このページは2019年5月11日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。
ゲスト 下川昭夫 (首都大学東京 人文科学・人間科学専攻心理学・臨床心理学教室教授)

第58回 古美術と社会学 ゲスト・トーク「ヒト、ヒトと物、心理学」
(1) 心理学の変容 人間と機械

山本 今年も下川先生をお招きして骨董と心理学のお話を聞くことになりました。よろしく、お願いします。下川先生が骨董講座のトークに登場して6年が立ちました。毎回、「時のたつのは早い」と言っていますが、本当に早いですね。
下川 本当には早いですね。
山本 最近、日本での出生する新生児の数が100万人を割っています(2016年から)。1973年、団塊ジュニアの新生児数が200万ですから半分になっている。それと重なるように高齢者が40万人亡くなり、日本では人口の自然減、少子高齢化が始まりました。これらの問題を解決するためにAIやロボット、バイオテクノロジーによる補助、介護も話題になっています。人間は道具や機械を使用しますが、心理学的視点から見ると現在はどのような状況なのでしょう?
下川 心理学は哲学から発生したものなので、人間の存在の研究をしてきました。ところがAIやロボット、バイオテクノロジーに補助してもらう時代になると、人間だけの研究をすればよいのかという問題が出てきます。人が考えるのではなくАIが考えたり、人が自力で動くのではなく、ロボットの力を借りて動くのですから。
山本 ロボットに心があるのかという問題ですね。正月にロボットに人の心を導入させるというドラマ「マリオ~АIのゆくえ」をNHKでやっていました。
下川 ドラマにもなるのですから、AIなどが社会に深く浸透していることがわかります。私が行っているのは心理学でも臨床心理の領域です。これはフロイトが発明した古典的な治療法の一つ。私が学生だった時代はパソコンもネットもなかったので、古典的な領域の勉強をすればよかった。しかし、最近はテクノロジーの領域が拡大したので、心理学とテクノロッジ―を融合されるような分野も登場した。先ほどの「ロボットに心はあるか」という領域ですね。
山本 我々は鉄腕アトムやマジンガーZで育った世代ですが、それが現実化するとは考えていなかった。
下川 100年前の人は飛行機やテレビが発明されると思っていなかったけど、それが現実化した。ですから、50年後には人間とロボットが共生する時代は到来するはずです。その時はロボット心理学の領域も確立されているでしょう。
山本 最近、上野の国立科学博物館で「日本を変えた千の技術展」が開催されていました。これを見ると我々はいかに多くの道具、機会に囲まれて生活して来たかわかります。
下川 古代から人間は道具を発明しながら生活していました。人間と動物の違いは道具を発達させるかどうかです。他の動物も道具を使いますが、それを改良、発達させることはない。
山本 そうであるならば人間の心は道具と共に発展したと考えられます。人間は道具を発展させるから、人間になった。
下川 古代ギリシャ時代も道具や機械はあったのですが、哲学者たちは道具や機械の影響を排除して、純粋に「人間とは何か」を考えた。この時代は思考する人だけが人間で、奴隷は機械だと考えた。
山本 人も道具なのですね。それをいうと私たちはGАFAの奴隷になりつつあります(笑)。
下川 機械論には①機械は人間の使用する道具としてみなす、②人間を機械と見なす、③人間と機械の関係で世界を分析する3つの理論があります。②の提唱者はルネ・デカルトですが、彼が登場してから物理学が発展した。だから、現在の心理学は物理学的要素が強い。
山本 心の動きもエネルギーとして考える。20世前半、人間と機械が一体化するような思想、シュールリアリズムやフューチャリズムが登場します。それが1970年頃から流行して、ドゥールーズ・ガタリが人気を博しました。「人間は機械を使用する時、機械に支配され、機械人間になっている」という発想です。
下川 人間と機械やロボットの関係性を問うだけなら問題はないのですが、最近はロボットや機械の心理学の方が主流になりつつあります。機械と機械の心理学の分野が確立され、人間と機械の主客が逆転した。私が関わっている臨床心理学は古典的な領域です。ある意味、骨董に近い。
山本 最近はモノよりもコトを優先する人が増えたような気がします。しかし、それは逆に人間関係を希薄にしている。情報交換するにもお金がかかる。
下川 それで通信料金を安くしなさいと政府が言い出した。
山本 骨董品は贅沢品だと言われますが、これからは哲学や心理学的な思想を持つこと自体が贅沢なことになるかもしれません。
下川 思考すること自体が贅沢になる。生活に追われている人は経済的な活動できないので骨董どころではないですね。

       

(2) 骨董取集の変容

山本 骨董が無くならないように、骨董的な臨床心理学も無くならないと思うのですがどうでしょう?
下川 そうですね。古いモノを好きな人は多いですから。資本主義の世界はモノの世界です。ただ、臨床心理学の一部は歴史学になる可能性もあります。実際に臨床に関わっているのとは違う。
山本 それは美術品を所有することと美術館や博物館に行って有名な美術品を見ることの違いに似ていますね。
下川 そうですね。美術品は所有してみないと理解できない部分がある。偽物や骨董品を高値で買わされたりすることは美術館では体験できません。自分のテリトリーにあるモノがある意味、人格を形成しますから。
山本 下川先生が臨床進路に関わっていて、どのような部分に変化が起きたと感じますか?
下川 一番大きな変化は心理状態の変化のスピードが速まったということです。ポケベルが携帯電話、スマホに変わる速度と同じように心の状態にも変化が起きる。流行のように社会状況によっても人の心も変化します。
山本 骨董業界もインターネット、スマホの登場によって営業形態が大きく変わりました。
下川 ヤフオクやメルカリが出てきた。
山本 一番大きく変わったのは、自分が外に出なくても機械の操作で物が買えることです。これは肉体、運動機能の低下につながる。現在、各国でテレビゲーム依存症の問題が取りざたされていますが、ゲーム依存症の人はエコノミー症候群などに陥っています。重症化する都市にも至る。
下川 ジムやトライアスロンが流行しているのはその反動です。
山本 若い人たちは機械に囲まれているので、肉体への欲求が強まっているのでしょう。
下川 肉体が物理的なモノだとすると、実感を欲しがっているのは確かですね。日本の場合、生活必需品は十分あるのでモノがなくて死ぬことはない。AKB48に限らず、アイドルも数で勝負しています。むしろ、モノ余りだ(笑)。
山本 昔は人同士の接触が普通に行われていたので、肉体の在りかもわかりやすかった。しかし、フェイスブックやユーチューブが出てくると、映像優先の世界が出現し、人間関係が希薄になった。
下川 心理的な病にはさまざまな理由が考えられますが、そのほとんどは人間関係から発生した問題です。ネグレクトや親子関係の問題、会社での人間関係で病む人が多い。映像優先の社会現象になってもそれは変わらない。スマホの文字映像で相手を追い詰める。
山本 ネットでいじめをする人は、機械の向こうに生の人間がいることを意識しませんね。
下川 パソコンやスマホでは直に人間を傷つける感覚は体感できません。目の前に相手がいると泣くといった反応を見て、感情も巻き起こるがスマホでは……。
山本 ネットの登場で生き方や趣味に変化が起こり、使用法も個別化してきた。SNSを社会的な情報機器として捉える人と、個人的に使用する人の2極化が起きた。最近、美術にあまり興味はないのに話題になっているから、美術館に行ってみようという人が増えました。ムンク展などは凄く混雑していて作品を鑑賞などできない。反対にそのような人込みを避け、ネットで自分の趣味を究めつつある人もいます。
下川 どのような形で極めているのですか?
山本 東京美術倶楽部で毎日、業者市があるのですが、そこで取り扱われている商品のほとんどがすでにブランド化された商品です。だから、ブランド化されなかった商品は倶楽部では扱われない。ところがヤフオクなどを見ると、ブランド化されなくても面白い商品に出合うことができます。ブランド化された商品は価格だけ、経済的な要素だけがピックアップされるので骨董屋としては面白くない。ヤフオクで探すと1000円、2000円で面白い物がたくさん出品されている。
下川 商品の露出度が拡大すると、面白い物に出合える確率も高くなったとうことですか?
山本 そうです。ただ、その面白さを体験するには個性と独自の情報取得が必要となってきます。自己満足の世界ですが、群れを成して時間を過ぎすよりも充実度が高い。
下川 先ほど人間と機械の連結が哲学的な思想を形成しているという話をしましたが、現在は機械と情報が哲学的な世界を形成しつつあるのではないかと思います。だから、ロボットにも心、という話になる。
山本 私は骨董屋ですがパソコンやスマホをいじっている時、ある意味、職業的な骨董機械、ロボットになっているのかもしれません。

       

(3) 骨董品をモノとしてみるかどうか

山本 骨董品は生活には不用、贅沢品と言われますが、いつまでたっても無くなりません。ロシアや中国などの共産主義の国は骨董品を贅沢品として破壊しました。自分たちが破壊しておいて、今頃、日本に買い戻し来るのだから不思議ですね。
下川 共産主義の国は毎年、労働者が生産するモノが大切だと考えていました。蓄積の概念を排除したので、贅沢品は人民の敵となって破壊された。現在、中国は共産主義を標榜していますが、骨董品を欲しがるのだから完全に資本主義国家ですね。
山本 共産主義の国は、一時、科学を優先して宗教や心理学的を排除しました。それなのに科学的に資本主義陣営に敗北した。それで中国は鄧小平が資本主義を取り入れ、国が豊かになった。
下川 共産主義自体が一種の宗教なのですが、資本主義社会との違いは個人がモノを所有するか、国家がモノを所有するかの違いです。骨董品を買って所有するか、美術館に行って鑑賞だけするかの違いに近い。
山本 先ほどから骨董品は贅沢だという話をしましたが新しく創作した美術品の方が骨董品よりも高価な場合があります。人件費や経費を加算しないといけないから、骨董品よりも高くなる。うまく購入すれば、新品よりも質が良いものが買えます。特に漆器や細かな絵付けをした陶磁器などは骨董品と新品の価格差が大きい。そのように考えると、労働者の生産を中心に考えた共産主義は、生産コストの経費が高くついていた可能性があります。中国などは体制が変わると、体制の都合で前時代の蓄積を破壊します。これも経費がかかってしまう。
下川 社会が不安定だと集団ヒステリーが起きます。そのような社会では破壊衝動は起こってもリサイクルの概念は生まれない。
山本 そうですね。日本の江戸時代は安定していたからモノが蓄積され、それが逆に社会に安定をもたらしました。日本人は伊勢神宮の遷宮のように新しく作り替える者もある一方、生活用品もリサイクルしますからモノが蓄積されていく。それで日本には骨董品がたくさん残っている。ただ、先ほども言ったようにブランド化されていないモノは注目されません。人間はブランド化されたモノに惹かれる傾向があるのでしょうか?
下川 ブランドの良さは品質が保証されている点にあります。日本人には箱書きに弱い、茶道の文化もありますから……。
山本 大企業の株といったところですかね。しかし、それだけでは社会は活性化しません。マザーズやジャスダックも必要だ。
下川 蓄積の話をしましたが、臨床心理学の場合、症例がたくさんあるほど診察も楽です。これは法学とよく似ています。症例は情報の蓄積だから、逆にそれとは違う部分を考察すればよい。それが臨床心理学を進化させる。
山本 そう考えると臨床心理学も骨董界も何らかの蓄積があって進化しているのですね。
下川 私たちが現在、行っている治療は将来の事例には当てはまらないかもしれませんが、過去の症例はその時点の症例と比較することができるので役立ちます。
山本 骨董の世界で、過去に何がもてはやされたかを考察すると現在の流行が見えるのと同じですね。十数年前はたこ唐草ブームだったけれど、それも一息ついて価格も大幅に下落した。
下川 たこ唐草の皿自体は変わっていないのですが、それを取り巻く社会や経済状況が変わった。価値観や情報が時代と共に変化したということです。
山本 過去にブランド品を所有して満足するバブルのような時代がありましたが、情報機器の発達によって価値観も大きく変わりました。ある程度のモノは何とかすれば入手できる。嗜好が個別化、骨董品を所有することよりも、それに携わること自体に価値観が生まれ始めているような気がします。
下川 高価でなくても時代や社会、モノとの関係性で満足が得られるということですね。
山本 「環境が人間を作る」と言いますが、購入した骨董品が取集家の個性を形成するようです。
下川 その人が持っているモノや環境を見ると、ある程度のことはわかります。それを最近はАIが分析、情報化している。ネットを見ると、勝手に私の嗜好品が表示されます。
山本 骨董だけではなく、どのジャンルにも当てはまりますね。自然でも良いのですが、モノと関係していることで人格が形成される。人の嗜好がデータ化されて、自分では無意識に行っていることも顕在化する。
下川 我々の社会からテクノロジーが消えてなくなることはないので、これからは人間が蓄積した思想やモノ、新しく作られたモノとつき合うのが面白いと思います。新しいモノやデータだけでは味気ない。
山本 今回も以前と同様、骨董と心理学とテクノロジーが混ざったぐちゃぐちゃな話になりましたが、いかがだったでしょう。いつも私が話し過ぎる、もっと下川先生の話を聞きたいというリクエストがあるのでこれから質問がある方は直接、下川先生に聞いてください。ありがとうございました。

       

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