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青手九谷焼 若杉窯 鳳凰文 壺
[2022/10/02]

江戸時代17世紀中頃、日本の陶芸界に突然、青手九谷焼と酒井田柿右衛門による柿右衛門窯が出現します。それまで日本では陶芸の色絵作品がなかったので、2つの作風はそれ以降の日本陶芸に大きな影響を与えました。私は個人的にこの時期の色絵は清との戦いの戦費を調達するために、鄭成功が日本に景徳鎮の陶工を連れてきて作らせた作品だと考えていますが……。最近、窯跡から色絵の陶片が発掘され、前期九谷焼は有田地方で作られていたことが判明しています。ところが前期の九谷焼は石川県で作られたと信じている人もいます。理由は19世紀前半、石川県小松市周辺で後期九谷焼(特に吉田屋の作品)が再興され、後期九谷の名前を不動のものにしたからです。しかし、吉田屋は採算を度外視して作品生産を行ったので、8年間(1824年〜1831年)しか活動していません。吉田屋窯の廃止時、陶芸家たちは他の窯に移り再興九谷焼を作り続け、今日の九谷焼の基礎を築きました。写真の壺を見た時、色調が吉田屋に似ているので「もしかしたら…」と思ったのですが、過去に扱った吉田屋の記憶をたどると肌合いが違うので若杉窯と判断しました。それでも本作には青手九谷焼が持つ魅力があります。それは陶芸家たちが吉田屋窯の作業の記憶を維持していたので、それに近い色調を出すことができたのだと思っています。ところで19世紀前半は各藩の殖産が盛んになった時代。大藩だった加賀藩は藩を挙げて陶芸作りを補助しました。各藩は藩の個性、特性を出すために作品を作るのですが、前期九谷作品に目を付けたのは加賀藩だけです。資金が潤沢にあったからこそ出来た行動でしょう。19世紀になっても加賀藩は江戸前期の文化に憧れていたのかもしれません。19世紀前半の御用窯を見ると、藩の個性が理解できて面白いですよ。ちなみに九谷焼は武士の文化と貴族文化が混在した焼物。それには北前船と京都との交易が不可欠です。両方を併せ持つからこそ九谷焼は魅力的なのですね。

高さ 約27.5cm/胴径 約23.5cm

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作者不詳 油絵 浴後 4号(1930年)
[2022/09/25]

日本人が油絵でヌードを描き始めたのは19世紀後半です。1900年、黒田清輝が白馬会で発表した「裸体婦人像」がわいせつと判断され、警察によって絵の下半分が布で覆われる「腰巻事件」が起きたのは有名な話です。それから12年後、萬鉄五郎がキュビズム風の「裸体美人」を描いています。黒田と萬の作品は題材が同じでも様式が全く違います。 写真の出品作品は1930年に描かれた裸婦像。本作を見ると、作者がピカソの青の時代(1901年〜1904年)の作品から影響を受けたことを伺うことができます。 ところでピカソは1907年、新しい様式を確立、彼の代表作である「アヴィニョンの娘たち」を発表しました。この作品のモデルはバルセロナのアヴィニョン街にいた娼婦たちだといわれています。 1980年代、「アヴィニョンの娘たち」がエル・グレコの「第五の封印の扉」の影響を受けて描かれたという研究発表がありました。「アヴィニョンの娘たち」と「第五の封印の扉」を見比べても、どの部分が影響を受けたのか簡単には理解できませんが、「第五の封印の扉」の聖者の来ている青い服がそれを理解する手掛かりになるかもしれません。ピカソは「アヴィニョンの娘たち」で青の時代に決別したのですが、「第五の封印の扉」に描かれている青い服の聖者自身がピカソだったのかもしれません。 1930年に描かれた本作を見ながら、久しぶりに近代絵画史を思い返した次第です。

ピクチャーサイズ 縦横 32cm×23cm
額サイズ 縦横 49cm×40cm


エル・グレコ 第五の封印の扉
(1608-1614年)


ピカソ アヴィニョンの娘たち
(1907年)


萬鉄五郎 裸体美人
(1912年)


御売約、ありがとうございました

長与焼 染付 狆・印章文 鉢
[2022/09/18]

日本の骨董界では染付磁器のほとんどを伊万里焼と呼んでいます。しかし、その多くは19世紀前半から各地で製作された地方の染付です。地域が違えば風土も違うので異なった雰囲気を持つ作品が生産されました。今回、仙遊洞ではそれらのお国焼の染付を出品することにし、北は青森県から南は五島列島まで、日本各地の染付作品を紹介しています。写真は長崎県の大村藩が作らせた長与焼の狆・印章文染付鉢。普通であれば伊万里焼で済ますのですが、細部のデザインを見ると本作が長与焼で作られたことがわかります。 面白いのは長与焼の高台部のデザインと同時出品している富江焼の盃洗の高台部のデザインが同じだということ。しかし、よく見ると窯が違うので絵付けも微妙に違います。このような違いは絵付師の描き方、個性によって異なっています。ところで、長崎は江戸時代、貿易が行われた外国文化の先進地帯。長与焼作品の説明文にも書いたように、珍しい狆(犬)の交易が出島を通して行われていました。特に日本産の狆(小型犬)はオランダ経由でヨーロッパに入り、人気を博しました。本作を見ると江戸時代の長崎の様子、文化の状況が理解できます。食器のデザインから昔のことを忍ぶことができる、それがお国焼の染付磁器の面白さの一つです。各地の染付の個性を比べて、ご覧ください。

口径 約22.3cm/高さ 約12.3cm

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壺屋焼 染付 鯛波文 こね鉢
[2022/09/11]

今日、沖縄県知事選があり、デニー玉木知事が再選されました。今年は沖縄の本土復帰50周年で、各所で沖縄のアピールをしています。私にも何人か沖縄の友人がいるのですが、考えてみると彼らが生まれた頃、沖縄が日本ではなかったことを思うと不思議な感じがします。そのような中、NHKの朝ドラ「ちむどんどん」が騒がしいようです。理由は登場人物のハチャメチャな生き方。私の知っている沖縄人は本土の人と価値観や感性が違う人が多いのであれで普通かなと思うのですが、几帳面な本土人からすれば「何〜!」ということになってしまうのでしょう。沖縄の人に聞くと約束した時間の2時間前後に来るのが普通だとか。のんびりしているところは本土の人にはわからないでしょう。写真は壺屋焼のこね鉢。この作品を見た時、「ちむどんどん」で主人公の父親が沖縄そばを打っているのを思い出しました。私が沖縄そばを食べたのは今から30年前、バブル経済の時代。吉祥寺の沖縄料理店で食べたのですが、その頃はまだ沖縄そばは珍しい料理でした。最近は我が家で沖縄そばを普通に食べていますが、こね鉢に出会って、いろいろ昔の事を思い出しました。ちなみに壺屋焼の作品は沖縄戦で失われたものが多く、残っているだけでも希少品(ミュージアムピース)。大切に残していきたいものです。

口径 約30cm/高さ 約12cm

御売約、ありがとうございました

真鍮製 モシ族 船乗り 彫刻
[2022/09/04]

現在、世界は旱魃地帯と水害地帯に分かれています。ヨーロッパは旱魃、パキスタンは未曾有の洪水で危機的状況に陥っているようです。一方、ウクライナから穀物が輸出される状況が生まれ、アフリカ諸国は食糧難を何とか免れる状況となっています。地理的にアフリカから遠い日本にとって、アフリカの状況は無関心事項でしょう。現在は世界的にインターネットでつながっている時代ですが、関心がなければ民族学も遠い世界の話。ブルキナファソはマリやガーナ、コートジボワールなどと国境を接する西アフリカに位置する内陸国ですが、日本人の多くはブルキナファソがどこにあるかも知らない。ましてや、ブルキナファソの首都はと聞かれても答えることはできないでしょう。本作は誰かが日本に持ち込んだ作品ですが、産地も不明、履歴も不明だと関心を持つことも少ないでしょう。一方でまだ世界がインターネットなどにつながってなかった時代、物珍しい作品は夢やロマンをもたらしてくれる存在でした。それを感じる感性はITが主流になりつつある現代社会において、徐々に弱まっているような感じがします。観葉植物の傍に本作を置いて見ていると遠い国の事が想像できます。想像力を掻き立ててくれる作品は面白いですね。

高さ 約15.5cm/横幅 約39.5cm

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一ノ瀬焼 染付 日の出・笹文 徳利
[2022/08/28]

写真の徳利について、これまで数度、産地を書き換えました。普通は産地を特定した後に通信販売欄をアップするのですが、本作に関しては迷走しました。最初は砥部焼、次に波佐見焼、そしてたどり着いたのが、一ノ瀬焼。しかし、それが正しいかどうかは疑問も残ります。職業柄、国焼の研究をしていると、磁器の多くが「伊万里焼」と称されて市場に流通していることがわかります。実際には有田だけで作られたものではなく各地方で作られたものなのですが、日本人は磁器一般を「伊万里焼」と呼びます。総称は便利な反面、それで正確な産地が曖昧になるという欠点があります。近代日本では「日本人は統一民族だ」という意見が大半を占めていました。それは総称に近い概念でしょう。本当は日本人もルーツをたどれば多様性があるのですが、それがいつの間にか総称として日本人として常識となる。このことを気にしない人も多いのですが、私は自分の性格上、「違い」「差異」に関心が強いので、多くの迷いが生じてしまうのです。一方、この迷いが仕事上のエネルギーになります。産地で迷うのも古美術と接するときの楽しみです。

高さ 約19cm/胴径 約11.5cm

御売約、ありがとうございました

瀬戸焼 梅文 ビール瓶
[2022/08/21]

お酒好きの私にとって、冬は日本酒ですが、夏は何といってもビールです。コロナ禍で家にいる時間が長いので、夕方になるとつい缶ビールに手が伸びてしまいます。そのせいでビール缶のゴミ出し数が半端ない。毎回、よくこれだけのビールを飲んだなとあきれてしまいます。写真は瀬戸で作られた白磁に色絵の梅文を施した和風の磁器製ビール瓶。日本人がビールを飲むようになったのは明治時代中期で1880年後半、当時は地ビールブームで全国に100社近くの醸造所があったと言われています。時代で考えると、本品はこの頃の物でしょう。 しかし、ビールに酒税がかけられ、戦争が激化するとビールの消費力は減っていきます。最近、日本人はビールを飲まなくなったといわれますが、好みでなくなったというよりアルコール飲料の商品数が増えて選択肢が広がったのが原因でしょう。一方でクラフトビールブームが再興し、中には昔の手法で作られるビールも販売されています。いずれにせよ、枝豆に冷たいビール、あとは広島カープが強いと最高なのですが…。

高さ 約22.5cm/胴径 約7.5cm

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赤縁ガラス 氷コップ ブリキ直し
[2022/08/14]

私が小学生の頃(昭和40年代)、広島市の中心部に「原爆スラム」という地域がありました。「原爆スラム」というのは通称ですが、戦後、原爆の被害に遭った人たちがその地区にバラックの家を建てて住んでいました。そこにあった家の素材は廃材やトタンでできていたのを憶えています。映画『愛と死の記録』や『原爆の子』を見ると、その地域にある家がどのような感じかがわかると思います。 ある日、写真のガラスの氷コップに出会った時、ブリキ直しの部分に目を惹かれ私は小学生時代に見た「原爆スラム」の風景を思い出しました。物がなかった戦後は本品のような壊れた物を直しながら使っていたのでしょう。それが現在、残っていることが凄い。ところで物があふれている現在、人々は使い捨てに慣れ、物が壊れれば簡単に廃棄します。 しかし、物があふれる時代になったからといって、豊かになったかと言えばそうでもない。簡単に言えば物を大切にする感性を人々が失ったのではないかと考えられます。本品を見て、ふっと物を大切にする感性を思い出しました。大切にできる物を持てるということは幸せですね。

高さ 約12cm/口径 約8.8cm

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切子 赤被 手付ジョッキ
[2022/08/07]

最近、若者のビール離れが加速しているという話があります。ちょっと前まで夏と言えばビヤガーデンで冷たいビールというのが定番でしたが、飲料メーカーのノンアルコール飲料の開発や外国産の飲料水輸入の影響で飲み物に対する選択肢が増えたため、ビール離れが起きているようです。写真は昭和初期に作られたジョッキ。丸のカットがブドウを連想させるので、ビールというよりワイン向けのデザインのような感じもします。本作を見ると何の飲料にも対応できるようなデザインを施したと考えられます。ちなみに本作は多数ある切子作品の中でも珍品。切子と言えばコップが主流。取っ手のついた古いジョッキは本当に珍しい。ところで今年、家でビールを飲むためのビールサーバーがヒットしているようです。また、日本各地の地ビールの流行も凄いですよね。現在はかつてのように有名な会社のビールを嗜好するのではなく、多様なビールを楽しんでいるようです。いずれにせよ、暑い夏の冷たいビールは最高。本作に好きなビールを注ぐと美味しさも一層、増すような気がします。マイジョッキでカンパイ!

口径 約7.5cm/高さ 約10.5cm

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