このページは2018年11月3日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。 |
第52回 キルトとパッチワーク、手仕事
(1) 布の日本史 |
明日、井荻会館でキルト作家の黒羽志寿子先生、てまり教室を主宰する安部梨花さん、奥菜穂さんが行うトークショー「キルト、てまり、現代美術」の司会を私がすることになりました。3人とも女性手芸家ですが、私自身は手芸、特に染織、衣装に興味がないので、この際、キルトや染織のことを勉強しようと思って、今回の骨董講座は「キルト、パッチワーク、ボロ」としました。専門家ではないので自分の体験を通して感じた染織、手芸論を展開しようと思います。 |
(2) 糸、染織の日本史
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「布」は自然界から採取した材料で糸を作り、加工したものです。
自然界から得られる繊維には麻、綿などの植物性繊維とウールなどの動物繊維、蚕などの虫を利用した絹のような繊維があります。
ウールや麻のように短い繊維はまとめて捩じり、長い糸にします。また、絹のような長い糸は複数を捩り撚り合わせることによって強度を増します。
生産された糸を自然界の染料を使ってそめることを「染織」と呼びますが、染織と染色を分ける基準は、①まったく染めない、②糸を染めてから織る(先染め)、③布地を織ってから染める(後染め)です。②では色糸の配置を計算して織り上げることで、様々な模様を織り出すことができます(錦、絣、西陣織、博多織など)。縞や格子模様も、先染めによって実現されます。後染めは、染めていない糸で織り上げた織物(白生地)を、染料に浸けたり、型紙や筆などを用いて捺染する(更紗、友禅染など)方法。江戸初期頃までは着物は公家や武家の上流階級しか着用できませんでした。中期頃から「ひいながた」(雛型)と呼ばれる、今のデザイン・カタログにあたるものが作られ、富裕な商人・町人層にも着物は広がります。延宝元年(1673年)、日本橋の越後屋が「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」、「小裂何程にても売ります(切り売り)」などの商法で従来の呉服業界の常識をうち破り大成功を収めた話は有名ですね。また、現在では当たり前になっている正札販売を世界で初めて実現したのも越後屋です。 |
(3) キルト、パッチワーク、てまり作りの世界
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キルトは表地と裏地の間に薄い綿を入れ、重ねた状態で刺し縫い(キルティング)した物です。
日本では他色の布を縫い合わせたパッチワークキルトが主流となっています。
キルトは布をパッチワークして作品化する手芸で既製品の布が主な材料ですが、一方のテマリシャスさんは自分で糸を始めるところから作品作りが始まる。
日本におけるてまりの起源は16世紀にあると言われています。てまりの発展も綿製品が流行し始めた時期と一緒なので、意外と外来文化の影響を受けているのかもしれません。 |
(4) 失われつつある手仕事
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20世紀に入るとレーヨン(1885年)、テトロン(ポリエステル系)、ナイロン(1938年、ポリアミド系)、ビニロン(1950年、クラレ)などの化学繊維が実用化されました。
レーヨンは絹に似せて作った人工繊維で、石油を原料としたポリエステルなどと違って加工処理した後、埋めると土に還ります。 |