山本 心理学は大きく大別するとフロイト系とユング系の心理学があります。それにクレッチマーの性質論を加えると説明しやすくなる。
フロイト系は「自由連想・精神分析療法」、「リビドー」、「エディプス・コンプレックス」、「夢判断」など、ユング系は「人間の元型」、「個人的無意識と普遍的無意識」が中心の概念になります。簡単にいえばフロイトは家族、ユングは社会を中心に人間を分析する手法だと思うのですが?
下川 心理学は20世紀に基礎が出来上がった比較的、新しい学問です。現代の心理学者はフロイトやユングの仮説に民族性を融合させています。さらに最近は現代の社会学など加わって複雑になりました。
山本 フロイトの仮説に幼児の成長段階を表す「口唇期」、「肛門期」、「男根期(エディプス)」があります。文学的に言うと口唇期は1人称(私)、肛門期は2人称(私とあなた)の世界、男根期は3人称(私と社会)です。口唇期を物に例えると身体的に必要なもの、ライフラインに直結する衣食住に関係した物、水や食物、衣服などです。肛門期を物に例えると感情的、感覚的な好みが入り、人間は「おいしい物」、「心地よい物」を求めます。男根期は知性的で思考的な要素が入り、社会的に有用な物となります。骨董品は肛門期と男根期に属する趣味で、肛門期的な古美術品は使える商品、男根期的な古美術品は観賞用です。
下川 骨董の酒器にこだわる人は口唇的な人です。日本酒はどの器で飲んでも味は変わらないのですが、自分の好みの酒器で酒を飲むと、心理的に美味しく感じる。
山本 人間は赤ん坊の時、母乳で栄養補給します。酒器にこだわる人は口に含んだ乳首の間隔を覚えているのでしょうか。それに触覚だけにこだわるのであれば、現代のものでも十分に対応できると思いますが?
下川 昔の母親像は現代の母親像とは異なります。骨董品の酒器が好きな人は、昔の母親像を追っているのかもしれません。数寄者は骨董品を擬人化する傾向があるので、壺と風呂に入ったり、床を一緒にする人もいます。
山本 私も元禄時代に作られた柿右衛門の白い肌を見ていると、美しい日本人女性の肌に接しているような気分になります。
下川 心理学では、そのような感覚を「共感覚」と呼びます。陶磁器が人の肌に見えたりする。音楽家の中には、音を色として感じる人もいます。
山本 茶碗を愛でる茶道は、芸能の中で口唇期的な芸能です。桃山時代から茶碗は愛されてきましたが、酒器はそれほど愛されていない。仏教は酒を禁止しているので、酒器は酒道として成立しなかったのでしょう。
下川 北大路魯山人は器にも料理にもうるさい人でした。魯山人は不貞の子で父が割腹自殺をしたという不遇な幼児体験をしています。辛い体験が偏執的な性格を作り出した肛門期タイプの芸術家です。今回の対談のテーマは「なぜ、骨董品を収集するか」ですが、人間は成長期に体験した印象的な出来事を、大人になった後で確認をすることがあります。例えば、小学生の時、猫を飼いたかったが家の都合でそれが実現できなかった人は、大人になって猫を飼って欲求を解放させます。それでいうと魯山人は、味覚で幼い時に体験できなかった家庭の味を求めていたのかもしれません。
山本 ぼくは魯山人がファザー・コンプレックスの強い人だと思っています。顔はいかついが女性的です。戦前、茶道は父系的な芸能で、お茶を点てる人が皆にお乳をふるまう構造になっています。父親に必要なのは茶会をする財力だったので、財界人たちでなければ茶会は開けませんでした。魯山人は桃山時代の利休のような存在です。
下川 戦後、財閥が解体してパトロンを失った茶道界は女性の教養に活路を見出します。男性と女性と茶道のおもてなし、心配り感が異なっています。男性は男性、女性は女性の心地良い空間構成をするので、現代では茶道の感じは大きく変質しています。
山本 女性が自由になると同時に、女々しいとされた文学的な酒飲みも活動を始めました。
太宰治や檀一雄などは酒飲みです。青山二郎や小林秀雄などの文学者は、酒器が好きでしたがあっけらかんとして、魯山人のように偏執的ではありません。
下川 廬山人に比べると文学者の方が観念的、男性的です。戦後、女性が茶道に向かったのは、消滅した父親の存在に憧れたからでしょう。茶道ができる財界人のような父親像を求めて、おもてなしの訓練をしている。
山本 ないものねだりですか?
下川 しかし、現在の日本人男性は家長制度に負担を感じて、堅苦しい茶道よりも酒を選んだ。酒器は男性の逃げ場です(笑)。
山本 西洋人はワインを飲みます。キリストは「ワインは私の血、パンは私の肉」と言っていますが、キリスト教を信仰する欧米人はお祈りを述べながら肥満になっている。肥満もストレスの一種だと考えられるのですが?
下川 信仰心が篤いのです(笑)。
山本 欧米人は日本人とは違うストレスを感じているのでしょう。
下川 自由も行き過ぎると、ストレスを生じます。茶道は型の芸術ですが、型があった方が理解をしやすい場合もある。素人に骨董品の価値基準は理解しがたいのですが、型をしっている古美術商に話を聞いていると、その商品の価値が理解できるようになる。
山本 外国人の中にも茶碗の侘びを理解する人もいますが稀です。ほとんどの人は汚れた茶碗を見て、「こんなに汚い茶碗のどこが良いのだろう?」と感じる。ワイン・グラスはワインを美味しく飲むための道具であって、執着の対象ではありません。茶碗や酒器に執着するのは日本人だけです。
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