blog   2013年12月

メリー・クリスマスと賀正の伊万里(18世紀中頃)
[2013/12/24]

今夜はクリスマス・イブ、皆様も集まって鳥やケーキを食べてクリスマスのお祝いをされていると思います。クリスマスは4世紀中頃、ミトラス教(ローマの軍人の間で信仰されていたゾロアスター教の雄牛信仰)の冬至の祭りを受け継いで西方教会で始まりました。史実でのイエスの誕生日は4月ですが、キリスト教が広まるにつれ、クリスマス・ツリー、サンタクロースなどの祭事を加えて発展します。
日本でのクリスマスは1552年、周防(山口市)で初めて行われ、昭和時代に入って一般に広まりました。
私はこの皿の図柄を見た時、これが250年前のデザインかと驚きました。
1794年(寛政6年)、江戸の蘭学者が芝蘭堂に集まって「オランダ正月」を祝う集会があり、西洋料理を楽しみました。彼らは当時、禁教のため、クリスマスではなく正月として宴会を行いました。クリスマスとお正月が合体したようなデザインを見ていると、この皿がオランダ正月に使用されたのではないかと想像できます。
メリー・クリスマス!

口径:20.7cm/高さ:3.5cm

御売約、ありがとうございました


奇縁の楽しさ
[2013/12/20]

年も押し迫ったある日、店にネット販売に出品中の「珍の山唐津徳利」に関するお問い合わせがありました。電話をかけてくださったお客様は「珍の山唐津徳利」を地面から掘り出し、箱書きをした舟木右馬之介氏の親族の方で、「この徳利と舟木右馬之助は関係があるのでしょうか?」というご質問でした。ご来店いただき、舟木氏や珍の山唐津についての話をすると、お客様は徳利に興味を示され、ご購入頂くことになりました。
この商品は最初に鑑定ミスをして「丹波徳利」として出品し、研究の後、「珍の山唐津徳利」として再出品したのですが、良い商品のわりになかなか買い手がつかず、「私の出品の仕方に問題があるのだろうか」と責任を感じていました。それが「入るべきところに入って」、一安心。
「徳利が故郷に戻りたがっていた」というと奇妙に聞こえるかもしれませんが、来年早々、佐賀に行かれるお客様は、徳利を故郷に持ち帰るそうです。この徳利が掘り出されたのが大正2年(1913年)ですから、徳利は100年ぶりに故郷に戻ることになります。そこで珍の山唐津徳利は、親族との再会を果たすことになります。
何の縁で私が「珍の山唐津徳利」と出会ったのかわかりませんが、徳利が故郷に帰るお手伝いができたことは良かったと思います。
古美術商をしていると、時々、奇縁に巡り合います。その時のお客様の笑顔を見るのが商人の楽しみです。これからも皆様と良い御縁があることを願っております。

高さ:25.5cm/幅:16cm

御売約、ありがとうございました


京焼 蓮月書 花瓶(明治時代初期)
[2013/12/15]

太田垣蓮月(1791年〜1875年)は江戸時代後期の尼僧、歌人、陶芸家です。蓮月は若い頃、相次いで家族を亡くし、30歳代で剃髪しました。仏門の道に入った後も蓮月の人生は波乱万丈でしたが、勤皇の志士の後援者、富岡鉄斎の養親として名を馳せます。後年、蓮月は京都・岡崎に移り、自作の焼き物に
和歌を釘彫りした「蓮月焼」を創作して生計を立てました。 写真は蓮月二代目を許された黒田光良の花器で、蓮月が「いくつねて 春ぞと待ちし およびより 身のかがまれる としのくれ哉」という歌を書いています。この歌を読むと、「もういくつ寝るとお正月〜」と歌っていた幼い日々を思い出します。作品が身近にあることによって、蓮月の人柄にもふれることができます。それが骨董品の面白さです。

高さ:19.4cm/幅:10.5cm

御売約、ありがとうございました


「第3回骨董講座」が終了いたしました
[2013/12/14]

12月7日(土)、14日(土)仙遊洞で第三回骨董講座「日本におけるお茶文化」が開催されました。13名の出席者があり、和気あいあいの講座となりました。お茶の歴史について、1時間半で話すのは至難の業ですが、概要は話せたと思います。参加された皆様にはお礼を申しあげます。
来月は、1月11日(土)、ゲストに秋山眞人さんをお招きして、「シンボルと吉祥」についての対談を行う予定です。参加をご希望の方はホームページのお知らせをご覧ください。

講座内容
【1】お茶の歴史
 1、漢代、薬用として飲まれた茶 2、奈良時代に輸入された茶
 3、栄西禅師と「喫茶養生記」 4、南浦紹明のもたらした茶道具
【2】茶道の完成
 1、唐物から和物 2、高価だった茶 3、千利休の出現 4、織部・遠州
【3】茶道具と煎茶の出現
 1、李朝の茶碗・楽茶碗 2、織部好み・遠州好み 3、各地の大名道具
 4、煎茶の出現
【4】明治以降の茶道
 1、椅子手前
 2、明治の政商たちの茶道(増田鈍翁、根津嘉一郎、畠山一翁など)
 3、戦後の茶道・女性の嗜み 4、岐路を迎えた茶道


薩摩 竜門司油壺(江戸時代後期)
[2013/12/1]

12月10日前後は夜が一番長い季節、午後5時には町は夕闇に包まれます。
今年は夏が長かったせいか、東京の紅葉が見ごろで冬が近づいている感じがありません。本来ならば紅葉が終わった後、日没は早まるのですが、それが今年はずれているようです。
写真は薩摩焼の油壺です。薩摩焼には「黒もん」という黒釉作品の一群があり、独特の黒い世界を展開しています。太陽の降り注ぐ南国の薩摩で黒い陶磁器が盛んに作られたのは不思議な気がします。
私はこの油壺を見た時、スペインの画家のゴヤを思い出しました。ゴヤは黒の使い方のうまい画家で、闇の表現力は抜群です。スペインも南国ですが、ゴヤはしきりに黒を使っています。薩摩人とスペイン人の感性は近く、スペインは「情熱の国」なので、薩摩も同様なのでしょうか。
漆黒の油壺を見ていると、李朝の白とは違った世界が存在していることを感じさせてくれます。利休が好んだ黒楽茶碗も意外と情熱的な焼き物なのかもしれません。

高さ:9.5cm/幅:12cm

御売約、ありがとうございました


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