうね」と、常連客が言った。 壊れた徳利は花器としても美しさを発揮することは間違いない。 早速、私は花屋に行った。 高さ:35.5cm/横幅:21cm 御売約、ありがとうございました >>花を生けた写真はこちらです(橋本・玄武庵ブログ) |
南宋の黒釉盃
[2013/06/16]
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写真の盃は南宋時代(12世紀)の黒釉盃です。おそらく吉州の永和窯のものでしょう。
この盃は露店で見つけました。私が友人の店をのぞいていると、先客が盃を手に取り、 (追記)…と考えていたら、これを書いた翌日、四客とも売れてしまいました。 口径:7cm/高さ:4cm 御売約、ありがとうございました |