山本 今年も下川先生をお招きして骨董と心理学のお話を聞くことになりました。よろしく、お願いします。下川先生が骨董講座のトークに登場して6年が立ちました。毎回、「時のたつのは早い」と言っていますが、本当に早いですね。
下川 本当には早いですね。
山本 最近、日本での出生する新生児の数が100万人を割っています(2016年から)。1973年、団塊ジュニアの新生児数が200万ですから半分になっている。それと重なるように高齢者が40万人亡くなり、日本では人口の自然減、少子高齢化が始まりました。これらの問題を解決するためにAIやロボット、バイオテクノロジーによる補助、介護も話題になっています。人間は道具や機械を使用しますが、心理学的視点から見ると現在はどのような状況なのでしょう?
下川 心理学は哲学から発生したものなので、人間の存在の研究をしてきました。ところがAIやロボット、バイオテクノロジーに補助してもらう時代になると、人間だけの研究をすればよいのかという問題が出てきます。人が考えるのではなくАIが考えたり、人が自力で動くのではなく、ロボットの力を借りて動くのですから。
山本 ロボットに心があるのかという問題ですね。正月にロボットに人の心を導入させるというドラマ「マリオ~АIのゆくえ」をNHKでやっていました。
下川 ドラマにもなるのですから、AIなどが社会に深く浸透していることがわかります。私が行っているのは心理学でも臨床心理の領域です。これはフロイトが発明した古典的な治療法の一つ。私が学生だった時代はパソコンもネットもなかったので、古典的な領域の勉強をすればよかった。しかし、最近はテクノロジーの領域が拡大したので、心理学とテクノロッジ―を融合されるような分野も登場した。先ほどの「ロボットに心はあるか」という領域ですね。
山本 我々は鉄腕アトムやマジンガーZで育った世代ですが、それが現実化するとは考えていなかった。
下川 100年前の人は飛行機やテレビが発明されると思っていなかったけど、それが現実化した。ですから、50年後には人間とロボットが共生する時代は到来するはずです。その時はロボット心理学の領域も確立されているでしょう。
山本 最近、上野の国立科学博物館で「日本を変えた千の技術展」が開催されていました。これを見ると我々はいかに多くの道具、機会に囲まれて生活して来たかわかります。
下川 古代から人間は道具を発明しながら生活していました。人間と動物の違いは道具を発達させるかどうかです。他の動物も道具を使いますが、それを改良、発達させることはない。
山本 そうであるならば人間の心は道具と共に発展したと考えられます。人間は道具を発展させるから、人間になった。
下川 古代ギリシャ時代も道具や機械はあったのですが、哲学者たちは道具や機械の影響を排除して、純粋に「人間とは何か」を考えた。この時代は思考する人だけが人間で、奴隷は機械だと考えた。
山本 人も道具なのですね。それをいうと私たちはGАFAの奴隷になりつつあります(笑)。
下川 機械論には①機械は人間の使用する道具としてみなす、②人間を機械と見なす、③人間と機械の関係で世界を分析する3つの理論があります。②の提唱者はルネ・デカルトですが、彼が登場してから物理学が発展した。だから、現在の心理学は物理学的要素が強い。
山本 心の動きもエネルギーとして考える。20世前半、人間と機械が一体化するような思想、シュールリアリズムやフューチャリズムが登場します。それが1970年頃から流行して、ドゥールーズ・ガタリが人気を博しました。「人間は機械を使用する時、機械に支配され、機械人間になっている」という発想です。
下川 人間と機械やロボットの関係性を問うだけなら問題はないのですが、最近はロボットや機械の心理学の方が主流になりつつあります。機械と機械の心理学の分野が確立され、人間と機械の主客が逆転した。私が関わっている臨床心理学は古典的な領域です。ある意味、骨董に近い。
山本 最近はモノよりもコトを優先する人が増えたような気がします。しかし、それは逆に人間関係を希薄にしている。情報交換するにもお金がかかる。
下川 それで通信料金を安くしなさいと政府が言い出した。
山本 骨董品は贅沢品だと言われますが、これからは哲学や心理学的な思想を持つこと自体が贅沢なことになるかもしれません。
下川 思考すること自体が贅沢になる。生活に追われている人は経済的な活動できないので骨董どころではないですね。
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