blog

蜘蛛の巣
[2026/08/15]

毎年、お盆に広島に帰省して墓参りをします。数カ所の墓をめぐるのですが、運転手をしてくれるのが広島で骨董屋を営んでいるいとこです。お互いに骨董屋になったのは、私たちの祖母の影響があるようです。
毎回、東広島の田園地帯の墓参りに行く時、水が張ってある田んぼをのぞき込みます。昔は、田んぼの水の中に鯉やどじょう、おたまじゃくしがいて、それを見ると田舎に帰って来たなと感じました。しかし、数年前から水の中に生物らしき影がありません。いとこに聞くと、「もっと恐ろしいのは昔、街燈に群がっていた蛾や黄金虫などが一切いなくなった。以前は電球に群がる虫を見て気持ち悪いと思っていたが今は見ることもない、そっちの方が恐ろしい」と話してくれました。

写真はオーストリアのビエナ窯の三つ足花瓶と高陽銘のある夕顔の軸。共に蜘蛛と蜘蛛の巣が描かれている作品です。これらの作品を見ていると昔、田舎の庭で木陰の枝に蜘蛛が巣を張りに蛾などの虫を捕獲していたことを思い出しました。いたずら盛りの私は地面に落ちていた枝を拾い、蜘蛛の巣を綿菓子のように絡めとっていました。巣が無くなった蜘蛛がそこから逃げていくのを見て、「この逃げ出した蜘蛛は、次はどこに巣を張るのだろう」と考えたものです。
蜘蛛に関する強い記憶がもう一つあります。それは小学生の時読んだ芥川竜之介の「蜘蛛の糸」。あれから50年経ちますが、私は蜘蛛を見るたびに、「この蜘蛛を殺すと、地獄から一生、這い上がれなくなってしまうのではないか」と思ってしまいます。この読書体験は私にとって一種のトラウマとなっています。多かれ少なかれ、人はこのような物語を通して慈悲の心を養っていくのでしょう。
しかし、その蜘蛛自体が田舎から姿を消してしまった。蜘蛛を助けなければ地獄から抜け出せないのであれば、人は一体、何を使ってお釈迦様のもとにいくのでしょう。
まさか、AIを搭載したスペースXのロケットを使って?
これは冗談ではなく、間近に迫っている未来かもしれません。
ちなみに、古美術地獄にはまっている私ですが、このまま地獄にいても良いかなとも思ったりします。古美術品のない天国など、私にとっては味気のない世界です。

掛軸 縦横 197.9cm×53.4cm
花瓶 高さ 約12.5cm/胴径 約13.3cm

掛軸の購入をご希望の方はこちらから
花瓶の購入をご希望の方はこちらから


李朝の白磁の壺に花を生けると
[2026/08/08]

私の美術大学の師は、現代美術家の李禹煥でした。大学時代に先生から余白や関係性、ズレの話を聞きました。先生の作品を見ると、描かれた部分よりも余白が多いことに気づきます。李先生は18世紀、李朝官窯の分院には2人の天才絵付師がいて、「彼らが描いた草花文が李朝の染付を世界的な作品にした」と語っていました。多かれ少なかれ、先生も李朝染付の影響を受けていることに間違いないでしょう。
李朝の陶芸といえば白磁です。これは李朝人が明の影響を受けたことに始まります。先祖供養を重要と考える儒教を国教とした李朝にとって、白は重要な色となりました。東アジアで白は一般的に喪、死などを表す色。後に明は赤を重んじるようになりますが、李朝人が白を重んじたことに彼らの精神構造を伺うことができます。

写真は李朝後期に作られた白磁の壺。李朝人は白磁を愛しましたが、彼らにとって染付は現実の世界、白磁は非現実的な世界を象徴する陶磁器で、白磁を祭器に使用することによって祖先との一体感を味わったはずです。
ところで現在、古美術愛好家が李朝の白磁を愛でる理由は2つあります。作品の美しい白さに味わいを求める愛好家と、白磁をインテリアに使う愛好家です。本品を見ると前者というより後者向きの作品といえるでしょう。一見すると何でもない白磁の壺ですが、この何でもなさがどこか手を加えたい欲求を生み出します。このままでは何の変哲もないので花でも活けてみようか、と。どこか、物足りなさを感じるものに手を加えようとするのは人情。本品も、そのような気持ちにさせてくれる作品です。
花を活けると非現実的な白磁の世界が、現実的な世界に変化するかもしれません。

高さ 約15cm/胴径 約19cm

購入をご希望の方はこちらから


国焼の鑑定
[2026/08/01]

19世紀前半、瀬戸や京都で磁器窯が成立すると有田で独占状態だった磁器生産の状況に変化が表れます。それを決定づけたのが、1828年(文政11年)に起きた有田皿山の「文政の大火」です。それ以降、有田の磁器職人は他の窯に移住、日本列島各地に磁器を焼く窯が成立しました。結果、それまで高価だった磁器は地方の庶民でも買うことのできる商品となります。

写真は、湖東焼の染付鳥文徳利と浦富焼の茶入れ。共に19世紀中頃、製作された作品です。大量の磁器を扱っていると、伊万里焼ではない磁器が大量にあることに気づきます。それが切込焼であったり、亀山焼であったり。古美術に興味のない方は使いやすくグッドデザインの食器であれば産地など関係ないのでしょうが、古美術品を通販サイトに出品する側としては、どこの窯で製作されたのか解説する必要があります。磁器がすべて伊万里焼と総称するのは便利ですが、それを概念的に扱うと国焼の個性、良さを見失うことになります。同じ磁器であっても焼かれた国や風土によって作品のニュアンスを感じることは楽しいことです。
しかし、日本の陶磁資料は欧米の窯に比べると乏しく、古美術商は体験的に窯を想像するしかありません。写真の染付徳利も最初はどこの窯で製作されたか不明でしたが、5年かかって本品が湖東焼の作品であると判明しました。図録を見ると湖東焼には茶道具が多く、雑器がないと思う固定観念が鑑定の速度を鈍らせます。浦富焼の茶入れも同様、固定観念に縛られていると産地の特定は難しくなります。とはいえ、私の経験も怪しいので、「とりあえず」、湖東焼、浦富焼として出品しています。 固定観念を覆してくれる古美術品との出会い、それは柔軟性を保つための「頭の体操」にもなります。

湖東焼鳥文徳利 高さ 約20.5cm/胴径 約12cm
浦富焼茶入れ 高さ 約8.7cm/胴径 約6.6cm

御売約、ありがとうございました

上へ戻る