山本 今年で下川先生を迎えて3回目の心理学を活用した骨董講座です。このようなことは、他の骨董屋さんでは行われていません。3回目となると、内容がヒートアップしますが、よろしく。前回、「受講生からせっかくゲストの下川先生を招いているのに、山本さん、しゃべり過ぎ」とのクレームがありました。今回は、最初に私がさらっと話をして、残り時間は下川先生と各受講生の会話、それから雑談という形式にします。
今回のテーマは「骨董カウンセリング」、皆で骨董収集とは何かを話し合う会です。会が終わった後、なるほど他の人はこのよう価値観を持って骨董を収集していたのか、骨董にはこのような接し方があったのかと感じていただければ幸いです。
数年前に「人それぞれ」という言葉が流行しました。私はこの表現を聞くたびに不快感を覚えました。こちらの話を聞いても「それは人それぞれ」と会話を締めくくる言動に腹が立ち、「人それぞれ」ならば、「私の話など聞かずに最初から勝手にしれば良いじゃないか」と感じていました。最近は「人それぞれ」という言葉も使われなくなり、あれは流行語だったのだなと思っています。当時、私は自己主張の強い会話をしていたのかなと反省もしましたが、「人それぞれ」と表現する人と、しない人がいて、今になって思い返せば「人それぞれ」を言う人に限って無個性な人が多く、自分の意見があるようなふりをしていたのだなと気づきました。他人の価値観を認めることのできる人は、会話で新しい価値観を見出そうとします。内容に耳を傾け、疑問があれば質問しますが、相手の会話が理解できない人の場合、「人それぞれ」で会話を打ち切ります。「人それぞれ」を使う人は、「あなたの言いたいことは理解したが、私の意見は違う」ということを言いたかったのでしょうが、会話の内容を理解しようとする気がないのであれば、共通点は見つけることができません。「人それぞれ」が流行していた時代、無個性な人は自分の意見がない、そのことにコンプレックスを持っていたというのが私の分析ですが、どうでしょう?
下川 「人それぞれ」が流行していたのは、インターネットが拡大し始めた時期で、皆、ホームページやブログを使って自分を表現することに夢中でした。全員が表現者だったので、表現の内容に差異を見せるために、「人それぞれ」を使っていたのではないでしょうか。
山本 現在は違う?
下川 ネットの表現手段も出尽くし、あまり目新しさも感じないので「人それぞれ」の時代も終わったのでしょう。それより少し前の時代、「自分らしさ」という言葉が流行しました。日本人全体が差異を求めていた時代ですが、いつのまにか「差異」の価値観はなくなってしまったのですね。
山本 そういえば、2000年頃までは団塊の世代のパターン柄の唐草信仰が強く、皆、同じ物を求めていました。それがインターンットの拡散で変わった。
下川 あの時代は、財力もある団塊の世代のお客様が主役でした。その後の世代から個性の差異に価値観が移った。
山本 インターネットの「ヤフー・オークション」などで商品が買えうようになると、人前で購買するパフィーマンスも必要なくなったので、実際に個性化が確立したのでしょう。
下川 無いものねだりですね。志賀直哉の「小僧の神様」では、すしを食べさせてくれた人が神様に見える。毎日、回転ずしですしを食べていたら、有難味は減少します。
山本 確かに「ヤフオク」の拡大とともに、「人それぞれ」と言わなくなったような気がします。それで今日のテーマ、「骨董カウンセリング」、今回はフロイト型のカウンセリングではなく、ユング型のクライアントとカウンセラーが平等の立場で骨董を読み解く講座にしたいと思います。ですから、毎回、行っている私が講師となって話をすることはやめます。今回は聞く立場に立たず、自由に発言してください。
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