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朝顔の思い出 亀山焼 朝顔 杯洗
[2024/07/21]

大学時代、古井由吉の小説『槿(あさがお)』(1983年)を読みました。大学生にとって古井の作品は難解で読むのに一苦労。古井小説には物語性がないので、細かな描写を追うしかないことが原因です。リアリティがあるのですが、延々とそれが続くと苦痛です。 今回、出品した亀山焼の朝顔文杯洗を見た時、ふっと「腹をくだして朝顔の花を眺めた。十歳を越した頃だった《という『槿』の冒頭を思い出しました。昭和時代、各家庭には小学生が椊えた朝顔の花壇があり、朝顔が咲く時期、多くの子供たちが冷たい物を取りすぎて腹をくだしました。きれいに咲いた朝顔は病気の子供には毒です。朝、きれいに咲いていた花は夕方には萎むのですが、それが自分の病状と重なり苦痛となります。古井はそれを小説で老いていく中年を主人公にして表現しました。当時は若かったため理解できなった内容が、歳を取るにつれ理解できるようになります。ところで、人と違ってモノである磁器は長生き。写真の杯洗は製作された当時のままの姿をしています。磁器の上に描かれた朝顔はいつまでたっても萎むことはありません。古美術品に出会い、体験の中から様々な思いが浮かび上がってくるのは面白いですね。

口径 約16.3cm/高さ 約11.7cm

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小松正衛氏と古美術
[2024/07/14]

小松正衛さん(菊池寛の書生、文芸春秋社取締役、東京良寛会会長)の本を最初に購入したのは、「中国古陶磁(保育社カラーブックス、1993年刊)」です。当時の中国は鄧小平の行った改革開放政策の影響を受けて各地の開発が進み、建設現場から古代の発掘品が大量に出土していました。それが香港経由で日本に輸入され、高価だった古美術品はリーズナブルな価格で購入できるようになっていました。その時、私のガイドブックとなったのが「中国古陶磁」です。 20年後、縁あって小松さんが収集した古美術品の整理をしたことがあります。家に行くと所せましと骨董品が並び、「骨董屋よりも在庫があるな」と思いました。その時の品物は8年前、仙遊洞の通販に出品、多くのお客様に購入していただきました。そして今回、最後の初出しを行ったので、2週にわたって通信販売欄に出品いたします。商品の中には「小さな蕾」のエッセイに登場する作品があります。すべての商品について調べられなかったのですが、出品した商品の中にもエッセイに掲載された作品があるかもしれません。収集品を見ると「本当に古美術が好きだったのだな」と感じます。きっと古美術品も小松さんと一緒に時を過ごせて楽しかったでしょう。

高さ 約14cm/横幅 約6.5cm

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涼感のある器
[2024/07/07]

1974年、井上陽水が歌う「真っ白な陶磁器を眺めては飽きもせず」という歌を聞いた時、中学生の私は「白い陶磁器を眺めて何が楽しいのだろう」と思ったことを覚えています。それから50年、私は古美術商になってやっと歌の意味が理解できるようになった気がします。
中国人が白磁を製作するようになったのは唐時代。河北省邢州内邱県近傍にある邢州窯が白磁を生産、宋の定窯と共に名声を博しました。それ以降、アジアでは李朝の白磁、柿右衛門の濁し手、徳化窯などの魅力的な白磁を生産しました。白磁の魅力はすべてを包み込むような存在感でしょう。
私が白に魅了されたのは大学時代です。ある秋の夕暮れ時、多摩丘陵を歩いていると、辺り一面が真っ白になって包みこまれる上思議な体験をしました。八王子は夕焼けで有名な地域。夕暮れの経過と共に周辺にあった森の風景が徐々に消えていき、真っ白な空間の中では何も見えなくなるのです。単なる自然現象ですがその体験は白い空間とは何かを教えてくれたような気がします。ちなみに私が自然現象の色彩に包み込まれる体験をしたのは白と黒です。
白磁の色は産地や窯の状態によって微妙に違います。還元では白が寒色に、酸化では暖色に仕上がります。異なった白磁に出えることが古美術蒐集の面白さ。写真の作品を出品する前、それを並べて眺めながら、飽きも来ずに時間を過ごしました。

李朝白磁茶碗の口径 約14cm/高さ 約8.5cm
広東窯白磁茶碗の口径 約15.5cm/高さ 約6.5cm
伊万里白磁大なますの口径 約17.5cm/高さ 約5.5cm
平佐焼白磁盃洗の口径 約14.4cm/高さ 約11.2cm

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高屋焼 「砂」文 らっきょう徳利
[2024/06/30]

暑い季節になると冷麺、そーめん、冷やし中華が食べたくなります。その中でも特に美味しいのは、夏のざる蕎麦。冷水で締め、ワサビのきいた蕎麦の味は格別です。現在はどの町にもおいしい蕎麦屋さんがあるので夏の手打ち蕎麦を楽しむことができます。写真は高屋焼染付の「砂」文らっきょう徳利。胴部に「砂」の文字が入った作品です。蕎麦好きであれば「砂」の字が蕎麦を表わしていることは一目瞭然。関東の「更科」と「藪」蕎麦と共に、関西の「砂場」は蕎麦の老舗として知られています。東京にある「室町砂場」は天もり、天ざるの発祥地として有名ですね。
幕末期、本作に入った日本酒を飲みながら、客たちは蕎麦をすすったのでしょう。ちなみに日本人が蕎麦を食べ始めたのは縄文時代。当時は麺ではなく、団子状の蕎麦を食べていました。蕎麦が麺として食されるようになったのは桃山時代、江戸時代になると蕎麦は江戸を代表する食べ物となります。ブログを書いていると急に蕎麦が食べたくなってきました。本当に日本人は蕎麦が好きですね。

高さ 約27cm/胴径 約16cm

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気の流れを描いた龍のデザイン
[2024/06/23]

先週の金曜日(6月21日)、関東地方が梅雨入りしました。例年に比べて2週間遅れた史上3番目に遅い梅雨入りだそうです。一時は空梅雨になるのかと心配しましたが、雨が降ってくれるとダムなどの水瓶にも水が溜まります。やっぱり梅雨時は雨が降る方が自然ですね。写真は伊万里焼の染付龍唐草文七寸皿と雨の中、傘をさして走る人物の猪口。染付は目に涼しさを感じさせてくれる食器です。この作品を見ていて気付いたのが、昔の人は気の流れや雨の恵みに敏感に反応していたということ。それを「風水」として体系化して利用しました。この体系は中国人が考案した思想で、古代の都は風水をもとに設計されています。その中で青龍は気の流れを司る神獣として信奉されていたようです。最近、東京がヒートアイランド気味。その対策としてビルの間に隙間を作り、空気の流れを良くすることによって温度の上昇を抑える工夫がなされています。東京駅の近くにあったビルを解体した後、あえて空間を作ったことによって空気の流れが良くなり温度も下がったとか。古来の風水も役立ちます。江戸時代は高層建築もなく空気の流れも良かったので今ほど暑くはありませんでした。暑い時は本作のような染付を使って涼しさを感じたのでしょう。近年はエアコンに頼りがちですが、風水や古美術品を使って涼しさを感じることも大切だと思います。

染付皿の口径 約19cm/高さ 約2.5cm
染付猪口の口径 約6.7cm/高さ 約6.3cm

御売約、ありがとうございました


李朝 色絵 鹿と花文 小壺
[2024/06/16]

李朝の民画を知ったのは今から40年前です。大学生時代、現代美術作家・李禹煥のキャンバス張りのアルバイトをしていた時、先生の家に飾ってあった民画を見て「随分、稚拙な絵だな。この絵は何ですか?」と尋ねたことを覚えています。当時、私は欧米の現代美術に夢中で素人が書いたような李朝民画には目が向きませんでした。その時、李先生が、民画はアカデミックに絵を習った画家では描けない面白さがあることや放浪画家が村々を廻って絵を書くことなどを教えてくれました。あれから40年、多くの民画を扱ってきましたが、最近は以前のような美しい民画に市場で出会えなくなったのが残念です。
写真は李朝末期の色絵壺。この作品に出会った時、「陶磁器に描かれた李朝民画だ」と思いました。この壺に絵付けをしたのは民画家に間違いありません。間の抜けた表現が何とも言えない面白さを感じさせてくれます。
最近、AI技術が発達、実物と見間違うほどの映像ができるようになりました。本物と偽物の区別がつかないフェイク画像は詐欺にも利用され、現在の状況を見ているとIТの利用に気が抜けない時代に入った感じがします。投資家のウォーレン・バフェット氏はAI詐欺について、「史上最大の成長産業」と冗談交じりに表現しています。 昔、李先生が「民画は韓国人が家庭で安らぐための調度品だ」と言っていました。緊張感の中で仕事をしていた官僚たちは家に帰って民画を見てリラックスしたようです。戦争や紛争、フェイクニュースが放送されていても、古美術品を見て安らぐ時間が持てるのは楽しいですね。

高さ 約13.5cm/胴径 約14cm

御売約、ありがとうございました


涼感のある器
[2024/06/09]

例年であれば梅雨の季節ですが、暑い日が続いています。まさか、このまま夏になるとは思えませんが、まだ過ごしやすい時期であると言えるでしょう。写真は志田窯の氷烈文尺皿、出石焼の白磁向付、水色ガラスの小鉢。3作品とも夏向きの作品です。特に氷烈文の尺皿は初夏にぴったりのデザイン。エアコンがなかった江戸時代、人々は爽やかな図柄を見て涼しさを感じていました。氷烈文は早春の風物ですが、それを夏に使用しています。本作には台風を象徴する馬の目が描かれています。明治時代になると日本人はガラス作品を使って涼を取りました。また平成時代に白磁ブームが起こり、今でも染付よりも白磁に人気が集まっています。エアコンが発達した今日、日本人は視覚よりも体感を優先しますが目に涼しさをもたらすのも暑さ対策の一つ。季節感のある古美術品を使用して、暑い夏を乗り切ってください。

志田皿の口径 約28.4cm/高さ 約4.2cm
白磁向付の口径 約8.1cm/高さ 約7.3cm
ガラスの口径 約10.4cm/高さ 約4.9cm

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銅製 浦島太郎と亀 立像
[2024/06/02]

古美術商をしていると時々、珍品に出会うことがあります。本作もその一つで、乙姫様からもらった玉手箱を開けて老人になった浦島太郎像を表現したとても珍しい作品です。このような作品との出会いは古美術商の想像を超えるものです。
本作を購入時、十数年前、丹後半島旅行で行った浦島神社の風景を思い出しました。丹後半島といえば天橋立が有」ですが、この地域は仏教遺跡や古墳の宝庫で網野銚子山古墳、神明山古墳など、古代史ファン以外は訪ねない遺跡を訪ね、それを見ながら古代世界を想像していたことを思い出します。 浦島神社は別名を宇良神社といいますが、古代の吉備地方で暴れた鬼の名前が「温ら羅(うら)」。個人的に「うら」は当時、朝鮮半島南部にあった浦上八国の海人の総称だと思っています。5世紀、日本列島には多くの渡来人がやってきました。その橋渡しをしたのが日本海沿岸で活動していた浦上海人です。 桃山時代、半島から多くの陶工が渡来しました。その結果、半島の陶芸技術が日本に導入され、日本の陶芸が大きく発展することになります。ちなみに浦島神社が創建された頃、半島人が持ってきたのは須恵器の製法でした。 時代は変わって現代、日本も韓国も高齢化が進んでいます。老人になった浦島太郎像を見ながら、昭和時代を懐かしんでいる私自身、玉手箱(AI技術)を開けた浦島太郎のような気分です。

高さ 約28cm/横幅 約27cm

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