blog   2017年4月

菖蒲図 五島耕畝
[2017/04/30]

5月が近づいてくると、藤と菖蒲、あやめの季節がやってきます。昔、茨木県笠間市にある笠間稲荷や亀戸天神に藤、潮来や堀切菖蒲園にあやめを見に行ったことがあります。最近は出不精な私は、自分が若い頃にはまだ遠くまで花を観に行く趣味があったのだと思い出し、苦笑しています。最近はいろいろな商品も宅配も届く時代になったので、買い物さえおっくうになってきた。宅配業者は人手不足で大変だとか。このようなシステムが人にとって良いのかどうか……。
写真は茨城県生まれの日本画家・五島耕畝(1882年〜1958年)の「菖蒲図」です。茨木と言えば、潮来。あやめや菖蒲に縁のある御当地の作家です。潮来周辺の菖蒲を描いているのでしょうか。大正ロマンの感じがするモダンな軸です。
ところで、この軸は2年前のこの季節に「通信販売」欄にアップしました。あれから2年が経ちます。時の経つのは早いですね。商売のことを話せば、商品は早く売れた方が好いのですが、古美術品に関してはちょっと事情が違うようです。今年もまたこの軸を飾ることになりましたが、なかなか楽しい。自分が好きで買った軸は在庫になっても苦痛を感じないのは、古美術商という特別な職業柄のせいでしょうか。軸を見ていると、年齢を重ねて出不精になり、昔ほどの感性がなくなっても、昔の体験が蘇ってきます。これも、なかなか味わい深い。 潮来で観た菖蒲やあやめ、あの時の空気や音が蘇ってきます。
出不精になったといっても近所にある善福寺公園の散歩は毎日、欠かさずしています。公園内にはいろいろた植物があり、目を楽しませてくれます。身近なところで楽しみを見つけることができるようになったのは年齢のせいか、感性の変化か。時間と共に古美術品の嗜好も変わってきますが、現時点が一番、幸せなのが理想です。
でも、たまには花見をしに遠出しようかな。

本紙 縦横 約124cm×37cm
軸装 縦横 約193cm×52.5cm

御売約、ありがとうございました

扇面 金泥 月に桐、ほとほぎす
[2017/04/23]

4月中旬なのに、夏日があるような陽気です。今年は春を感じることなく、冬から初夏になったような感じがします。人間の体調は季節によって左右されるのですが、季節に変化がある過ぎると身体の方がついて行かないような気がします。エアコンなどの冷暖房で気温が調節できたとしても、何かが違う。やっぱり、人間は季節と共に生きる生物なのですね。
写真の額は「扇面 金泥 月に桐、ほととぎす」です。藤原実定の歌に「ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有り明けの月ぞ残れる」がありますが、それを題材にして描かれたのでしょう。ほとほぎすは5月頃に渡来し、田植えの季節から秋にかけて日本で活動する渡り鳥で、5〜6月に開化期を迎える桐と共に昔から画題として描かれています。 この額を飾るのは、もう少し先ですが、一足先に美術品を飾って季節を意識するのも古美術愛好の楽しみの一つです。
ところで、先日、杉並区のある大宮公園を夜明け前に散歩していた時、森の中にカラスの大群がいて、彼らに見られて肝を冷や、ヒッチコックの「鳥」の恐怖を実感しました。そのような状況に比べると「桐とほとほぎす」は優しい情景。さすが貴族が、読む情景だけのことはあります。日本人は優しさに市場を感じるのですね。
本品を額装した方は、背景を藤色にしています。なかなかセンスが良い。5月になると藤の季節。これからは散歩をしながら花見をするのが楽しい季節です。

本紙 縦横 約25cm×55cm
額サイズ 縦横 約42cm×72cm

御売約、ありがとうございました

李朝 木工 文房具入れ
[2017/04/16]

桜の季節も終わり、小さな若葉が芽生えています。晴れの日は暖かいので、昼間は初夏のような陽気です。つい、この前まで寒かったのに、季節が巡るのは早いですね。日本には四季があるので、日本人は季節の移ろいに敏感。季節ごとに風景が変わり、観念より感覚で時間を感じるので、抽象的な感覚が乏しくなります。一方、朝鮮半島は自然や季節が日本よりも厳しいので、抽象感覚が進んでいるように感じます。
写真は李朝時代後期の硯などを置く文房具入れ。骨董趣味のない人から見れば、ただの木の箱ですが、骨董屋からすれば、列記としたアート作品。このような日常の道具の中にも民族の美を見出すことができます。日本でいうと明治時代に作られた文房具入れですが、20世紀初頭に出現する構成主義の到来を予見さます。
日本にも格子、市松模様など幾何学的な模様がありますが、意匠でアートにはなりません。なぜか、存在感が薄い。李朝のこのような作品を見ていると、モンドリアンのような存在感のあるモダニズムを感じます。呉須染付のタッチがピカソのタッチに似ていたり、文房具入れはモンドリアンの構成作品に似てたり、骨董品に関わっていると時代を超えた、共通の美意識に出合い、価格の高低に関わらず美意識を入手することができます。だから、骨董品は面白いですね。ちなみに、この木の文房具入れ、自分自身では相当、気に入っています。

縦横 約32cm×19.5cm/高さ 約5cm

御売約、ありがとうございました

田香焼 竹型 花入れ
[2017/04/09]

桜の季節も終わり、小さな若葉が芽生えています。晴れの日は暖かいので、昼間は初夏のような陽気です。つい、この前まで寒かったのに、季節が巡るのは早いですね。日本には四季があり、日本人は季節の移ろいに敏感。季節ごとに風景が変わるので、観念より感覚で時間を感じので、抽象的な感覚が乏しくなります。一方、朝鮮半島は自然や季節が日本よりも厳しいので、抽象感覚が進んでいるように感じます。写真は李朝時代後期の硯などを置く文房具入れ。骨董趣味のない人から見れば、ただの木の箱ですが、骨董屋からすれば、列記としたアート作品。このような日常の道具の中にも民族の美を見出すことができます。日本でいうと明治時代に作られた文房具入れですが、20世紀初頭に出現する構成主義の到来を予見さます。日本にも格子、市松模様など幾何学的な模様がありますが、意匠でアートにはなりません。なぜか、存在感が薄い。李朝のこのような作品を見ていると、モンドリアンのような存在感のあるモダニズムを感じます。呉須染付のタッチがピカソのタッチに似ていたり、文房具入れはモンドリアンの構成作品に似てたり、骨董品に関わっていると時代を超えた、共通の美意識に出合い、価格の高低に関わらず美意識を入手することができます。だから、骨董品は面白いですね。ちなみに、この木の文房具入れ、自分自身では相当、気に入っています。

高さ 約21cm/口径 約6.6cm

御売約、ありがとうございました

第37回・骨董講座が終了しました   
[2017/04/01]

1年半に渡って続けてきた骨董と歴史講座「日本の文化と古美術」が今回で終了しました。
この講座は独断と偏見性の強い講座でしたが、世迷言を聞いてくださった受講生の皆様に感謝してます。長い間、ありがとうございました。講座は縄文時代から始まって明治・大正時代で終わったのですが、いかがだったでしょうか。講座に参加してくださった方々の日本史、古美術観に新しい風を吹き込めたら幸いだと思っています。講座の後半では、受講生と一緒に飲み行くのが恒例となり、今回もIさんと講座が終わった後、5時間も飲んでしまいました。Iさん、お疲れ様!
さて、来月の骨董講座は恒例の下川教授(首都大学東京府大学院心理学科)との対談シリーズCです。次回のテーマは「高齢者と趣味」。高齢者になっても趣味を持っていると元気でいることができるというお話です。いつも、私が長時間、話をするのですが、次回は下川先生に興味深い、お話しをしてもらおうと考えています。講座の後、下川先生と懇親会をするので、時間がある方は参加してください。骨董講座の参加、お待ちしております。

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