blog   2014年9月

日本の漆器
[2014/09/28]

写真左: 根来椀(江戸時代中期)
写真右: 注口土器(垣ノ島A出土 紀元前1200年)

先週、かねてから念願だった青森県の遺跡巡りに行ってまいりました。訪ねた遺跡は三内丸山遺跡、亀ヶ岡遺跡、十三湖、垂柳遺跡、大湯のストーンサークル。 4日間の旅で青森県にある縄文集落の規模の大きさ、縄文人とアイヌ人の共通点、なぜ周辺には中世の文化伝承がないのかなど、自分の持つ縄文観が大きく変わりました。 縄文後期を代表する亀ヶ岡遺跡(遮光器土偶で有名)周辺にある考古学資料館には生活用具に交じって漆塗りの土器の遺物が何点か展示してあります。 漆器は英語でジャパンですが、日本人は縄文時代から漆を使用していたのですね。

写真は江戸時代に製作された根来椀と北海道南部から出土した本州の漆を使って製作された注口土器です。2点を比べると複雑な森山の縄文文化とシンプルな稲作の弥生文化が日本の文化の基礎にあることがわかります。日本人は縄文時代の遺伝子を残しながら弥生文化を取り入れ、独自の文化形成を行ってきました。 今週の土曜日(10月4日)、仙遊洞で「日本の漆器」と題して骨董講座を開講します。漆器の歴史や文化についてのお話です。興味のある方はご参加ください。

御売約、ありがとうございました


171年ぶりの「後の十三夜」
[2014/09/21]

毎年、この時期になると月見が楽しみです。今年は中秋の名月が9月8日(旧暦8月15日)といつもよりも早い時期でした。あいにく東京の夜空は曇。当日、名月は見ることができなかったのですが、次の日の月は美しかったので良としましょう。

ところで今年は旧暦で閏年を挿入する年なので、9月13日が2回あることになります。さらにその時期が早まるので、今年は171年に1度、「後の十三夜」を見ることができる年だそうです。1年に3回も名月観賞ができる年に生きていること自体が幸運かもしれません。次回の十三夜は10月6日(旧暦9月13日)、後の十三夜は11月5日(旧暦9月13日)。ちなみに十五夜はサトイモを、十三夜は豆やクリを備えて祝います。お供えしたサトイモや豆を食べると金運や子孫繁栄が叶うといわれています。

写真は藍瀬戸の「月にススキ」。藍色の筆のタッチと吹き墨による表現がマッチして素朴な雰囲気を醸し出しています。 この皿を作った陶工たちも、きっと中秋の月のかかった夜空を見上げていたでしょう。その時の気持ちが、この皿を見ていると伝わってきます。年を経て汚れ、数か所、欠けがありますが、それもまた民芸品の味わい。 10月6日、11月5日が晴れて、皆様が良い月を見られることを願っています。

口径 約22.3cm/高さ 約3.4cm

友人がくれたタヌキの手ぬぐい。これで明月セットが揃いました。

御売約、ありがとうございました


染付 鳳凰龍文 足付鉢 (江戸時代後期 19世紀) 
[2014/09/14]

9月に入って秋刀魚を食すと「食欲の秋」が始まったような気がします。 最近は和洋中のレシピがインターネットで検索でき、食材も簡単に入手できるので美味しい料理が家庭でも作れるので、ますます……。 体重を気にしながら食べる料理はストレスを感じます。 そのような時は量を控えめに、目を楽しませながら満足感を味わうと良いかもしれません。
最近は健康志向で食器にも自然、ロハス傾向、白磁やシンプルなデザインが流行しています。塩分や糖分を控えめにすることは良いのですが味気ない気もします。料理は身体に毒くらいの方が美味しいのでしょう。

写真の伊万里焼は「肉食将軍」と呼ばれて54人の子供を作った11代将軍・徳川家斉の時代の作品です。 家斉の時代、幕府の規制も緩く、庶民は化政文化を堪能していました。 江戸料理が発展したのもこの頃ですので、この時代に和食が完成したといっても過言ではないでしょう。飽食気味の時代の方が人間の創造性も活力も増大させるようです。
この染付を見ていると京や江戸前とは違った料理を長崎周辺で食べていたことが伺えます。好奇心旺盛な江戸時代人は珍しい料理や食材に目がなかったようで、今の日本人と同じ。このような食器に料理を盛ると江戸時代にタイムトリップしたような気になれます。それが古美術品を使う面白さです。

口径 約21.7cm/高さ 約5.9cm

御売約、ありがとうございました


秋草虫図 岸本圭逸(昭和時代)
[2014/09/07]

朝晩が涼しくなり秋の気配を感じる季節になりましたが、列島は異常気象による長雨によって各地で災害が起こっています。 自然は人にやさしい表情を見せる半面、猛威をふるう。荒ぶる天候は神道の「荒魂」、やさしい気象は「和魂」、日本人はそれぞれの神や魂と古来からつきあってきたようです。 日本人は昔から一時的な時代を除いて平穏無事、「和魂」を求めていました。

写真は岸本圭逸の「秋草虫図」。圭逸は無名の日本画家ですが、軸を見ていると気負いのない作風が魅力的です。 音楽でいうとフォークソングのような感じ。 イデオロギーや装飾性の強い表現的な絵ばかり見ていると、このような絵に出合った時、少し癒されます。 この絵は戦後、日本人の生活が落ち着いてきた時代に書かれたものかな、と推測しています。
秋の夜長、このような軸を飾って楽しめた時代は楽しかったはずです。

本紙サイズ 縦横 約36.5cm×113cm
軸サイズ 縦横 約49cm×206cm

御売約、ありがとうございました


赤被せ切子ガラス水差し 
[2014/09/01]

表面を掻き落して地肌の模様を見せる陶芸技法は北宋時代の磁州窯で始まり、高麗、李朝に伝わり多くの名品を生みました。 しかし、日本では掻き落とし技法は発達せず、それが開花したのは明治時代末期、切子ガラスが作られるようになってからです。 当初の切子ガラスは西洋の模倣から始まり、徐々に和風化し、独特の雰囲気を持つ作品世界を展開します。 今見てもその美しさは変わらないので、当時のガラス職人の美意識の高さを感じることができます。

写真の赤被せ切子ピッチャーは大正時代の作品です。
 
日本になじみの薄かった掻き落とし技法が800年の時を経て、日本で開花しました。ガラスの透明感が日本人の掻き落とし技法を目覚めさせたのでしょう。 カットの技術が巧みで、清涼感があります(現在、中国で作られている切子作品のような稚拙さがありません)。
歴史をみると磁州窯、李朝、大正切子ガラス、国や時代は違っても人間の表現方法が永続していることがわかります。 時代が経つにつて、後世の人が日本人の作った美しい切子ガラス作品を評価することは間違いありません。

李朝粉青沙器扁壺 磁州窯梅瓶
高さ 約21cm/横幅 約16.3cmm

御売約、ありがとうございました


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