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木彫 芭蕉像
[2019/03/17]

今までは「春たちて まだ九日の 野山かな」でしたが、ようやく「咲乱す 桃の中より 初桜」の季節がやって来ました。来週には「両の手に 桃とさくらや 草の餅」となり、「花の雲 鐘は上野か 浅草か」となるでしょう。
若い時は、「花見にと さす船遅し 柳原」でしたが、歳を取ると、「さまざまの 事おもひ出す 櫻かな」となります。人ごみの花見に行よりも「鐘つかぬ 里は何をか 春の暮」の方が心も落ち着きます。これらの句は松尾芭蕉のものですが、俳句は歳と共に味わいが変わってくるから面白いと思います。若い時は体験が少ないので、「さまざまの 事おもひ出す 櫻かな」などの句は味わえなかった。人間も骨董も歳を経て味わいが出るのでしょうか。
写真は「木彫 芭蕉像」です。「山形地方の芭蕉を慕う俳人が持っていたのかも」と、最上川下りを楽しんだことを思い出しながら想像しています。昔、私は「奥の細道」が大好きで何度も読み返しましたが、最近はまったく芭蕉のことなど忘れていました。この芭蕉像と出会って、久しぶりに芭蕉の句を読んでみると、やっぱり芭蕉は良い。そこで一句、「ゆく春や 老いた桜木 芭蕉像」。お粗末でした。

高さ 約11.5cm/横幅 約10.5cm

御売約、ありがとうございました

小鹿田焼 スリップ飴釉・緑釉 徳利
[2019/03/10]

3月になって暖かい日や冷たい雨が交互にやって来て、体調が気候に左右される日が続きます。それでも日に日に春が近づいてきて、あと少しで桜の季節になるでしょう。写真は小鹿田焼の徳利。縦長の形からすると大正時代に製作されたものだと考えられます。竹久夢二の絵も縦長ですからね。この時期、お酒の容器は陶器からガラスに変わります。ガラスの一升瓶が登場するのも、この時代なので、本品も縦長のガラス瓶をまねて作られたのかもしれません。日本の近代化は1900年頃から始まり、ガラス瓶も工場で大量生産されるようになりました。そのために地方の陶磁器瓶を生産する窯は経営が難しくなっていきますが、地方の窯では細々と瓶や徳利を作っていたようです。時代は変わって平成時代も最後の年となりました。日本人は骨董品の良さを認識するようになり、ガラスの一升瓶に骨董的な付加価値は付けませんが、本品のような手作りの一升瓶には付加価値が付けます。やっぱり、味気ない大量生産の品物よりも、スリップ技法を巧みに使用できる職人技の方が魅力的です。本品が、一升瓶の歴史を語る時代の証言者のような感じもします。面白いですね。

高さ 約28.5cm/胴径 約13cm

御売約、ありがとうございました

第56回 アンコール講座C「茶道と茶道具」が終了しました。
[2019/03/03]

4回目のアンコール講座は「茶道と茶陶」の予定でしたが、今回、久しぶりに参加してくださった受講生の方が「黄瀬戸」について、自分なりに研究された論文を持ってこられたので、「茶道と茶陶」というよりも、「日本の古陶磁器の特質と茶道の展開」につての講座となりました。講座の中では、「日本の陶磁器は中国や朝鮮よりも技術的に遅れている」と考えている人が多いがそれは間違いだ、という話をしました。安土桃山時代に製作された黄瀬戸や志野焼は世界的に見ても、技術的にもしっかりと作られたユニークな陶器です。証拠は、この時期のような黄瀬戸や志野焼の作品を後世の人は再現できなかった点にあります。織部焼や瀬戸焼などはある程度、再現できますが、前者を製作するのは不可能に近い。当時、最高の技術を持った陶工が作ったから、あのような素晴らしい作品ができたのです。品格や繊細さの点で判断すると、唐津焼など黄瀬戸に及びもしません。、また、講座では茶会記などのデータをスパコンなどに入れると、どのように黄瀬戸の食器が茶会で使用されていたか判明するでしょう、という未来の話をしました。3Dプリンターを使うと、桃山時代の黄瀬戸を再現できるかもしれません。それが遠い将来でないことは、日本人の技術の速度を見れば理解できるはずです。来月の講座は、「陶磁器の模様 シンボルと吉祥文」。お楽しみに。

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牛ノ戸焼 染付 梅文 徳利
[2019/02/24]

先週は寒さが和らぎ、春の気配を感じる陽気でした。最も寒い時期もあと少しで終わりそうです。西荻を散策していると、公園や庭先で梅の花が咲いているのに出会うことができます。梅の花の開花期は1月下旬、開花が進む、今頃が花の見ごろでしょうか。写真の徳利は「牛ノ戸焼染付梅文徳利」です。牛ノ戸焼の徳利と言えばイッチン様式の作品が有名ですが、染付の作品はほとんど見かけることがないので珍品です。そのような珍品が梅の季節に入手できました。シミが出て徳利の状態が良いとは言えませんが、見ていると鳥取県で咲く梅の花を想像できます。各地で作られた古民芸を見ていると、その土地で咲く梅を思い起こすことができます。十数年前、水戸偕楽園の梅を見た帰りに益子と笠間の窯めぐりをしました。各地の花と窯巡り。楽しいですね。

高さ 約18.5cm/胴径 約12.8cm

御売約、ありがとうございました

瀬戸焼 点粉茶碗
[2019/02/17]

日本では茶道が始まった桃山時代以降、各地で抹茶碗や煎茶碗が作られるようになりました。抹茶や煎茶は裕福な人たちの嗜好品でしたが、庶民も番茶のようなお茶を楽しんだようです。江戸時代後期になると地方独自の茶碗が作られるようになり、それが現在、古民芸品として人気を博しています。その代表が布志名焼の「ぼてぼて茶碗」や瀬戸焼の「点粉茶碗」などです。以前から「点粉茶碗」のことは知っていたのですが、なぜ「点粉茶碗」と呼ばれているのかが不明でした。今回、通信販売欄に「点粉茶碗」を出品したのですが、はっきりとした意味が分かりません。一般的に言って、抹茶の粉を点てるからと受け取られますが・・・。
誰か「点粉茶碗」の意味がわかる方のいらしたら教えていただけないでしょうか。ご連絡をお待ちしております。

口径 約10.5cm/高さ 約7.5cm

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興梠武(こおろぎ たけし)の港風景
[2019/02/12]

この絵を通信販売欄にアップした時、「武」という画家が誰なのかわかりませんでした。アップして間もなく、あるお客様が購入してくださり、すぐに店に作品を受け取りに来ました。その時、この港風景の絵は興梠武の絵かもしれないと教えてくださいました。

興梠武 東京美術学校卒。昭和20年8月8日ルソン島で戦死。享年28歳の戦没画家。長野県にある戦没画家ミュージアム「無言館」に興梠武が妹の肖像画を残しています(写真の絵)。 この絵は興梠の一番下の妹を描いた「編み物をする婦人」ですが、妹さんは興梠の出生の後、病死したそうです。

お客様が「編み物〜」の掲載された図録を見せてくれたので、店にある板絵と比べて見ました。両作品の共通点は独特な黄土色と赤色の使い方にあります。港風景が興梠の作品だと推測したのですが、今一つ確信が持てません。興梠武の出身地を調べたところ、彼の出身地は木更津だということがわかり、きっとこの港町は木更津に違いないと木更津港の写真を探して比べたことろ、この港町はやはり木更津港。 この作品が興梠武の作品だと判明したわけです。興梠武は若くして亡くなっているので無名の画家ですが、良い作品を残していたので、70年後にそれを発見できたという訳です。このようなことがあって、私は興梠兄妹の冥福を祈りました。画家が戦場に行くような時代は2度と出現させたくないですね。

御売約、ありがとうございました

第55回 アンコール講座B「伊万里焼」が終了しました。
[2019/02/05]

第3回目のアンコール講座は「伊万里焼」。5年前に行った講座のアンコール、昔の内容に新しい視点を加えて伊万里焼の歴史をお話しました。江戸時代の代表的磁器は伊万里焼。資金が豊富だった日本は海外から大量の呉須を輸入し、青い磁器の世界を展開します。有田で製作された染付は北前船に乗せられ、列島各地に運ばれました。各地の蔵に保管されていた伊万里焼の作品が市場に出るようになったのは1970年代。それ以降、伊万里焼は日本の代表的陶磁器として再認識され、1980年代後半になると唐草模様は骨董界のスターとなりました。時代は変わり値段はかつての4分の1となった伊万里焼、今はどのような状況に立たされているのでしょう。社会状況の変化と共に古美術品の価値観も変動する。伊万里焼を通して社会を考える講座でした。 次回の講座は「茶道の歴史と茶陶」。お楽しみに。

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浦富焼 染付 山水文 7合徳利
[2019/01/27]

骨董屋を初めて25年経ちますが、その間、見たことの無いような品物に出合うことがあります。写真の染付徳利もその一つ、珍品です。磁器の産地に興味のない人であれば、「これは瀬戸焼の徳利」で済むのですが、民芸好き、国焼好きとしては産地を確定することに情熱を注いでしまいます。何となくこの徳利は兵庫周辺で作られたところまでは推測できるのですが、それから先が難問。それで、あちらこちらの資料を引っ張り出してきて本品と見比べました。本品を浦富焼として掲載する資料はなかったのですが、絵の描き方から浦富焼と鑑定しました。裏に書いてある帆船の描き方が独特でしょう。浦富焼は鳥取県の焼物。北前船が日本海を航行していたので、絵付け師も生き生きとした帆船も描けたのかもしれません。その辺も産地を推測する材料となります。このように骨董屋は産地を確定しますが、日本にはまだまだ産地が不明な焼き物がたくさんあります。だから、それを探索するのが面白い。国焼の世界は広いですね。

高さ 約26cm/胴径 約11cm

御売約、ありがとうございました

須恵器 手付コップ 
[2019/01/20]

今年は例年よりも雨が少なく、寒くて乾燥した日が続いています。乾燥した天候のせいでインフルエンザが爆発的に流行、私の周りにも数人がインフルエンザ患者がいます。テレビ番組で言っていたのは、朝、起きたらすぐに歯を磨くと余計な菌の繁殖が防げるのでインフルエンザ予防に効果があるとのことです。是非、皆様、実践してみてください。
写真の須恵器は6世紀の取っ手付きコップ。5世紀頃、鉄器や須恵器の技術を持った南朝鮮の人々が高句麗からの圧迫を逃れて、日本列島に大量に移住してきました。その時、渡来人は、このようなコップを携帯して来たようです。これで渡来人たちは熱い馬乳や羊乳を飲んでいました。それまで日本には馬はいなかったので、馬を見た倭人は驚いたことでしょう。市場に出ている手付きコップは新羅のモノが多いのですが、本品は和製なので新羅製よりも優しい感じがします。本品を見ると日本に外来文化が根付いていった感じがわかります。ちなみに日本酒の材料である麹が日本で使用されるようになったのも5世紀。渡来系民族の人たちはお酒が好きだったのですね。やっぱり、冬は熱燗ですか。

口径 約9〜10cm/高さ 約9cm/横幅 約13.5cm

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第54回 アンコール講座A「日本の陶磁器・古民芸」が終了しました。
[2019/01/12]

第2回目のアンコール講座は「日本の陶磁器・古民芸」でした。これは5年前に行った講座ですが、今回、参加された方は初めての内容。昔の内容に新しい視点を加えて日本の陶磁器の歴史をお話しました。講座の内容についてはホームページの「骨董講座」に概要をアップいていますが、記述していない話は@縄文人は現在の日本人同様、衛生的な生活を送っていた。A「刺身は料理ではない」という人がいるが、活〆の技術や衛生状態が良くないと食することはできない立派な料理である。それを盛る器が耐水性のある伊万里焼など。B江戸時代中期、田沼時代に日本の陶磁器は多様性を獲得、地域によって特色のある陶磁器を作った、などです。仙遊洞の骨董講座は陶磁器の概念を教えるものではなく、どれが他の文化やジャンルとどのように関わってきたか解説する講座です。独断と偏見の講座ですが、意外と長く続いています。次回の講座は「伊万里焼」。新たな視点、文化論を加えて、伊万里焼についてお話したいと思います。お楽しみに。

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京焼、九谷焼、民平焼、大樋焼 猪口4客
[2019/01/06]

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
今年は平成最後の年で、5月からは新しい元号に変わります。仙遊洞の平成時代は骨董修行から開店、営業とまさに骨董三昧の時代でした。店を初めて20年、振り返るとあっという間に時間がたった感じがします。これもお客様があってのこと、ほんとうにこれまでありがとうございました。ところで、みなさまの平成時代はいかがだったでしょうか。 写真は4種類の盃。というか、日本酒の酒器です。これを見るだけでも日本にはさまざまな陶磁器があり多様性がある事がわかります。最近、欧米では純血主義が主流となり、民族至上主義のような風潮がありますが、日本は移民法を改正し、これから外国人を受け入れる時代となりそうです。行き過ぎた移民政策は排他主義を生みますが、緩やかな混在は多様性をもたらし、日本の文化にも良い影響を与えてくれるでしょう。日本人と移民が仲良く安全に暮らす日が来ることを願ったものが次の時代の元号となるのではないか。次の時代が日本列島に暮らす人たちにとって楽しい時代になると良いですね。その時は、このような盃で祝いたいものです。

御売約、ありがとうございました

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