このページは2015年5月9日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。
ゲスト 下川昭夫 (首都大学東京 人文科学・人間科学専攻心理学・臨床心理学教室教授)

第18回 ゲスト・トーク 「古美術品収集のカウンセリング」 心理学者・下川昭夫
(1) 古美術品収集と恋愛

山本 前年に続いて、心理学者の下川先生に古美術品を収集する人の心理の解説してもらいます。今回は受講生の質問に先生が答える形で講座を進めたいと思います。よろしくお願いいたします。
下川 こちらこそ、よろしくお願いします。
山本 最初は私の質問から……。前回は古美術品収集と口唇期、肛門期、男根期の関係について話を聞きました。ぐい飲みや茶碗などは口唇期に関係が深い古美術品、それを箱に納める行為は肛門期的、それが社会的に認知されると男根期的的な美術品になると解説してもらいました。ぐい飲みについたシミなどを愛でる古美術家もいますが、それを汚いと感じる人もいます。
下川 ぐい飲みや茶碗は元々、生活用品です。我々が日頃、使っているものを箱に納めることはしませんが、箱に納めることによって2次的な意味合いが出て、それを他者が認めると社会性が生まれます。収集家は有名人が使った物などを有難がります。特定の人が使用した物を聖物化するのは宗教に近い。信じる人、愛する人を身近に感じたい。興味のない人にとってみれば、古美術品収集は不可思議な行為です。
山本 度を越して、骨董病になる人もいます。
下川 非日常的な状態を病気といいます。恋愛は非日常的な行為ですが、骨董収集もこれに近い。恋愛も古美術収集も対象に振り回され、自分を失うところから始まります。人は肛門期頃から自分をコントロールする訓練が始まります。病気になるとそれをどのように処理して良いかわからなくなる。恋愛にはさまざまな面、相手を所有したい気持ち、嫉妬、夢想……、複雑です。
山本 恋愛も古美術品収集もうまくいかない方が、より味わえませんか?
下川 無いものねだりですね。志賀直哉の「小僧の神様」では、すしを食べさせてくれた人が神様に見える。毎日、回転ずしですしを食べていたら、有難味は減少します。
 個人的に民芸品を収集していますが、民芸に興味のない人は、私の趣味は理解しがたい。恋愛と同じですね?
下川 あばたも笑窪です。自分の好きなジャンルを確立できている人は迷いがありませんが、問題は何を集めて良いかわからない人です。探している物が、いつまでたっても見つからない。自分の好みをはっきり認識しないと、外部との関係が築けません。
山本 お客様に「何をお探しですか?」と聞くと、「自分の好みのもの」と答える人がいます。私は答えようがない。初対面の客の好みなどわからないので、会話が成り立たない。
下川 最近は店での会話を面倒に感じる人もいます。
山本 そのような人はネットで買い物をすれば良いでしょう。通信情報が発達して、古美術品収集の住み分けが起こりました。客は以前のように古美術商に依存しなくなった。ネットでは会話は必要ありません。店はあくまで店主と会話を楽しむ場所だと思います。
下川 好みをはっきりさせていないと骨董屋は入り難いですね。
山本 恋愛も古美術品収集も個人的なものです、それにジャンルも広い。「私に合う物を探しています」と言われても……。古美術品を探すのは、結婚相手を探すことに似ています。自分の好みを持っている人の方が相手を探しやすい。
下川 日本人はブランドに弱いので、ブランドの偽物を購入します。妻よりも水商売のお姉さんの方に魅かれるみたいに。お姉さんは一時的な恋人になって、非日常を演出してくれるから、キャバクラが繁盛する(笑)。非日常を演出してくれる古美術品もそれに近いのでしょう。
山本 ただ、ある日、それが偽物だと気づくと白けてしまう。
下川 いつまでも気づかない人もいます。

         

(2) 自己満足とブランド品

山本 古美術品収集の世界では最初に出会った品物の真贋が、その後の収集に大きな影響を与える場合があります。最初に偽物を本物だと信じると、ずっと偽物を本物だと思ってしまう。その人に本物を見せると、これダメですね、と言う。
下川 ローレンツの刷り込みですね。初心者は幼児のようだから、勘違いすると、それが長い間、習慣となる。子供は父と母、2人の親に育てられますが、両親の価値観が違うと混乱します。
山本 子供の教育には夫婦の上下関係が決まっている方が良いということ?
下川 上下関係というよりも役割分担ですね。茶道の家元と家元の道具を作る職人みたいなもの。夫婦の間で教育する分担が決まっていた方が子供も迷いません。
山本 古美術商も得意と苦手なジャンルがあります。私の苦手なジャンルであれあば、友人の専門業者を紹介します。収集家の中には、古美術商はどのような分野も鑑定ができると考えている人がいますが間違いです。昔の骨董屋は何でも置いていたから、全部のジャンルに目が利くように見えた。これは古美術商に対する誤解です。
下川 地方の骨董屋には、品物の量はあるが面白いものが少ない。骨董屋に置いてある大量の日常品を見て、骨董屋が物知りだと勘違いする。
山本 そのような人は日用品目利きで、美術品の目利きとは違います。美術品と日用品、リサイクル品の区別ができない人が時々います。
下川 自分の好みを把握できない人ですね。
山本 水商売のお姉さんの言うことを本気にする人がいますが、これは目が利かない骨董屋のいうことを信じることと似ています。相手の言葉に酔ってしまう。
下川 その問題はなかなか難しい。本物を持っていても満足できない人もいるし、偽物でも信じて満足する人がいる。
山本 夢から覚めなければ幸せということ?
下川 覚めさせない方が良い、動機がはっきりしていない方がうまく行く場合もあるからね
山本 どのように?
下川 「何でも鑑定団」を見ていて、知らない方が幸せだった場面に出くわすでしょう。偽物だと言われて夢が覚めるよりも、本物だと信じていた方が幸せだ。趣味は自己満足度の世界ですから。
山本 古美術品に社会性を求める人が面倒臭いですね。だいたい、上から目線だ。
社会性を重要視して、趣味を見失っている人が多い。そのような人は箱書きが大切で、有名人が持っていた物を所持すると、自分が偉くなったような気になっている。
下川 自分の好みと社会的ブランドの区別をつけて古美術品を収集しないと混乱します。
山本 何でも区別することが大切なのだ。

           

(3) インターネットと世代の感性

山本 商品販売に限定商法があります。これは人の心理を利用した方法で、古美術品も希少性のあるものが持てはやされます。今はネットに出ていない物を探さないと商品にならない。最近、ブランド作家物の値段が暴落したけれど、あれは巷に作家物が溢れていることを皆が気付いたからです。
下川 作家物はたくさん残っているからな。情報を容易に入手できるようになると、いくら骨董屋が希少性をアピールしても、ネットに大量にアップされたら、客は骨董屋の言うことを聞かなくなる。
山本 最近の古美術商はセレクトした商品を整然と並べています。昔は古美術の情報が少なかったので雑然とした骨董屋や露天市に足を運んで品物を探していましたが、インターネットが発達して情報取得が容易になると、下調べをしてから買い物にいく。ネットがライブ感を消滅させた感がある。
下川 以前はその場で商品の購入を決断しなければならなかったが、今のネット・オークションは決断まで1週間の時間的余裕がありますからね。その間に気持ちの整理ができる。
山本 ネットを利用する若者としない年配の好みがはっきり変わってきたような気がします。若者は情報処理能力が年配の人より、希少性や価値、価格の決定の速度が早い。骨董屋が店で希少性をアピールしても、これネットで見た事あると若者は考える。
下川 若者はネットで情報収集をすると、それを所有した気持ちになるようですよ。
山本 情報と物は違うのですがね。体験的に言うと、所有して初めて理解できることもある。
 それで露店の雰囲気が依然と変わったのか。客は以前のように、我先にと露天に足を運ばなくなった。それに昔の骨董屋は店の中がぐちゃぐちゃで何があるかわからない面白さがあったが、最近はそのようなワクワク感がなくなった。
下川 若者はネットで買い物、年配の人は露天市を散策して商品を探す。商品の購入方法が二極化しているのですね。
山本 ネットは便利だけど、楽しさを消失させる部分があります。
下川 インターネットの発達は体験的な感性を鈍らます。情報を入手できるようになって、失ったものも大きい。
山本 物が溢れ過ぎているのじゃない?
下川 戦前生まれの人は物が不足していたから、物を大切にするけれど、若者は物を消費するものだと考えている。それから量はあるが、質に接することが難しい。社会の二極が叫ばれているけれど、多くの若者は質を選択する機会が失われているかもしれない。
山本 商品があふれているのが豊かさだと考えられていた時代はとっくに終わった。だからセレクトショップが出現した。茶道の家元ではないけれど、買い物の家元が出現した感じ。
下川 セレクトの家元。
山本 整然としたセレクトショップを見ていると、店主の好みがはっきりしているような感じがします。
下川 セレクトショップは商品よりも店主の感性を購入する店、観念的です。店主に感性に客は心酔する。
山本 うちは意識的に雑然とさせて、商品を客に選んでもらう構造にしている。
下川 店主と客のどちらかの感性に比重を置くのかも、店の個性によります。
 雑然とした骨董屋が少なくなったということは、店主の感性に依存する人が増えたということかしら?
下川 セレクトショップの店主は一定の顧客の確保を目指しています。たくさんの人を相手にしていない。
山本 確かに多くの商品を置いていると、リサイクルと美術品の区別のつかない面倒な客も入ってくる。
 以前は骨董品を買う時、迷っていたら、「一期一会、縁があったのだから逃さない方が良いよ」と骨董屋が声をかけて、客の迷いを払拭していた。今はそれが決まり文句にならない。
山本 ネットで調べてから、となる。ところで以前、団塊の世代は他人が持っている物と同じものを欲しがる傾向があったけれど、最近は人と違うものを欲しがる傾向が強いですね。
下川 客も店も好みをはっきりさせている。
山本 あらかじめ排除した住み分けだな。しかし、ネットの情報を中心は価値が一元的に見えるけれど……。
下川 実際、ネット依存症が問題になっている。いずれにせよ、何でも依存が過ぎると病気になります。

           

(4) 古美術に対する情熱

 買い物依存症になる人がいます。
下川 女性が買い物依存症に、男性はギャンブル依存症になる傾向があります。どちらもストレスが原因で、先進国では5パーセントの人が依存気味です。
山本 私は軽い過食症ですが、ストレスの多い現代社会で暮らす人は、何らかの精神障害を持っているのじゃないの?
下川 心理学医療が症状を作っていることもあります。大したこともないのに、薬を出して、それが一時、問題になった。
山本 薬を飲むことによって症状が悪化するのですね。経営のことを考えると、病院は病気の人が多いほど儲かります。逆に、年配の中には病気でもないのに、寂しさを紛らわせるために病院に行く人もいる。緊急性もないのに、救急車を呼ぶ人もいますね。以前、下川さんは古美術店で店主と話すこともストレス発散方法の一つだと言っていた。
下川 そうですね。居酒屋なども癒し場の一つです。
山本 ところで、最近、子供を育てる能力がないのに妊娠する若い女性が多いですね。この前、テレビで新生児の「養子」の番組をやっていた。
下川 子供作りは本能的なものですが、経済行為がともないます。計画的に家族経営をする人は別ですが、恋愛中、危機的な状況が生まれると、女性は無意識に妊娠して、男性の愛情を繋ぎとめようとする。それで、ますます状況が悪くなる。
山本 博打みたい。
下川 無計画な妊娠は一種のギャンブルです。
山本 ギャンブルをする人は現実性が乏しい?
下川 乏しい人が多い。
山本 古美術収集家の中に、目の効かない有名な骨董屋を信じて偽物コレクションをする人がいます。目が利かない収集家が、目は効かない骨董屋を支えている。それに地方の美術館などが、その偽物コレクションを展示するから、尚更、問題が大きくなる。
下川 火に油を注ぐ行為ですね。
山本 「赤信号、皆で渡れば怖くない」。偽物も多くの人が本物だと思えば、収集家は本物だと信じます。実際に、そば猪口の偽物が高額で取引されている実態を見ると驚きますよ。
下川 昔は軸の偽物が多かったが、今は伊万里か。
山本 時代とともに新しい偽物が出現します。
下川 100年経てば、偽物も本物に変わりますからね。
山本 古美術品の場合、偽物を買うのは経済的損失だけで済むが、医学の場合はそうはいかないでしょう。生死に関わる。群馬医大の手術の失敗はあきらかに、技術のない偽医者の過失。医者を信じたばかりに取り返しのつかないことになる。
下川 医者を選ぶにも目が利かないと問題が起こります。
 臨床心理の場合は、治療をしませんね。
下川 臨床医は患者から話を聞いて、病気の原因を探します。直すのは心療内科医です。
 ところで、下川先生はなぜ古美術品収集を始められたのですか?
下川 近代心理学は一神教世界を中心に体系が構築されているので論理的です。日本人は多神教なので、その理論が当てはまらない。シミやカケを愛でる日本人には不可解な部分があり、それに興味が出た。
山本 不可解だから面白い?
下川 骨董の価値や価格は自分で決めなければならない。趣味のない人には無用でも、それに価値を見出す人は大金を払う。なぜだろう、と考えたことが収集のきっかけでした。
山本 解明できました?
下川 解明できたことは、人は年齢によって趣味が変わるということです。ある時期、熱中していても、時期が過ぎると熱は冷める。熱が冷めた時、なぜ、自分はこのような壺に大金を出して買ったのだろうと、不可解になる。
山本 ある意味、不可解さを購入しているところがありますよね。
下川 奥さんとの恋愛期間が終わったから、他に熱中できるものを求めていたのかもしれない(笑)。
山本 代償行為?
下川 そうかもしれない。家族も時代とともに変質します。私は妻や子供と仲が良いのですが、彼らと同じように古美術品とも付き合っていこうと考えています。今日、皆様と接していると、久々に古美術に対する情熱が蘇りました。このような機会があれば、また呼んでください。
山本 こちらこそ、ありがとうございました。
(終わり)

           

上へ戻る