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牛ノ戸焼 染付 梅文 徳利
[2019/02/24]

先週は寒さが和らぎ、春の気配を感じる陽気でした。最も寒い時期もあと少しで終わりそうです。西荻を散策していると、公園や庭先で梅の花が咲いているのに出会うことができます。梅の花の開花期は1月下旬、開花が進む、今頃が花の見ごろでしょうか。写真の徳利は「牛ノ戸焼染付梅文徳利」です。牛ノ戸焼の徳利と言えばイッチン様式の作品が有名ですが、染付の作品はほとんど見かけることがないので珍品です。そのような珍品が梅の季節に入手できました。シミが出て徳利の状態が良いとは言えませんが、見ていると鳥取県で咲く梅の花を想像できます。各地で作られた古民芸を見ていると、その土地で咲く梅を思い起こすことができます。十数年前、水戸偕楽園の梅を見た帰りに益子と笠間の窯めぐりをしました。各地の花と窯巡り。楽しいですね。

高さ 約18.5cm/胴径 約12.8cm

御売約、ありがとうございました

瀬戸焼 点粉茶碗
[2019/02/17]

日本では茶道が始まった桃山時代以降、各地で抹茶碗や煎茶碗が作られるようになりました。抹茶や煎茶は裕福な人たちの嗜好品でしたが、庶民も番茶のようなお茶を楽しんだようです。江戸時代後期になると地方独自の茶碗が作られるようになり、それが現在、古民芸品として人気を博しています。その代表が布志名焼の「ぼてぼて茶碗」や瀬戸焼の「点粉茶碗」などです。以前から「点粉茶碗」のことは知っていたのですが、なぜ「点粉茶碗」と呼ばれているのかが不明でした。今回、通信販売欄に「点粉茶碗」を出品したのですが、はっきりとした意味が分かりません。一般的に言って、抹茶の粉を点てるからと受け取られますが・・・。
誰か「点粉茶碗」の意味がわかる方のいらしたら教えていただけないでしょうか。ご連絡をお待ちしております。

口径 約10.5cm/高さ 約7.5cm

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興梠武(こおろぎ たけし)の港風景
[2019/02/12]

この絵を通信販売欄にアップした時、「武」という画家が誰なのかわかりませんでした。アップして間もなく、あるお客様が購入してくださり、すぐに店に作品を受け取りに来ました。その時、この港風景の絵は興梠武の絵かもしれないと教えてくださいました。

興梠武 東京美術学校卒。昭和20年8月8日ルソン島で戦死。享年28歳の戦没画家。長野県にある戦没画家ミュージアム「無言館」に興梠武が妹の肖像画を残しています(写真の絵)。 この絵は興梠の一番下の妹を描いた「編み物をする婦人」ですが、妹さんは興梠の出生の後、病死したそうです。

お客様が「編み物〜」の掲載された図録を見せてくれたので、店にある板絵と比べて見ました。両作品の共通点は独特な黄土色と赤色の使い方にあります。港風景が興梠の作品だと推測したのですが、今一つ確信が持てません。興梠武の出身地を調べたところ、彼の出身地は木更津だということがわかり、きっとこの港町は木更津に違いないと木更津港の写真を探して比べたことろ、この港町はやはり木更津港。 この作品が興梠武の作品だと判明したわけです。興梠武は若くして亡くなっているので無名の画家ですが、良い作品を残していたので、70年後にそれを発見できたという訳です。このようなことがあって、私は興梠兄妹の冥福を祈りました。画家が戦場に行くような時代は2度と出現させたくないですね。

御売約、ありがとうございました

第55回 アンコール講座B「伊万里焼」が終了しました。
[2019/02/05]

第3回目のアンコール講座は「伊万里焼」。5年前に行った講座のアンコール、昔の内容に新しい視点を加えて伊万里焼の歴史をお話しました。江戸時代の代表的磁器は伊万里焼。資金が豊富だった日本は海外から大量の呉須を輸入し、青い磁器の世界を展開します。有田で製作された染付は北前船に乗せられ、列島各地に運ばれました。各地の蔵に保管されていた伊万里焼の作品が市場に出るようになったのは1970年代。それ以降、伊万里焼は日本の代表的陶磁器として再認識され、1980年代後半になると唐草模様は骨董界のスターとなりました。時代は変わり値段はかつての4分の1となった伊万里焼、今はどのような状況に立たされているのでしょう。社会状況の変化と共に古美術品の価値観も変動する。伊万里焼を通して社会を考える講座でした。 次回の講座は「茶道の歴史と茶陶」。お楽しみに。

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