このページは2016年5月14日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。
ゲスト 下川昭夫 (首都大学東京 人文科学・人間科学専攻心理学・臨床心理学教室教授)

第28回 ゲスト・トーク 「骨董カウンセリング」 心理学者・下川昭夫
(1) 個性と無個性

山本 今年で下川先生を迎えて3回目の心理学を活用した骨董講座です。このようなことは、他の骨董屋さんでは行われていません。3回目となると、内容がヒートアップしますが、よろしく。前回、「受講生からせっかくゲストの下川先生を招いているのに、山本さん、しゃべり過ぎ」とのクレームがありました。今回は、最初に私がさらっと話をして、残り時間は下川先生と各受講生の会話、それから雑談という形式にします。
今回のテーマは「骨董カウンセリング」、皆で骨董収集とは何かを話し合う会です。会が終わった後、なるほど他の人はこのよう価値観を持って骨董を収集していたのか、骨董にはこのような接し方があったのかと感じていただければ幸いです。
数年前に「人それぞれ」という言葉が流行しました。私はこの表現を聞くたびに不快感を覚えました。こちらの話を聞いても「それは人それぞれ」と会話を締めくくる言動に腹が立ち、「人それぞれ」ならば、「私の話など聞かずに最初から勝手にしれば良いじゃないか」と感じていました。最近は「人それぞれ」という言葉も使われなくなり、あれは流行語だったのだなと思っています。当時、私は自己主張の強い会話をしていたのかなと反省もしましたが、「人それぞれ」と表現する人と、しない人がいて、今になって思い返せば「人それぞれ」を言う人に限って無個性な人が多く、自分の意見があるようなふりをしていたのだなと気づきました。他人の価値観を認めることのできる人は、会話で新しい価値観を見出そうとします。内容に耳を傾け、疑問があれば質問しますが、相手の会話が理解できない人の場合、「人それぞれ」で会話を打ち切ります。「人それぞれ」を使う人は、「あなたの言いたいことは理解したが、私の意見は違う」ということを言いたかったのでしょうが、会話の内容を理解しようとする気がないのであれば、共通点は見つけることができません。「人それぞれ」が流行していた時代、無個性な人は自分の意見がない、そのことにコンプレックスを持っていたというのが私の分析ですが、どうでしょう?
下川 「人それぞれ」が流行していたのは、インターネットが拡大し始めた時期で、皆、ホームページやブログを使って自分を表現することに夢中でした。全員が表現者だったので、表現の内容に差異を見せるために、「人それぞれ」を使っていたのではないでしょうか。
山本 現在は違う?
下川 ネットの表現手段も出尽くし、あまり目新しさも感じないので「人それぞれ」の時代も終わったのでしょう。それより少し前の時代、「自分らしさ」という言葉が流行しました。日本人全体が差異を求めていた時代ですが、いつのまにか「差異」の価値観はなくなってしまったのですね。
山本 そういえば、2000年頃までは団塊の世代のパターン柄の唐草信仰が強く、皆、同じ物を求めていました。それがインターンットの拡散で変わった。
下川 あの時代は、財力もある団塊の世代のお客様が主役でした。その後の世代から個性の差異に価値観が移った。
山本 インターネットの「ヤフー・オークション」などで商品が買えうようになると、人前で購買するパフィーマンスも必要なくなったので、実際に個性化が確立したのでしょう。
下川 無いものねだりですね。志賀直哉の「小僧の神様」では、すしを食べさせてくれた人が神様に見える。毎日、回転ずしですしを食べていたら、有難味は減少します。
山本 確かに「ヤフオク」の拡大とともに、「人それぞれ」と言わなくなったような気がします。それで今日のテーマ、「骨董カウンセリング」、今回はフロイト型のカウンセリングではなく、ユング型のクライアントとカウンセラーが平等の立場で骨董を読み解く講座にしたいと思います。ですから、毎回、行っている私が講師となって話をすることはやめます。今回は聞く立場に立たず、自由に発言してください。

         

(2) 受講生のAさんの話

山本 Aさんが骨董に興味を持ったきっかけは何だったのですか?
 私が骨董に興味を持ったきっかけは数年間、アメリカに滞在した時、「日本文化とは何だろう」と感じたことです。海外に行くと、今まで自分が育ってきた環境とは違うので日本が客観的に見られるようになり、日本文化に興味を持ちました。アメリカは新興国なので歴史が浅く、古い骨董品はありません。日本に帰るとアメリカが国として成立していない時期、日本人は美しい伊万里焼を作っています。
山本 アメリカが独立した頃、日本では唐草模様が流行していますね。
 それで日本に帰国した後、伊万里焼を集めるようになった。
山本 唐草ですか?
 そう、花唐草。あの頃、雑誌を見ると、その雑誌も伊万里特集をやっていた。そこに「唐草」模様は日本を代表する柄だと書いてあった。
山本 唐草はイスラムから輸入されたもので、日本人はそれをコピーしているだけなのですが……。
 それでも、花唐草は美しいなと思った。
山本 今はどうですか。
 今でも美しいと思います。
下川 心理学に「刷り込み作用」がありますが、一度、刷り込まれた記憶はなかなか消えません。最初に花唐草が美しいと感じられたことは好いことですね。そもそも、骨董という言葉を聞いて拒否反応を示す人も多いですから。
山本 悪印象の刷り込みですか?
下川 戦後、日本は勝者のアメリカ文化を受け入れました。アメリカは何でも新しい物に価値を見出す国ですから、日本人も古い物の価値観を排除した。
山本 日本が敗戦国になったのは骨董のせい?
下川 体制自体が骨董のようだった、封建主義で家長制。それで負けたら、古い価値観は否定されるでしょう。
山本 骨董品は歴史や土着性があるから面白いのですがね。
下川 それは土着性から離れた人の価値観で、土着性に強い地域で暮らしている人は、それを面白いとは感じない。
 東京には土着性がないのでしょうか?
下川 浅草など下町に住んでいる地元の人には土着性がありますが、山手線の外側に住んでいる人は土着性が薄いですね。逆に杉並区や世田谷区より外部になると土着性が強くなる。立川辺りには土地持ちの大きな農家がたくさん残っています。
 東京も住む地域によって好みの傾向が違うのですね。
下川 西荻は土着性の強弱が入り混じった町です。古い東京も荻窪側に残っているし、新しい価値観は吉祥寺側にある。
山本 インターネットの登場で、「地域制は関係なくなった」という話がありますが?
下川 それはインターネットの内側だけの話です。外部環境を考慮に入れないと、話にならない。
 ネットが拡散してから、地域格差が広がったという話もあります。
下川 全員が同じ情報を共有できるようになれば、差異的な情報は地域の環境からしか得られません。ネットで得た情報は道具として使用するには有効ですが、情報取得はただの消費です。
山本 東京ではいつでも良質な展覧会を見ることができますが、地方では難しい。
下川 常時、良質な展覧会を見ている人と、見ることのできない地域の人の文化レベルには格差が出ます。
山本 インターネットが拡大しても情報取得は平等にはならない。
 住む場所で文化レベルが変わるのですね。地方で骨董講座などを毎月、行っている骨董屋はいないでしょうね。
下川 西荻だからできる。
山本 皆さん、東京に住んでいるメリットを活かして、展覧会に足を運びましょう。
 そうします。

       

(3) 受講生Bさんの話

 私が骨董に興味を持ったのは、昔から家に古い物があったからです。
山本 どのような物があったのですか?
 私の祖先は某藩の藩士でした。明治時代に入っても、東京で藩関係の仕事についていた。昔は殿様が藩士にいろいろな物を下賜してくれ、それが家にあって、これは何だろうと考えているうちに骨董に興味がわいた。
山本 僕と下川先生は広島市出身なので原爆で町が破壊され、古いものが残っていません。僕の場合はAさんと同じ経緯で骨董に興味を持ったのですが、Bさんがうらやましいですね。
 私の場合は田舎がないから、田舎がある人がうらやましい。
 住む地域によって文化の接した方も違う。
下川 骨董に興味を持つ人の大半は環境の影響を受けています。「家に骨董品があった」か「外国に住んで骨董に興味を持った」かのどちらかです。
山本 土着的か、土着性から離れて興味を持つかのどちらかだ。
下川 京都の人は町中に寺院があるので、東京の人ほど仏教美術に興味を示しません。
山本 無いものねだりが人を刺激するのですかね?
下川 原動力になることは確かです。それが逆に過度なコンプレックスになると病気になる。
 良家の子女が不良になることもある。
下川 人間は憧れや目標があると楽です。能力があっても、自分が何をして良いかわからない人も多いですから。
山本 僕やAさんは外国に行って日本文化に対する欲求を持った。帰国したかったのかな?
下川 人間には再帰性があります。問題が起こると、もう一度、ニュートラルな地点まで戻って自分を取り戻そうとします。それができない人は病気になる。
山本 どのような?
下川 病気の種類は個人によって違いますが、うつ病などです。
山本 うつ病の人は再帰性がない?
下川 ある時点で現実的な世界に戻れなくなる。
 どのような場合?
下川 最近、脳内物質の研究が進んでいて、過剰に出すぎても病気になるし、出なくても病気になることがわかってきました。そのバランスが崩れると、自分の置かれている状況を客観的に見られなくなります。正常な人は理想と現実の違い区別できるけれど、異常な人は妄想の世界に入って現実的な生活ができなくなる。
 いつまでも精神年齢が低い人がいますが?
下川 精神年齢は社会経験の有無で決まります。若くても社会に出ている人間の精神年齢は高い。
山本 自立が関係している?
下川 関係ある。学生は親に保護されている存在ですが、社会人は自分の責任で物事を処理しなけばなりません。それが社会的経験になる。モラトリアムな価値観は現実社会では通用しません。
山本 十数年前、骨董ブームが起きた時、素人のおばさんたちが骨董業界に入って骨董屋を始めた。そのような骨董屋は皆、つぶれてしまった。理想と現実の区別がつかなかったのですかね。
下川 古い骨董屋さんに騙されたのでしょう。骨董屋になると楽しいよって。
 現在、いつまで経っても親元から離れることができないニートと呼ばれる人たちがいますね。
下川 ニートは家庭の価値観から離脱できない人たちです。理由は様々ですが、ほとんどが自分の理想と現実のギャップを埋められない人たちです。
山本 なぜ、ニートのような存在が生まれるのかな?
下川 経済的に余裕があるからでしょう。昔は働かなければ食っていけなかったけれど、今は親が食わせてくれる。
山本 親が子供の自立を邪魔する場合もあるよね。
下川 親が子供に自分の老後の介護をさせたいと思っている場合がある。
 親子で相互的に利用をしようと考えているのね。
下川 介護のことを考えると、ニートの存在も無視できません、いずれ、誰でも老人になれば介護の必要です。問題は育った家庭の価値観と社会的価値観のバランスを取ることですかね。

       

(4) 他者の価値観を

 私の場合は環境に左右されて、骨董に興味を持ったわけではありません。カルチャーセンターで勉強する感覚で骨董に興味を持ちました。
山本 うちがカルチャーセンターに見える。
 見えないけれど、話が面白いから来ています。
下川 山本の話はわかり辛いだろう。よく、聞けるね。
 半分は何を言っているか、わからないけれど、何かを熱心に伝えようとしているので……。
下川 優しいな〜(笑)
山本 下川先生の授業、大学生たちは理解しているの?
下川 僕は理論的に話をするから。
 下川さんの話、わかり易いもの。
山本 Aさん、僕の話、わかり難いですか?
 何を言っているかわからないけれど、一所懸命、話しているなといつも見ている。
山本 聞いているのじゃなくて、見ているのか。
下川 大学は法人だから規則があるけれど、山本は個人経営だから何を話しても問題は起こらない。ある意味、自由なのだ。
山本 アウトローということね。
 それが面白いのよ。
下川 今日は「個性と無個性」、「土着性」、「虚構と現実」などの話をしたけれど、内側か外側に分けるのではなく、境界線上にいる存在も大切なのだ。そうでなと、アカデミズムはいつまで経っても前進しない。
山本 二元論ではなく、関係が大切ということ?
下川 個性を求めすぎると共通の観念が希薄になるし、共通の価値観ばかり求めていると個性がなくなる。要はバランス。僕が通っている大学がある地域は新興住宅街なのだけど、人のつながりが希薄なのだ。それで町内会長さんに、どうしたら人のつながりができるか相談された。
山本 それで?
下川 地域コミニティを作るには様々な方法があるけれど、一番、大切なのはその街に住んでいる人が誇りを持てるかどうかなのだ。浅草に住んでいる人は自分の地域に誇りを持っている。
 都下の新興住宅地では、それが簡単ではないよね。
下川 それは今まで日本人が、街づくりをする時、東京の真似をしたから問題があった。東京を真似した結果、日本中、東京をコピーしたような街が出現した。東京は地域によって雰囲気も違うし、環境も違うからや多様性があるけれど、多様性のない地方が真似をしても表面的な街しかできない。
 アメリカは住民が街づくりに参加しているわよ。
下川 そうでないと移民の国は成り立たないから。日本人は何となく、お互いが共通する価値観を持っているという幻想にとらわれています。物も情報も不足していた時代であれば仕方がないが、現在は物も情報も溢れて価値観が多様化している時代ですから、そろそろ日本人も隣の人は自分とは違う価値観の持ち主であることに気づかないと。
山本 慣習が廃れたということ。
下川 京都や浅草では慣習を守れば良いが、新興住宅街では様々な価値観を持っている人が住んでいるので、新しい共通概念を作らないと、いつまで経っても誇りが持てない。
 隣に住んでいる人の価値観がわからなくてもコミュニケーションを取らなければ何も始まらないということですね。
下川 山本の話が理解できなくても、ここに参加してコミュニケーションをとることが大切なのだ。
山本 最後に骨董に話に戻してよ。
下川 差異的な個性化の時代は終わった。これからは骨董品を所有する満足観だけにとらわれず、他者とのコミュニケーションによって、「自分はなぜ骨董品を集めているのか」という哲学的な問いを考察することが重要になってくる。「持っているだけでは意味がなく、それをどう利用するか」が問題なのだ。それはインターネット内の情報所得も同じ。
山本 趣味の違う人と、どのようなコミュニケーションをとって楽しめるかだ。趣味の違う人が、この場に集まって会話をしているから面白い。これからも半分、理解できない講座を続けますのでよろしく。

(終わり)

       

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