このページは2015年3月7日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。

第16回 「現代美術と古美術 岡本太郎・李禹煥・荒川修作」

(1) 作家の紹介

先月の骨董講座では日本画の歴史について話しました。今月は現代美術の作家を通して、古美術品との関わりを考えてみたいと思います。現代美術と骨董に関連があるのか?と思われる方もいらっしゃるでしょうが、皆様がなるほど、と感じてくだされば、講座は成功だと思います。まず、今回、取り上げる作家の紹介をします。

岡本太郎(1911年〜1996年)
神奈川県生まれ。1930年から40年までフランスで過ごし、抽象絵画運動、シュールリアリズム運動に関わる。第二次世界大戦後、日本で絵画・立体作品を制作するかたわら、縄文土器論や沖縄文化論を発表。雑誌やテレビなどのメディアにも積極的に出演。「芸術は爆発だ」というコピーが流行した。代表作は「太陽の塔」、「明日への神話」。フランス芸術文化勲章を受章。
作品の見られる美術館:岡本太郎記念館(渋谷区)、岡本太郎美術館(川崎市)、太陽の塔(吹田市千里・万博公園)

李禹煥(1936年〜)
大韓民国慶尚南道生まれ。学生時代に日本に渡航、日本大学で哲学を学ぶ。1970年代、日本に出現した「もの派」を理論的に主導、作ることよりも見せ方の方法論を確立させる。石と鉄板を組み合わせた立体作品、シンプルな点や線で構成された絵画作品がある。2014年、フランスのベルサイユ宮殿で半年にわたり大規模な個展を開催。代表作は「点より」、「線より」、「関係項」。フランス・レジオンドヌール勲章、日本・旭日小綬章。多摩美術大学名誉教授。
作品の見られる美術館:李禹煥美術館(安藤忠雄設計・岡山県直島)

荒川修作(1936年〜2010年)
名古屋生まれ。武蔵野美術学校中退後、1961年に渡米。詩人のマドリン・ヒギンズと出会い、以後、ニューヨークで共同制作を始める。1970年、ヴェネチア・ビエンナーレに「意味のメカニズム」を発表。物理学や化学的概念を取り入れたコンセプシャルな「図像絵画」を制作する。1980年代以降、建築・庭園にも取り組む。フランスの文芸シュバリエ勲章、紫綬褒章受章。1997年、日本人で初の個展を開催。
代表作は「意味のメカニズム」。
作品の見られる美術館:奈義町現代美術館(岡山県)、養老天命反転地(岐阜県)、三鷹天命反転住宅(東京都)

この中で李禹煥は私の大学の先生です。大学時代、先生に大変、お世話になりました。岡本太郎さんには1980年頃、新宿小田急百貨店で開催された個展でカタログにサインしてもらった思い出があります。そのサイン入りカタログは友人にプレゼントしたのですが、後で岡本さんはサインをしないことで有名、それは貴重品だと美術ファンから聞かされ、持っておけば良かったなと後悔しています。
荒川修作は最も好きな作家です。美学的にも体質的にも感性にフィットします。私は荒川修作と李先生の影響を受けて、骨董屋をやっています。荒川の方法論を利用して時間の本質を探っている。現代美術が空間性を追求するのであれば、私は時間相を含む古物を手掛かりに、「時間とは何か」を追求しています。。古美術と現代美術に密接な関係があると言うと驚かれるかもしれませんが、この講座を聞き終えて、皆さんが納得されたら。この講座は成功です。三人の美術館があるので訪れてみてください。

           

(2) 現代美術と古美術との比較

岡本太郎の作品とプリミティブアート

それぞれの作家のキーワードを設定します。岡本太郎はプリミティブ、李禹煥は道教・禅宗、荒川修作は修験道、身体的モダニズムがキーワードです。
ご存じのように岡本太郎は、「芸術は爆発だ」のキャッチフレーズで有名。論客でもある岡本は縄文文化や沖縄文化についての評論も書いています。岡本は美を土着的で民俗的なエネルギーから発するものだと考えました。彼は1970年の日本万国博覧会で「太陽の塔」を制作すると同時に世界の民族品を政府に収集させました。その時、集められた収集品が現在、大阪国立民族学博物館に展示されていますが、誰も第三世界に目を向けていない時代、その重要性に気づいていた岡本は天才と言えます。岡本が民俗学に注目したのはフランス滞在中で、デュルケームの甥にあたるマルセル・モースという有名な先生に民俗学を学んでいます。
岡本はフランスに渡航後も「なぜ、自分は絵を描くのか?」と迷っていました。それに終止符を打ってくれたのがピカソの作品との出会いでした。彼はピカソを超えるために、絵画制作に打ち込みます。ピカソのキュウビズム作品はアフリカ彫刻などの影響を受けて制作されました。それが後に岡本芸術を目覚めさせます。
第二次世界大戦が始まると岡本は日本に帰国、従軍した後、終戦を迎えると「戦後の絵画は岡本太郎から始まる」宣言をして、新しい絵画の制作に取り組み、社会的な階級闘争に関する絵画を発表します。その頃、岡本は共産党に入党することを求められますが断っています。
1951年、岡本は縄文土器と出会い、衝撃を受け、民俗学的な作品を作るようになりました。ピカソがアフリカ美術からインスピレーションを受けたように、岡本は縄文土器からインスピレーションを受けたのです。その後、彼は敬愛する宗教学者ミルチャ・エリアーデ(シャーマニズム、神話の研究で有名)の理論を応用しながら作品を制作しました。代表的な「太陽の塔」の赤いジグザグはエリアーデの著作に記されている「シャーマンの木」の7つ、あるいは9つの刻み目であることが指摘されています。日本風に言うと、それは神社で使用される御幣に似ています。エリアーデはシャーマニズムの本質は憑依ではなく、脱魂(エクスタシー)だと説いている。
我々は良い古美術品を入手した時、恍惚感を得ます。骨董病と呼ばれる病気の本質も、憧れていた物を獲得したエクスタシー(脱魂)と言えるでしょう。

           

李禹煥と道教・禅宗

李禹煥は最後の文人画家、ストイックな作家だと言われています。私は学生時代、女の子のお尻ばかりを追いかけていたので、ストイックな先生の教えについていけなかったことを覚えています。最近はストイックなイメージの先生も快楽主義者であることを知って、ホッとしています。これは秘密(笑)。
李禹煥の作品は道教的で、禅宗的です。先生は「もの派」という美術運動を主導したのですが、「もの派」は作品を作るというより、物と物を組み合わせた時に発生する空気、関係性に注目させるような手法を使っています。先生は石と鉄板、ガラスと石などを組み合わせて作品を提示しています。「もの派」について知りたければ、現在、東京都現代美術館で菅木志雄展が開催されていつので行ってください。「もの派」が何か、理解できるでしょう。
李先生は歴史、哲学、芸術にとても詳しい人でした。先生の歴史好きの影響を受けて、私は骨董屋になりました。ある日、「現代を知るにはどうすれば良いですか」と質問すると、「宇宙や地球、生命や人類の歴史をすべて勉強すれば、現代が何か理解できる」と答えてくれました。それから、ずっと歴史の勉強をするために古美術商をしています。
李禹煥は「最後の文人」と言われていますが、先生は「物心ついた時には、筆を握っていた」と言っていました。
李先生に、「出会いを求めて」という評論集があります。先生の芸術的主題は、本質的な人や物との出会いです。作品を見ると異質な物と物が組み合わさって、不思議な緊張感を醸し出していることを感じることができます。先生の製作方法は極めてシンプル。そこに禅庭、明末の山水画、李朝白磁に通じる美があります。

           

荒川修作作品と不均衡

ある美術雑誌に「アーチストが尊敬するアーチスト」という特集があり、そこで李先生が尊敬するアーチストに荒川修作を挙げていました。李と荒川修作は同じ歳で、誕生日が10日しか離れていません。ちなみにグラフィックデザイナーの横尾忠則は李先生と誕生日が2日違い(6月26日生)。同時期に日本を代表するアーチストが誕生しているのは不思議です。
先生は、「荒川が優れているのは徹底的に観念的だから」といっていました。荒川が最初に手掛けた作品は、「ボトムレス」と「意味のメカニズム」。両方とも観念的な絵画作品で、読み解くことができます。李先生は荒川修作から、「ダヴィンチの最後の晩餐の構図の秘密を解説してもらい、とても面白かった」と話してくれました。「ダビンチ・コード」が一世を風靡しましたが、荒川はそれより40年前にダビンチ・コードを読み解いています。
荒川修作は物理学に興味を持ち始めた頃から、人の知覚、身体性に影響に関する作品を制作するようになります。それは伊万里色絵を立体化したような、焦点や主題が定まっていないのに心地よい安定感のある作品。規制の美術技法の枠から離れた李朝民画を近代的・都市的にしたような作品です。
ジブリの宮崎駿は荒川から大きな影響を受けています。常識的には家や城は動かないものですが、ハウルの城は動きます。動き回る家を想像してみてください。昨日は隣に家があったのに、今日はない。変ですよね。日本人はそれを3・11で体験しました。荒川修作は3・11の前年に亡くなっているのですが、彼が生きていたら、きっと大切なことを我々に語りかけてくれたと考えると残念です。
私は「時間の意味」を、荒川の理論を使って追求しています。その手掛かりが骨董品。

           

(3) 宗教・祭と生活

三人の美術理論を社会現象に当てはめると岡本太郎は祝祭、李禹煥は座禅、荒川修作は動作(スポーツ)に当てはめることができます。岡本は民俗学者なので、「ハレとケ」、「祝祭と日常」を意識していました。「森の掟」などは「自然と工業社会」を対比させた作品。岡本が日本中を熱狂させた万国博覧会のお祭り広場の美術を担当したのは象徴的です。
李禹煥は民俗的、土着的な要素を捨て去り、物と物の対比で作品を作りました。座禅は「自然と一体となる」行為ですが、一体感は一方だけで成立せず、相互関係が必要です。李の作品は石が主役なのか、鉄板が主役なのか、キャンバスに描かれた線や点が主役なのか、余白が主役なのかわかりません。
荒川修作の立体、建築作品は身体性、感覚に訴えてきます。「既成概念を打ち破るための知覚のマッサージ」、それが荒川の作品です。最近、都市にクライミング・ジムがありますが、クライミングは「現代の修験道」と言えるでしょう。身体、感覚、知性を同時に使わなければ活動できません。遊園地にあるジェットコースターも、感覚を麻痺させる装置といえるでしょう。ジェットコースターの快感は不安定さの中に安定を求めるスリル。安全であると頭では理解していても、感覚は知性を上回ります。これは偽物だろうと疑っていても、骨董屋の言葉を信じて、高価な古美術品を買う感覚に似ています。そのような時はめまいがする。古美術品を購入する時、真贋、価格判断を同時に行わなければなりません。それは単純な作業ではない。修験道のようです。
知性や感覚を一度に使っているので古美術品を購入し続けている人は元気です。そのような人たちは口をそろえて「家の中が骨董品でいっぱいになった。整理しないといけないのですがね……」と言いながら、古美術品を買い続けています。「それは頭の体操になるので老化防止に役立つ」と言ってあげたいですね。
古美術品とうまくつき合うコツは、「新しい領域の古美術品を収集しながら、消化できた品物を整理する」ことです。が、収集家は死ぬまで収集品の整理をしません。消化できない不可解な時間相を含んでいるのが骨董品の魅力です。

           

(4) 古美術のジャンル

最後に美術作家の感性と歴史の構造について、ダーウィンの進化論を基本にして、古美術を考察します。
人間の歴史には「未開から文明へ」という法則があり、それを美術の歴史を当てはめると、プリミティブ、宗教世界、王政、革命、近代、消費社会の美となります。その流れは「土着的発想から空想的観念への変化」となります。岡本が影響を受けた民俗学や祝祭空間は土着性が強い。土器やプリミティブアートはその範疇に含まれます。最近、日本人もアフリカや東南アジアなどのプリミティブアートに目を向けるようになりました。食の民芸品」とも言えるB級グルメの人気も民俗学的視点でとらえると理解しやすいでしょう。
李禹煥の作品には人と自然の関係性、道教・禅宗的な中世的世界を見てとることができます。パワースポットや仏教ブームは機械中心の反動から発生したムーブメントです。地産地消、有機野菜、天然素材などのロハス人気に、「もの派」の影響を見ることができます。最近、目立っている洒落た雑貨屋さんも、「もの派」の概念を使用しています。
荒川修作は「感覚を使って既成概念からどのように解放されるか」を主題とした作品を作っています。昔、李先生が「美術家になって住む場所を選定するなら、自然の中に住むか、都会のど真ん中に住んだほうが良い」と言っていました。私は「もの派の作家は、自然はですね」と言うと、うなずいていました。実際に李先生は鎌倉の山麓に住み、荒川は都会の代表乳ニューヨークの真ん中に住んでいました。ですから、荒川修作は超都会的人間です。
三人の作家を時代で例えると、岡本は古代、未開、李は中世、荒川は現代の思想や発想を基本に作家です。

20世紀になると大量生産の時代が出現、ボードリヤールの唱えた複製や記号の時代がやって来ます。大量生産時代の初期の作家の代表はグラフィックデザイナーの元祖をも言える竹久夢二やラリックです。近代的機械化の反動からイギリスではアーツ・アンド・クラフト運動が起こり、柳宗悦が民芸運動を主導します。しかし、素朴さを追求した河井寛次郎、浜田庄司などの民芸作家の作品は現在、消費社会に中に組み込まれてブランド化し、高値で取引されている。桃山時代の陶器を複製した北王子魯山人の作品も同様です。
最近では、ブランド品の偽物が横行して、「フェイクの新時代」を築いています。
宮崎駿は荒川修作の美術理論を用いています。「千と千尋の物語」や「もののけ姫」の中で、主人公が森や館内を走るシーンがありますが、それを見ると目まいがする。宮崎はあえてめまいを起こさせるようなシーンを色彩で表現しました。それは荒川が作った「養老天命反転地」の映像版だということができます。
最近はハリウッドでもカメラを動かしながらシーンを撮影することが当たり前ですが、「スター・ウォーズ」の戦闘シーンなど、重力のない反転する空間表現を最初に考えたのが荒川修作です。フランスの印象派に北斎漫画が影響を与えたように、荒川修作の作品がハリウッドに影響を与えたといっても過言ではないでしょう。
荒川は三鷹市にある「天命反転住宅で育った子供は死なない」と宣言しています。彼にとっては既成概念を受け入れることが死であり、感覚だけの赤ん坊は死の概念をもたない存在。宮崎駿が大人用のアニメを作るのは、荒川と同じように大人の既成概念を覆したからに違いありません。二人にとって芸術作品は無垢な子供に戻る手段なのです。
最後になりましたが、岡本太郎の作品は川崎市と渋谷区、李禹煥の作品は岡山県直島、荒川修作の作品は岐阜県養老町、岡山県奈義町、三鷹市で見ることができます。興味がある方は是非、お出かけください。
(終わり)

             

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