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熊倉順吉の「青い飾壺」とフォンタナの「空間概念」
[2025/11/08]

今回は久しぶりに現代美術と陶芸についてブログです。
写真は熊倉順吉(1920〜1985年)の「青い飾壺」とルーチョ・フォンタナ(1899年〜1968年)の「空間概念」。熊倉は昭和時代に活躍した陶芸家、フォンタナは世界的に有名な現代美術家です。フォンタナの代表作は、キャンバスを切り裂く絵画とブロンズに穴を開ける彫刻。フォンタナが1949年に製作を始めた「空間概念」と呼ばれるシリーズです。キャンバスを切り裂いた絵画は、キャンバスは絵を描く画布だと考えていた人々に衝撃を与えました。当時は米ソが宇宙に進出する時代、人間の空間概念も地球から宇宙に移っていきました。それを熊倉が認識していたどうかは不明ですがフォンタナの作品を意識していたことに間違いはないと思います。写真のフォンタナの作品は1960年代に作られたのですが、熊倉の「青い飾壺」もその頃、製作されています。これを見ると、彼が属していた陶芸集団、走泥社(1948年結成)の陶芸家たちが欧米の現代美術に敏感だったことがわかります。 ちなみに2023年に京都国立近代美術館で開催された「開館60周年記念 走泥社再考 前衛陶芸が生まれた時代」にフォンタナの作品が飾られていたことは象徴的です。熊倉の「青い飾壺」はオブジェで道具として使用することはできません。走泥社の陶芸家が実用性のない陶芸オブジェを日本に定着させたのですが、熊倉の作品が作られたのは今から70年前、それを考えると時代性に敏感だった彼の美的センスの高さに驚かされます。

高さ 約12.5cm/横幅 約13cm

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ルーチョ・フォンタナhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%
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積みわらのある風景
[2025/11/01]

フランスを旅行すると、列車の中から田園地帯に積まれたわらを見ることができます。それを見ると、美術好きな方はモネの積みわらの油絵を思い起こすことでしょう。モネは1890年頃、積みわらの連作を描き、代表作の一つとなっています。フランスではモネの他、ミレーやゴッホ、ゴーギャンも積みわらを題材に油絵を描いています。
写真は20世紀初頭に描かれた油絵「積みわらのある風景」。積みわらというよりも広い空が主役のような感じがする作品です。フランスは北でも南でもとにかく空が広い。
フランスの国土面積は日本の1.5倍で平野が7割を占めています。人口はフランス6000万人で日本の1億3000万人の約半分です。フランスの平野部の人口密度が109人/平方キロメートル、それに対して日本は1500人/平方キロメートル。平野部の人口密度を比較すると、いかに日本人が狭い地域に住んでいるかがわかります。
ちなみにフランス人のヴァカンスといえば海。山ではありません。フランスにはアルプスやピレネーなどの高い山しかないので、フランス人は山歩きの楽しさを知りません。日本は自然の地形が変化に富んでいるので、近くの山に登って自然を楽しむことができます。
日本人画家が山水画を多数描いているは日本の自然が豊かだかだという証になります。どちらが良いかは好みですが「積みわらのある風景」を見ていると、国土の広さを実感することができます。 ところで、私は母の実家が農家だったので小学生時代は冬休みに田舎に行って積みわらで遊んでいました。それがとても楽しかった記憶があります。現在、その田んぼは宅地になり、積みわらで遊んだ光景は思い出の中にあるばかり。古美術品は人の思い出を喚起させてくれます。面白いですね。

額サイズ 縦横 約50cm×59cm

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クロード・モネ「夏の終わりに」(1891年)


菊の古美術品と金価格の上昇
[2025/10/25]

菊の季節がやってきました。とはいえ、東京の天気は10月に入ると毎日曇りか雨、梅雨のようで秋らしさを感じることができません。毎年、この時期になるとブログに菊文の古美術品を出品するのですが、今年はいつもとは違う秋の感じがします。
写真は薩摩焼の色絵菊文七寸皿と切込焼の染付菊文徳利。九州と東北でそれぞれ作られた国焼です。薩摩焼の七寸皿にサインはないのですが、藩窯かその周辺で作られた作品と想像できます。美しい地肌に繊細な色絵金彩が施されており、一方、切込焼の徳利には伸びやかな筆使いで豪快な絵付けが描かれています。
両作品の共通点は共に金が使用されているということ。薩摩焼の七寸皿には金彩で若松や菊の葉が描かれ、切込焼の徳利には補修の本金直しが施されています。これを見ると、日本人が古美術品に金を多目的に使用していたことがわかります。さすが黄金の国ジパング。
最近、世界的に金価格が上昇しています。人々は安全資産としての金の魅力に惹きつけられているのでしょう。ウクライナやパレスチナ問題、トランプ大統領、ドルの信用度の低下など問題は山積み。世界が不安定になれば金の需要はさらに増えそうです。ちなみに今から25年前、金は1グラム1,000円くらいでした。その頃は古美術品の修復に金粉をふんだんに使うことができたのですが、現在、金は1グラム23,000円なので、直しに金粉を気軽に使用できません。
古美術品に金直しができた時代、世界は平和でした。防衛のために先端技術の開発競争が起こる時代よりも、古美術品に思いを馳せながらのんびりと時を過ごすことができる時代が良いと思うのですが……。金価格の上昇を横目で見ながら、古美術品に金直しができた時代を懐かしく思い出しています。

菊文七寸皿 口径 約19.5cm/高さ 約2.8cm
菊文徳利 高さ 約28.7cm/胴径 約16.5cm

菊文七寸皿 御売約、ありがとうございました
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EXPO 2025大阪・関西万博 閉幕
[2025/10/18]

4月13日に始まった大阪万博が10月13日に終了しました。万博は184日間開催され、約2200万人が訪れました。最初はマスコミの悪口ばかりが目立った万博でしたが、閉幕まで1か月を切った頃から毎日20万人が訪れ、最後は大いに盛り上がったようです。
私は始まって13日目(4月26日)に行ったのですが、本当に楽しいイベントで良い思い出を作れたと思います。万博の閉幕は「祭りの後」の感じがあり、ちょっと寂しいですね。
写真はネパールのタマン族の祭祀用のマスク。大阪万博が閉幕した記念にこのマスクを出品します。というのもネパール館は大阪万博が開幕しても98日間未完成で、オープンしたのが7月19日。遅れたことで注目度が上がったパビリオンです。私が行った時はまだ工事中で誰もいませんでした。不思議だったのは完成していないネパール館を皆が写真に撮っていたことです。見方を変えれば、完成していないパビリオンの存在も万博を盛り上げる話題の一つだったのかもしれません。ネパール館の他、ベトナム館は17日、インド館とブルネイ館は18日遅れで開館しましたが、それに比べるとネパール館の98日遅れはすごい。タマン族の仮面に「呑気ですね」と笑顔で言いたくもなります。
最近、日本社会ではコンプライアンスや契約の厳格化が進んでいますが、ヨーロッパやアジアの国に行くと列車や飛行機の遅延は当たり前。逆に外人が日本の列車運行の時間の正確さに驚くのですから、国や文化が違えば時間感覚も違うのは当たり前でしょう。 ちなみに万博のウォータープラザ周辺ではシオユスリカが大量発生したり、レジオネラ菌が検出されたり、地下鉄が停止して入場者が駅で夜明かししたり…。いろいろ問題があったのですが、万博に行った方は、後でそれも楽しい思い出として感じるでしょう。
ところでネパール本国では9月5日、政権が出したSNS禁止令をきっかけとした暴動が起き、9月9日にオリ首相が辞任しました。ネパールにとって2025年は激動の年だったようです。ネパールの皆様、お疲れさまでした。

高さ 約19.8cm/横幅 約13.5cm

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秋の器
[2025/10/11]

栗の季節がやってきました。栗を食べると秋が来たことを実感します。子供の頃、秋祭りに行くと焼き栗を売っていました。母は栗好きだったのですが、食べてもそんなに甘くなく、子供心に栗は大人の食べ物だと感じていました。そんな私が古美術商を始めて出会ったのが、栗の臼です。今から30年前の話です。直径が60センチ、高さが80センチの江戸時代の丸太のような臼。全体に煤がつき、現代彫刻に劣らないは存在感がありました。その臼は広島市の古民芸店にあったのですが売値が25万円。バブル経済の時代、高いなと思いながら栗の臼の迫力に惹かれて購入しました。1998年に西荻で店を始めて、売るつもりもなく店飾りにしていたのですが、ある有名なデザイナーの方がどうしてもその臼が欲しいとおっしゃるので泣く泣く手放しました。今まで多くの臼を見てきましたが、あの時の栗材の臼ほど迫力のある臼に出会ったことはありません。私はあの臼に古民芸の面白さ、美しさを教えてもらった気がします。
今から10年前、青森県の三内丸山遺跡に行き、そこで4000年前の縄文人が栗の品種改良を行い栽培していたことを知りました。昭和時代まで縄文人は移住生活を送っていたと考えていたのですが、最近は科学が進み、三内丸山の縄文人は栗の交配を行いながら強い品種を作り、2000年間定住生活をしていたことが判明しています。
写真は金彩の栗の模様の入ったリキュールグラスとオールドノリタケの皿。この2つの作品を見ながら、リキュールグラスに甘めの白ワインを入れ、それを飲みながらノリタケの皿にのせたモンブランを食べると美味しいだろうなと想像しています。芸術の秋と共に食欲の秋ですね。

リキュールグラス 口径 約5.4cm/高さ 約10.3cm
ノリタケ絵皿 口径 約19.8cm/高さ 約2.3cm

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出雲の神在月
[2025/10/04]

猛暑の夏も終わり、秋めいてきました。自民党の体制も変わり、季節と共に社会も変化していくようです。日本には昔から月を表わす名前があります。10月は「神無月」ですが、出雲(島根県)だけは「神在月」と呼びます。大和は陽、出雲は陰の神が司る場所なので、太陽に陰りが見える10月に日本全国の神が出雲に集まるとされました。
写真は木彫の大黒天像と岡本豊彦のねずみの軸。大黒天はインドのシバ神が日本に輸入され、出雲神になった神です。シバ神は破壊と再生を司る神なので、10月に世界を破壊する役割を担っています。ちなみに大黒様には俵、大根、ねずみがつきものです。大黒天の起源のシバ神はシバリンガ(男根)で、大黒天の持つ小槌がシバリンガ、ねずみが精子、二股大根が女性、袋が子宮を表しています。江戸時代、各地の村や町には男性器をかたどった石棒が祀ってありました。幕末期に日本に来た外国人の目には、若い女性がそれを楽しそうに触っていることが奇妙に見えたと記録しています。最近、日本で少子化が進んでいるのは、石棒が町から消えたせいでしょうか。それとも女性の社会進出が原因?
いずれにせよ、これからの日本の少子化では人口減少は避けられないようです。出雲神をまつる出雲大社は縁結びの神様。男女だけではなく、古美術との縁も創造してくれます。

大黒天像 高さ 約30cm
軸 縦横 約162.5cm×36cm

大黒天像 御売約、ありがとうございました
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