このページは2018年2月3日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。

第45回 古美術と社会学シリーズ⑤ 「日本人の平面的感性の歴史と現代」
(1) 若者のスマホ使用の実態

昨年11月の骨董講座「心理学的に 骨董病とは何か」で、スマホ、タブレット端末を幼児が長時間使用すると問題が起こる可能性があることを指摘しました。幼少期は①形をとらえる②物の動きを追う③いろんな距離に焦点を合わせる④立体的に物を認識する、などの目の能力が育つ時期ですが、スマホなどの使用は視神経や立体感の発達を妨げる原因となると考えられます。また、幼児が物や感覚をとらえる時、見る、触ると同時に母親とのコミニケーションが大切ですが、視覚の刺激ばかりでは、言語と物の関係性を的確に認知できない可能性も発生します。
近年、ネットオークションやインスタグラムを使うホームページ販売など、スマホ、タブレットの使用頻度が増えています。ネット販売を利用しない人は「古美術品などは実際に見ないと雰囲気が把握できない」と言って敬遠しますが、現実には利用頻度は増えています。
仙遊洞でもホームページによる通信販をしていますが、現在のところ、タブレット端末で見た古美術品に対するクレームはありません。これは仙遊洞の通信販売を利用するお客様は平面画面で見る商品のイメージを立体的に見る感覚を備えているからだと考えられます。長年、古美術品に接していなければ平面から立体感を感知する能力は獲得できません。そのような行動に慣れていない人は、偽物を買わされる可能性が大です。
スマホやタブレットが一般に普及した現在、平面から立体感を構築する能力の有無がIТ機器を使うことのできる分岐点になっています。そのような感覚はかつては絵画、ポスター、写真から喚起されていました。時代をさかのぼるとスマホ、タブレット、テレビ、写真、ポスター、絵画、軸、絵巻物、装飾画、壁画が平面的媒体であることがわかります。

2000年以降、パソコンやスマホが一般に普及しましたが、世代によって使用頻度が異なっています。あるアンケート調査によると60歳以上は4割の人がパソコンを持っていません。また、若者はパソコンよりもスマホを使用していることが判明しています。面白いのは、「最近の大学生はスマホばかり触っているので、パソコンのワードなどを使う使用頻度が減り、論文を書くことができなくなった」という記事がありました。技術も進み過ぎると、他方で問題を起こすようです。問題は、若者たちがスマホを活用することを失っている感覚があることを認識しているかどうかです。町を見渡すと若者は、電車の中、カフェ、公園など様々な場所でスマホをやっています。スマホに集中すればするほど、外部環境の感覚は認知できません。それが酷くなるとネット依存症になるでしょう。
幼児にスマホを持たせると五感が発達しないと同じように、若者の過剰なスマホ使用が五感が退化を招いていることは確実です。スマホをする時間と五感を使う時間のバランスが大切なのですが、物心ついた時からスマホを使用しているので、それに気づく若者は少ないでしょう。
ちなみに、10代の若者は小遣いの半分をスマホ代に使っているというアンケート結果があります。20代になると就職して収入が増えるので割合は減り、飲食代がアップしますが、食事中でもスマホを使用している若者のスマホへの依存度が高いことが分かります。
古美術商をしていると、若者たちは古美術品よりも雑貨に強い興味を示します。時代や生産地に興味はなく、自分の感性に合ったフェッションアイテムを探している。
これは時間観、歴史観の喪失にもつながっています。スマホだけの情報で培われた感性では、体感、体験的な部分が成長しません。古美術品に限らず、人とのコミニケーションを取るには五感を使う必要があるのですが、それが退化すると他者とのコミニケーションが取り辛くなるでしょう。

     

(2) 雑誌の時代

パソコンが発売されたのは、1970年代末。当時のパソコンは1代100万円以上したので、すぐに普及しませんでした。2000年代に入るとパソコンの価格も下がったので一般的になり、骨董業界もネットオークションの時代に入りました。以前、私は「骨董講座第20回・古美術の社会学Ⅱ」で情報媒体と古美術の関係について話しました。興味にある方は、それを参照にしてください。
私が骨董に興味を持ち、職業にしようと考えたのは1980年代後半、バブル経済の時期でした。以前は高値だった中国の古美術品が日本に流入するようになり、価格が下がって買いやすくなった時代です。中国の古美術品は憧れの的だったので1996年に香港がイギリスから中国に返還されるまで、私は夢中で中国古美術の収集をしました。当時をふりかえると古美術の情報を得る手段は「小さな蕾」、「目の眼」、「別冊太陽」、「有楽」などの古美術雑誌で、それらの雑誌で情報を収集していました。
2000年頃、小泉首相が登場するとIТバブルが発生、日本経済は好況期を迎えます。ネットオークションも始まり、屋内の大型骨董市、神社などの露店市が最盛期で多数の商品が流通していました。あの頃は、新発見の骨董のジャンルや新しい流行が生まれて面白かったですね。この時期はまだ骨董商が、体感的に流通業と関わっていた。当時、出版社から「古美術品の特集をするので協力をしてほしい」という依頼がたくさんあったことを覚えています。骨董市の拡大とともに古美術雑誌も出版されていました。テレビ東京が「何でも鑑定団」を放送を始めて、骨董品の価値が一般の人にも認知されるようになったのも、この時期です。
日本で雑誌の販売数が拡大をし始めたのは1970年代。「団塊の世代」はプレイボーイ、平凡パンチ、ポパイなどを読んで最新の流行を追い求めていました。「団塊の世代」の骨董屋さんが新しい商品を求めて地方に向かったのも、この頃で、従来の古美術品の価値観とは違う伊万里焼、民芸品に注目が集まります。1970年代に地方から大量の若者が大都市圏に流入したのですが、彼らが東京圏に住み着き、骨董業界に活気をもたらしたのです。
現在の若者と「団塊の世代」の20代を比べると感性や感覚が大きく違います。「団塊の世代」の一部はエネルギッシュで身体を張って旧体制に反抗(全共闘運動)しました。彼らはアメリカが主張する価値観を簡単に受け入れなかった。全共闘運動には大学のシステムを崩壊させたなどの弊害もありますが、情報過多で、闘争心の退化した現代の若者と比べると健全だったような気がします。現代の若者はスマホから流される情報のほとんどがアメリカ主導であることを認識していないでしょう。彼らは広告会社やテレビ局が一方的に発信する文化を素直に信奉しています。これでは昔から日本にある文化財、古美術品に興味を持てないのも当たり前。歴女や仏女が出現し、パワースポットと呼ばれる神社などに出かける若者もいますが、これも資本主義が作った一つのブーム。アニメの舞台までが聖地と呼ばれている。これでは、完全に広告会社の餌食です。
これまで話してきたことをまとめてみましょう。

①現在の若者はスマホ、タブレット端末に依存しているので五感を使うような立体的な情報取得が苦手で、平面的、画一的な情報取得しかできない。
②偏った情報を偏重する傾向があるので、多数決のような状態が生まれ、個性的な情報発信ができない。その結果、個性に沿った生活ができない。
③価値観が一元化し、多様性が無いので若者の感性は老化傾向にある。

「団塊の世代」の時代は映画、新聞、テレビ、雑誌、書物が情報取得の手段でした。 次の「谷間の世代」にはビデオが、「イチゴ世代」にはパソコン、現代の若者はスマホです。 問題は情報機器をどのように組み合わせて活用するか、それと五感をどのように共存させ、機能させるかですが、年配の方と若者はその使用方法に限界があるようです。

             

(3) いつから日本人は平面的な思考に陥ったか

現在、日本人は6つの文字(ひらがな、カタカナ、漢字、数字、アルファベット、絵文字)を使用しています。 それは視覚言語であり、音声表記ではありません。それを使用する日本人は情報取得の際、視覚的を使うのですが、そのような傾向が顕著になったのは、18世紀後半、江戸で出版業が盛んなり、人々が文字情報と接するようになった田沼時代だと考えられます。 この時代、江戸は世界でも珍しい出版都市でした。フランスでフランス革命が起こったことを翌年、江戸の人たちは知っていた。 ペリーが浦賀に来た時も同様。物見遊山気分で、江戸の庶民が黒船を見物に行ったと言われています。
18世紀後半、江戸では「浮世絵」、「黄表紙(庶民の読み物)」、「各種の番付表」が売り出されて人々の注目を集めました。 反幕府、キリスト教以外の本を自由に出版させていたのですから、幕府の政策も見上げたものです。 また、大名に義務付けられていた参勤交代が、江戸の文化(出版物)を地方に運ぶ役割を果たしました。
19世紀、江戸土産として泥絵という名所・風景画が売り出されます。これは蘭画に詳しかった平賀源内の企画だったと言われています。 地方から江戸に来た武士は江戸土産に泥絵や浮世絵、書物を持ち帰った。それが地方でも再生産されます。 京焼には本物を写した「本歌取り(今でいうコピー商品)」がありますが、それは各地に窯場でも行われています。 現在のように偽物を意図してつくるのとは違う。18世紀から19世紀の江戸の出版流通業が、日本人の情報取得の感性の基礎を形成したと言えるでしょう。 これは明治時代の近代化の基礎にもなります。
江戸時代、庶民の情報源は町人の噂などでしたが、明治時代になると国家が情報管理を行います。それに対抗するために自由民権運動や大正デモクラシーも出現します。 しかし、昭和時代初期になると日本経済は疲弊したので政府の情報統制が激しさを増し、大本営発表に至ります。
太平洋戦争で敗戦すると、日本人は大本営の代わりにGHQの情報統制下に置かれました。この時期から、メディアを支配することが社会をコントロールする時代に入りました。 日本は1951年に独立しますが、現在も日本の情報統制はアメリカが行っています。ロッキード事件などを見れば、それが理解できるでしょう。

そのような体制に反抗したのが、1960年と1969年の学生運動でした。当時の大学生は「日米安保条約」に反対し、大きな社会運動を起こします。 彼らは政府の一方的な情報を信じなかった。団塊の世代は、古美術の世界でも新しい価値観(伊万里や民芸品への注目)を見出します。 しかし、1980年代になると学生運動も下火になり、日本人は資本主義を信奉する経済優先主義者になります。 そのピークがバブル経済の時代、そこでアメリカの情報統制が完成した。それ以降、日本人は拝金主義になります。 「何でも鑑定団」は、「何でもお金」を象徴するテレビ番組です。
2000年代に入りインターネットが普及すると骨董品の評価が一様になります。新しい古美術の領域が無くなったのと同時に、骨董品と雑貨の垣根も消えます。 その頃からネットオークションで高値が付くものが良品とされ、値がつかない物は価値が無いように考えられてるようになりました。 それで、ネットオークション上に高値が付くもののコピー商品が大量に出品されるようになった。 コピーですから値段は本物の数十分の一から数分の一ですが、落札者はそれを模倣品と知らず落札します。 特に伊万里焼、そば猪口の模倣品は精巧で、プロの骨董商でも真贋の見分けがつかない商品が多数、出品されています。
これまでの話をまとめると、情報の発信元は、江戸→出版業者→地方、明治新政
府→新聞社→国民、アメリカ→広告代理店→国民、アメリカ→スマホ→個人、インターネット→利用者→個人に変わっています。 骨董の世界でいうと、恐ろしのは目の利かない古美術商(プロ)の情報、言葉を信用することです。気を付けてください。
現在、アメリカと北朝鮮が対立しています。これはイデオロギーや価値観を巡る対立です。 経済大国のアメリカは貧乏な国が自己主張するのを嫌います。これはアメリカが拝金主義であることを物語っている。 「金がない国は発言するな」という価値観です。そのようなアメリカに追随しているのですから、そろそろ日本の文化レベルも底が見えてきました。 何でも金で買えると勘違いしている。かつては、深みもあったのですがね……。

             

(4) 感性、感覚の立体化が必要

感性や感覚が老化現象を起こす原因の一つに行動や思考の画一化があります。パターン化された行動、思考は運動機能、知的活動を停滞させ多様性を失わせます。現在、スマホ、タブレット端末に依存しがちな若者は、その傾向が強いことをお話しました。それでは感性や感覚の退化や老化を防ぐにはどうのようにすればよいか。答えは五感や身体機能の活動に多様性を持たせることです。行動のパターン化を防ぐということ。
運動しない人がこれまで行ったことのない運動を始めたり、行ったことのないコンサートなどに行くことが重要です。団塊の世代はフォークソングではなく、ヒップホップのコンサートに行けばよい。それは今まで知らなかった世界との意識的な進出は重要な行動です。
「型どおり」という言葉がありますが、それは日本人の平面的思考を表してる言葉です。かつての日本人は型通りの思考や仕草を模倣し、それを定形化することを文化だと考えていました。しかし、世界がグローバル化し、流動する現在社会において、型通りの行動は感性や感覚の機能低下、現実社会との隔離を生む原因となります。また、価値観が多様化した現代では、文化の定型化は他者とのコミニケーションを阻害する可能性も出ます。昭和時代は「型どおり」行動しておけば良かったのですが、型がない現代、そのようなことをすると非現実な行為と映るでしょう。すでに企業も「型どおり」ではなくなったようです。
たまには自分の趣味を逸脱して、他のジャンルに関心を持って刺激を受けましょう。スマホ、パソコン、ビデオ、テレビ、映画、ラジオ、新聞、雑誌、書籍などを使いこなし、それと五感、運動能力を組み合わせて機能させることが大切。これは古美術取集の方法にも当てはまります。インターネットやスマホが普及する以前ならば、自分の型を決めていても(こだわりを持っていても)、他人とコミニケーションを取ることができました。しかし、そのような時代は終わりを告げた。これからは物と物、物と人、人と人の関係性を重視し、個別に対応する行動が有効になると思います。こだわりがあっても良いのですが、それは個人的な趣味でとどめておいた方が無難です。唐津焼や李朝趣味、魯山人、酒器収集もほどほどにしておかないと、他の趣味人に嫌がられます。
1970年代は流通の時代でした。空間がどんどん外に広がり、人類は月にまで到達した。しかし、現在、空間的フロンティアは消滅し、人類のテリトリーが決定した感もあります。そのような状況の中、人間の関心は内面に向かった。外部の空間性を追い求めるよりも、人の内面性の探索、まさに「インターネット」の時代が始まった。
一部の人はこのような社会的状況に適応できていません。対人コミニケーションが難しくなっているのは、新しい人間関係の理念が認識されていないからだと思います。過去の価値観やSNSから受け取る情報だけで、関係が成立するほど人間関係は単純ではありません。それを認識しなければ、いつまでたっても偏狭な価値観から抜け出すことはできないでしょう。ツールばかりが発達して、中身がないのが問題なのです。また、常にフロンティアを求めるアメリカ人が作ったデジタル情報機器をそのまま日本人の感性に適応させるのにも無理があります。日本人は古代から自然と共に共存してきた国民なので、アメリカ人の未来志向だけでは生きていけません。日本にはアメリカにはない古い歴史があり、ビックマックやコカ・コーラを食べながら、寿司や刺し身も食べます。アメリカ人のスマート、クールと日本人の粋が違うことを認識する必要があるでしょう。茶道などは五感を使った芸術なので(型通りではなく)、自分なりにその精神を生活の中にとりれると楽しいですよ。「温故知新」ですね。
毎日、デジタル情報機器に囲まれて生活していては疲れてしまう。そのような時は民芸品や手作り感のある骨董品を使って食事をしてみませんか。骨董講座なので、最後は「日本特有の民芸品の土着性に触れ、有機野菜を使った田舎料理でも食べて癒されてください」という場面で終わりにしたいと思います。

         

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