このページは2015年6月6日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。 |
第19回 「古美術品の経済学」 (1) 明治時代の古美術界
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江戸時代、税は米や特産品など物納とインフラ整備などの労働で徴収されました。各藩は大坂に物品を送って換金したのですが、江戸時代後半になると、各藩は脱税のために偽の石高を申告して幕府の目を欺き、蓄財を始めます。欺くのが上手だった薩摩藩、長州藩などは幕末に雄藩として名を馳せます。一般的に江戸時代は税金の取り立てが厳しかったように考えられていますが、日本は脱税王国で、それが社会を発展させたことは確かです。 |
(2) 戦後の古美術界
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美術品の流出は激動期に起こります。1回目が明治維新、2回目が大正時代の成金景気崩壊、3回目が太平洋戦争の敗戦です。2回目は明治時代に没落した旧家、旧大名の品物が放出、敗戦後は財界、旧家から品物が流出しました。白洲正子さんが、「戦後、数年は優良な古美術品が市場に溢れていた」とエッセイなどに書いています。一般的な日本人は食うや食わずで、古美術品収集どころではありませんでした。 |
(3) 海外市場
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中国が改革開放に舵を切った1983年、中国人も市場経済が何かを理解するようになり、美術品の価値に気づきました。国内のインフラ整備で地中から古代の美術品が大量に発見され、村人たちの組織的な盗掘が始まります。それがバブル時代に日本に流入、価格を下落させ、それまで高根の花だった中国の古美術品が少し無理すれば購入できるようになった。1980年、600万くらいだった漢の緑釉の壺が盗掘の始まったバブル時代、50万円位に、大量に発掘されるようになった2000年頃、10万円になった。優品が手の届く金額で購入できるのですから、中国古陶磁ファンにとっては夢のような時代でした。現在では発掘が制限されているので、商品が不足がちで模造品が大量に出回っています。 |
(4) 日本人の美術品に対する感性
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先月、柳美里さんが発表した「貧乏の神様芥川賞作家困窮生活記」(2日発売、双葉社)が話題になっています。良い時は年収が1億円あったのに、現在は貧困生活を送っているという内容の本です。この中で、「日本に小説で食べていける人は30人しかいないだろう」と書いています。先日、友人の日本画家に会った時、「画廊で個展をやっても、絵なんか売れないのよ。今は挿絵を描いて生活している」と言っていました。日本で芸術家が食べていくのは大変なのですね。なぜ、このような状態になっているのか。分析すると次のようになります。
[1] 日本の美術市場は経済規模に比べて小さい。
日本には良い美術品があるのですが、日本人が海外のブランド品に弱いのと、移り気なせいで自国の美術品には目がいきません。逆に言うと、日本は安価に美術品を購入できる国だ、ということになります。私はそれに気づいて、骨董屋をやっています(笑)。経験上、古美術品が残っているのは日本とイギリスです。ですから、金本位制ではなく、古美術品本位制の私としては、ユーロよりポンドを信用しています。革命が起きる国は農本制の国。美術品など無用な人々が統治する政府は信用できません。貴族か農民かに二極化すると争いが起こる。少しはブルジョワジーがいた方が良いでしょう。 |