このページは2013年11月2日(土)・9日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。 |
第2回 「伊万里の歴史」 (1) 伊万里焼の誕生 |
第二回骨董講座においでいただきましてありがとうございます。今回は伊万里にテーマを絞ってお話しさせていただきたいと思います。御存じのように、この講座は独断と偏見の講座なので、不明な事が多いと思います。疑問がありましたらティータイムの時、質問してください。
焼き物には陶器、b器と磁器があります。陶器は1000度以下、b器、磁器は1300度以上で焼かれるものだと考えればわかりやすいと思います。英語で磁器のことをポーセリン、あるいはチャイナと言います。磁器がチャイナと呼ばれるのは中国人が磁器を発明したからです。ちなみに漆器は英語でジャパンと言います。磁器をチャイナ、漆器をジャパンというのは、両国の特徴を表しています。 |
(2) 伊万里焼の誕生と展開 |
多くの陶磁器研究家は日本の磁器生産を朝鮮人陶工が始めたと考えています。もちろん、渡来した陶工の何人かが磁器を日本で生産したことは事実ですが、それは少量で日本の磁器史に影響を及ぼすほどではない。むしろ、彼らが影響を及ぼしたのは和製の茶陶で、そのほとんどは李朝の陶工によって作られたといっても過言ではありません。 |
(3) 江戸の食生活と伊万里焼 |
二十年前、骨董に興味を持った私は母の実家にある蔵に入って、骨董品漁りをしました。ほとんどの古物は祖父によって売り払われていたのですが、傷ついたそば猪口が数個、蔵の中に残っていました。18世紀後期の伊万里焼で、その時、私は伊万里焼が土地持ちの農民にも普及していたことを感じました。ちなみに私の母の実家は貫地谷と言います。女優の貫地谷しほりは私のはとこにあたります。仙遊洞ともども、しほりちゃんを応援してあげてください。余談でした。
江戸時代における時代様式の話をしておきましょう。伊万里の様式を大まかに区別すると、次のように8つに区分することができます。
時々、お客様から「伊万里焼の時代判定はどのように行うのですか?」という質問をいただきます。私は「その時代に流行した様式を覚えると時代が判定できます」と答えます。 |
(4) 伊万里焼の文様 |
現在の景徳鎮伊万里焼写しの氾濫から、二つのことが見えてきます。
伊万里焼にはさまざまなジャンルがあり、豊かな美的世界が広がっています。中国にはタコ唐草、花唐草、微塵唐草文様は存在しません。それは中国人に刺身を食べる文化がなかったからです。日本人は新鮮なナマ物を盛るために唐草文を選んだのです。
伊万里焼の良さは何かと訊ねられれば、私は「日本人女性の肌のような瑞々しさ」と答えます。外国から帰国して伊万里焼を見ると、しっとりとした女性の肌に再開した気持ちになります。その時、私は伊万里焼と日本人女性を結びつけ、「美しい日本人女性に囲まれて幸せだな」と感じます。伊万里焼は適度な湿気のある日本の風土から生まれた瑞々しい焼き物です。日本人女性の肌が美しいように、伊万里焼の肌も美しいのです。 |