このページは2015年7月4日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。

第20回 「古美術品の社会学U 古美術、メディア、サブ・カルチャー」
(1) 近頃の若者は……

現代美術評論家の椹木野依さんが、この春、「後美術」という評論集を出しました。その本の中で彼は、「後美術」という美術や音楽などの既成のジャンルの破壊、交流から生み出される新しい芸術理論を語っています。ジョン・レノンとオノ・ヨーコのコンセプトが新しい芸術の地平を開くと……。ですが、これは禁じ手の論法。私は昔、李禹煥先生から「小説家の中上健二が美術評論をやりたがっているが、専門ではない領域には踏み込まない方が好いと忠告した」という話を聞きました。中上の現代美術評論を聞きたい気もしますが、それをしないからこそ中上は小説家として信用される。古美術商を長年やっていると、他の領域、人のことには口をはさまない方が好いことを実感します。
しかし、椹木野依さんがこの本を書いた気持ちは理解できる。現代、芸術は既成概念で語ることができなくなってしまった。クラシック音楽は地味な会場でもコンサートができますが、商業音楽は最新の映像・ライティング・音響技術を使った派手な演出をしないと盛り上がらない。コンサート会場にスクリーンがあって、そこにイメージ映像が流れるのは当たり前。商業音楽は音だけで成り立たたないのです。個人の存在をテクノロジーが越えてしまったのでしょう。如月ミクちゃんのようなバーチャルな存在でも盛り上がることができる。M・フーコーが「人間は死んだ」という意味が身にしみます。
既成概念が崩れた原因は@テクノロジー技術が進んだ。A人口構造が変わった。Bインターネットなど情報機器の発達によって人の感覚が変わった、などの要因で考察できます。
老人が「近頃の若者は……」と言いますが、テクノロジー発達の影響で世代間の感覚の格差が広がった。音楽業界のメガヒットがなくなったように、古美術品の権威もスタイルも崩壊し、消費できるなら「何でもあり」の世界になった。模倣品の氾濫によって古美術商自身が戸惑っている。最近の収集塚は模倣品を買って満足する傾向もあります。
現象学の時代が去り、流行(潮流)がなくなったのでしょうか?それを三浦純さんの「マイ・ブーム」という言葉が現代社会を象徴している。
前回の骨董講座「古美術と経済(骨董講座欄を参照ください)」で、明治時代以降、古美術界では大名道具、茶道具、絵画、六古窯の壺、伊万里焼、レトロな骨董品、シャビーな雑貨ブームがあったことを話しました。武士の世から帝国主義、帝国主義から民主主義に時代が移行し、現代はテクノロジー主義の時代。そのうち、アンチエイジングで老人と子供の区別ができなくなるかもしれません。
ところで江戸時代中期、世界的に見ても日本は出版業の発展した国でした。日本人の識字率は驚異的な数字です(江戸で7割)。寺子屋教育のおかげです。識字率が高いおかげで、情報も「かわら版」から仕入れることができた。「鎖国」という言葉に惑わされがちですが、江戸に住んでいる人々は同時代にフランス革命が起こり、ナポレオンが英雄であったことを知っていました。「鎖国」と言っても出入国を禁止していただけで、情報は長崎を通してオランダ、中国から大量に入っていた。「初物食い」に象徴されるように、日本人は昔から新しもの好きなので新しい情報にすぐに飛びつく。それを出版元が和風に変え、お咎めを受けない程度にソフィスケートして発信していた。たまに蔦屋のように捕まることもありましたが、「蛮社の獄」まで文化的には自由だったようです。角度を変えて明治維新をみると、「庶民の情報開示の欲求」が倒幕をさせたことがわかります。
明治時代にはいると自由民権運動の頃から新聞社が出現、近代的な情報が国民に流布するようになりました。それが昭和時代前期にラジオ、映画、中期にテレビ、雑誌、平成時代にインターネットなど、テクノロジーの発達とともに変化します。
今回の講座では昭和時代以降、古美術の世界にマスコミ(情報)がどのような影響を与えたかを考察します。

           

(2) ラジオ、映画の時代(昭和時代前期)

エジソンの発明したキネトスコープをフランス人のリュミエール兄弟が改良、スクリーンに投影するシネマトグラフを発明したのが1894年、日清戦争の時代です。
「工場の出口」という短編映画を見て、人々はとても驚いた。当時、映画で機関車が映し出されると、人々はスクリーンに映し出された機関車に轢かれると思ってパニックになったそうです。日本でスクリーン上映が行われたのは1897年の京都、リュミエール兄弟の発明から3年後。好奇心の強い日本人の新しいもの好きがわかります。1903年、浅草に「電気館」という映画館ができ、日露戦争に時代には日本軍もニュースフィルム(203高地など)を撮影しています。NHKで放送された「映像の20世紀・第1集」を見ると、当時の映像をみることができます。まさに20世紀は映像とともに始まった時代でした。
1920年、歌舞伎上演を行っていた松竹が松竹キネマ合名会社を設立、本格的な映画時代が始まります。それまで舞台を楽しんでいた日本人が、それを映画で見るようになった。
この時期、日本は第一次世界大戦の好景気に沸き、古美術品の売買も盛んでした。好景気は財閥を生み、財界人たちは古美術収集に励みます。それが財界人のステータスだった。大陸に進出した日本人が中国の古美術品収集を始めた、海外で「山中商会」が活躍した時代です。
1910年頃、白樺派と呼ばれる文化人が雑誌「白樺」を発刊、西洋美術を紹介しました。日本人は西洋美術に触れ、新しい美術の創作を始めます。同時代、美術の世界では「民芸運動」が始まっています。近代化への反動が、そのような運動を出現させたのでしょう。1914年、「少年倶楽部」が発行されています。
ラジオの通信放送実験が成功したのは1906年のアメリカです。1920年、商業化され、公共放送が始まります。日本では1925年、社団法人東京放送局(NHK東京ラジオ第1放送)が発足、ラジオ放送が始まりました。ちなみに1880年代後半、発明された録音、レコード技術が映画と結びついて「トーキー映画」となったのは、この時期です。
映画やラジオ、雑誌の出現によって日本人は海外情報を取得し、モダンな世界に触れました。現在、吹きガラスなど、レトロ感覚がもてはやされて人気です。西洋のモダニズムと取り入れた部分が懐かしさを誘うのでしょう。日本のデザインは西洋と同じようにモダンです。
日本にマスコミが定着したのは、昭和時代初期。マスコミと古美術の関係を時代別に考察すると、古美術品の傾向が分かります。

昭和時代初期  大衆文化(サラリーマン文化)の出現と財界人による古美術収集
昭和20年代  女性解放による茶道、華道の流行、映画の時代
昭和30年代  「太陽族」の出現、テレビの時代、六古窯などの流行
昭和40年代  デパートの時代、作家物の流行
昭和50年代  雑誌の時代、伊万里焼の流行
昭和60年代  バブル経済の時代、ブランド品の流行
平成10年代  骨董市の時代、ガラスなどレトロな商品(大正、昭和時代初期)の流行
平成20年代  インターネットの時代、シャビーな商品の流行

戦後の婦人の地位向上は、美術的にも女性の解放を意味しました。結婚前の娘さんが教養のために茶道、華道を習うようになった。これには善し悪しがあり、良い面は封建的な茶道、華道が解放され、女性も和風文化に触れることができるようになった。悪い面は茶道、華道だけが和風文化だと勘違いして、封建的な部分を女性たちが維持するようになった、です。
戦後すぐは生活費を稼ぐためにお金持ちが古美術品を放出したので、商品が豊富になりましたが、昭和30年代になると商品が枯渇します。そこで古美術商が目を付けたのが六古窯の壺です。昭和30年代前後は黒沢明、小津安二郎、木下恵介が活躍した映画の時代ですが、黒沢明の泥臭い映画を見ていると、六古窯が流行した理由が何となく理解できます。泥臭さが似ている。黒沢監督は古美術品が好きで映画の中にも、本物の古美術品を使っています。昨年、ミホ・ミュージアムで行われた「根来展」にも、黒沢監督の収集品が出品されていました。一方、小津の映画はデパートで買う作家物を大切にしていた。小津監督もこだわる人で、時代を象徴する小物を使っています。

             

(3) テレビ、雑誌の時代

昭和30年代、大衆的なアメリカ文化に触れた青年たちが封建体制を嫌う、反社会的な「太陽族」を形成します。J・ディーンの映画やE・プレスリーのロックが流行し、この時期、日本のサブ・カルチャー文化が始まりました。私の母親はプレスリーを聴きながら、茶道を習っていたそうです。
昭和34年、皇太子(今上天皇)の御成婚が中継され、テレビの時代が始まりました。映画とテレビの違いは情報取得の速さの違いにあります。テレビだと、その日、起こったことがタイムリーに伝わる。ケネディ暗殺もテレビで放送されて社会に衝撃を与えました。浅間山荘事件もテレビ中継された。
昭和40年代後半になると、団塊の世代の若者が社会に出て働くようになり、伊万里焼と民芸品など、自分たちに見合った古美術品を探すようになりました。現在、伊万里焼はりっぱな古美術品になっていますが、当時、そば猪口などは雑器扱いでした。スーパーが出現し、流通革命が起こったのも、この時代です。
昭和50年代は雑誌の時代。古美術に関する「小さな蕾」、「目の眼」などが、あいついで創刊されました。サブ・カルチャーでも雇用が創出できるようになった。
特筆すべきは「モノマガジ」ンなどのカタログ雑誌が出現したことです。通信販売が行われるようになり、日本人は現物を見なくても、商品を購入するようになります。「古美術品を買う時は実際に店に行って、現物を見なければ」という方がいますが、今はネットで商品を買う人も多く、時代が変わったと感じます。
昭和60年代はバブル経済の時代。金余り現象が起こり、ブランド品が飛ぶように売れた時代。日本人は世界中の美術品を買いまくった。ヨーロッパから、里帰りと呼ばれる柿右衛門、薩摩焼などが日本に逆輸入されます。当時は、どのような古美術品でも高価でした。
1990年になるとバブル経済が弾け、日本経済は不況に陥ります。それでも古美術品の値段は高かった。東京ベイエリアの倉庫には、80年代後半、日本人が買った世界中の美術品が眠っていました。この頃、「なんでも鑑定団」が始まり、現在でも人気です。同時に古美術品を特集する雑誌(伊万里焼を生活に取り入れるスタイルブック)も相次いで発刊され、それを読んだ主婦たちが伊万里焼などの食器を購入、生活の中で使用するようになります。古美術雑誌やスタイルブックが教師の役割を果たしていた。この時期、主婦が伊万里焼の購買層だったので家族のために5枚揃いで伊万焼を買った。現在は5枚揃いで買う人は稀です。
2000年代になると、インターネットの発達によって流通形態が大きく変わります。スマートフォンの普及によって、さらに進化した。スマートフォンなどの液晶に慣れた若者たちは、古美術品の中でも手作り感のある商品を求めています。世代的に好みをあげると、
70〜80代 茶道具・六古壺     60代 伊万里焼、民芸品
40代〜50代 レトロな商品     30代 シャビーな新感覚骨董品
と、なります。

           

(4) インターネットの時代

インターネットは20世紀に登場した映像、雑誌、音源をミックスしたメディアです。
インターネットの拡散で変わったことは、
[1] 実物を見なくても商品を購入する人が増えた。
[2] 古美術商と話さなくても、商品を購入ができるようになった。
[3] ホームページで日本各地の人が商品を見ることができるようになった。
[4] ネット用の模倣品の数が圧倒的に増えた。
[5] オークションなどで作家物などの価格がオープンになり、価格が暴落した。
[6] 世代間の好みがはっきりして、収集の傾向が変わった。
[7] 古美術商がホームページで模倣品を売っていることが判明した。
[8] 収集家が真贋を昔ほど言わなくなり、オークションで模倣品を満足して買う時代になった。
[9] ネット上で見栄えのする商品に人気が集中するようになった。
[10] 店に来るお客様と、ネットだけのお客様に分かれた。

各項の問題点を挙げるとすれば
[1] 画面上だけでは、質感、手取り、大きさなど、実物の感覚がつかめない。
[2] 目の利かない古美術商の商品説明を信じると、間違った商品を購入することになる。
[3] ネット・オークションは競り時間、手続きが面倒なので疲れる。
[4] 画面受けする模倣品が出回るようになった。
[5] オークションの値段が、美術品の価値だと勘違いする人がいる。
[6] 世代間のコミニケーションが取れなくなった。
[7] 古美術商の信用が失墜した。
[8] 真贋の意味をめぐって混乱が起こった。
[9] 地味な備前焼などに目がいかなくなった。
[10] 商品の説明不足が生じるようになった。

これは、2015年時点での話。将来、テクノロジーの発達に伴って、古美術品の価値観がい大きく変わることは確実です。そのきっかけは、
[1] 人口減少による社会構造、人の嗜好の変化
[2] テクノロジー(3Dプリンター)などによる技術革新。
[3] 人間と機械の共存による役割の変化、でしょう。
先週、20代の4割の若者が「恋人はいらない」と答えたというニュースが流れていました。理由は「一人のほうが楽だから」、「他人に気を使うのに疲れるから」、「趣味に没頭したいから」でした。それを見ていると、若者が人とのふれ合いに疎いことが把握できます。黒沢明の暑苦しい人物や寅さんのようにおせっかいな人物が活躍した社会はもう来ないのでしょうか。ふれ合いがあるとしても、クールで距離を置いた人つき合いを若者は求めている?
最後に、日本人の感性がコンパクト指向だという話をして終わりにします。1980年代に韓国の李御寧さんが「縮み構造」で、「日本人はなぜ小さきものが好きなのか」と解説しています。これはとても面白い本です。
日本人は小さくてかわいいものが好きなのです。本の中で、李さんは石川啄木の「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」と取り上げて説明を行っています。歌は「東海」、「小島」、「磯」、「蟹とたわむる」の順番に世界が縮まっていく。それを古美術で例えると、「別荘の居間の机にただ一人 われ悦に入り 唐津盃とたわむる」でしょうか。
日本人はそば猪口、ぐい飲み、まめ皿が好きです。小さいものが大好きな日本人。これからスマートフォンよりコンパクトな情報通信機器を開発するかもしれません。
(終わり)

           

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