このページは2013年10月5日(土)に行われた骨董講座を再現したものです。 |
第1回 「骨董とは何か」 (1) 骨董と地層 |
今日は第一回骨董講座においでいただきましてありがとうございます。初めての講座ですのでうまく話せるかどうかわかりませんが、不明な事がありましたら講座後、質問に応じます。気になった点があればメモでも取って、後でご質問ください。
最初に私が骨董講座を開こうと思ったのは、三十代のお客様が「骨董屋さんは品物についての説明はしてくれるけれど、骨董全般について話をしてくれる人がいないのです」とおっしゃったことがきっかけでした。私も数年前まで忙しかったので、品物についての説明はしますが、骨董の世界についてお客様と話す機会がありませんでした。 |
(2) 日本人の陵墓観 |
紀元前二千年頃、日本列島で大きな気候変動が起こります。
日本人が人工の丘を作るようになったのは250年頃、卑弥呼の時代です。 |
(3) 最新考古学事情 |
ここで目先を変えて宇宙の話をしましょう。ロケットと考古学が結びついているという話です。急に考古学からロケットの話を持ち出すと、何だと思われるかもしれませんが、両者は強い結びつきがあるのです。 |
(4) ローマの発掘とルネッサンス |
ローマはイタリアの首都ですが、1500年頃、ローマの人口がどれくらいだったか、わかりますか? 十万人、二十万…、答えは4万人です。意外と少ないでしょう。当時の京都には10万人の人が住んでいるので、ローマの人口は京都の半分でした。ちなみにロンドンの人口は5万人です。
1469年、イタリア人のマルシリオ・フィチーノが東方からもたらされたプラトンの全著作をラテン語に翻訳してルネッサンスが始まります。プラトニズムの流行とともに、古代ローマ文化の見直しと発掘作業が始まります。イタリア人が自分たちのルーツを求めて、地下を掘り始めるのです。発掘作業を始めると、地中から多くの遺物が出土しました。その時、ローマ時代の彫像もたくさん発掘されたのですが、住民はそれを砕いて家を石材、セメントの材料にしました。美術品を砕いて石材ですよ。それを見たラファエロが嘆いています。もっとも織田信長も似たようなことをやっていますが…。
……、私が骨董屋になったきっかけを多くのお客さまから訊ねられます。そのきっかけを3つ話します。
店に再び出るようになって皆様とお会いできました。それに誰も来ないと思っていた「骨董講座」にまで出席いただいて、皆さん、優しいですね。最初は受講者がいなかったら、壁に向かって講義をしようと考えていたのですよ。今日は初めて講座ですが、いかがだったでしょう。これから、お茶を飲みながら雑談の時間にします。本日は第1回、骨董講座に参加していただき、誠にありがとうございました。 |